四国辺土

コラム「架橋」

 『路地の子』や『日本の路地を旅する』など被差別部落をモチーフにしたノンフィクションを自らの体験から描く上原善広の『四国辺土 幻の草遍路と路地巡礼』(角川書店)を読了した。彼の作品を読んだのは2005年に発表した『被差別の食卓』が最初だが、そのたんたんとしながら繊細で力強い筆致に魅了され、新刊が出るたびに読ませていただいている。
 今回の『四国辺土』は300頁を超える大著。5年間の歳月をかけて自らの足で四国の地を遍路して書き上げたルポルタージュであり紀行文である。この作品に描かれた遍路の歴史、また彼が小説家である亡き中上健次にならって路地と表現した被差別部落に関しては、取材の中で路地は旧遍路道沿いに多く見られ、そこに住む人々が番太と呼ばれる警備の仕事を司り遍路を取り締まったとも聞き書きされている。さらに言えば、四国の中でも土佐藩と松山藩では、遍路への扱いがまったく違っていたらしい。
 書名にある「辺土」とは、オビにある「辺土とは、遍路で生活する者である」という文言に尽き、草遍路、乞食遍路、職業遍路とも呼ばれるという。
 四国88カ所巡礼に密かな憧れを秘めているボクにとって「遍路」=「辺土」であるという背景を読み知ったときの驚きは、今まで想像していたものとはまったく違っていた。そして、単なる物見遊山や信仰とは異なる生涯遍路とは、ある意味で放浪者であり四国の地を歩き、その地でひとり果てるという壮絶な生き様であると知った。
 もう数年前になるが、その日の思いつきで新宿発の夜行バスで高知県の宿毛に行ったことがある。そして、四万十市(旧中村市)から延々2時間ばかりバスに揺られ足摺岬まで足を延ばしたことがあるが、その道すがらバスの車窓から何人もの歩き遍路の白装束を見たが、上原が取材した「辺土」とはほど遠いスタイルだった。そして足摺岬にある第38番札所金剛福寺に参詣したが、当時遍路にさほどこだわりがなかったボクは残念なことに「御朱印」をもらわずに、わずか30分の滞在時間で折り返しのバスで帰路についたことを今でも後悔している。
 本書に登場する生涯遍路の多くは、リヤカーやカートに着替えからテント、鍋釜など生活資材一式を積んで野宿や善根宿に寝泊まりをしながら、托鉢や門付をしてもらう喜捨、あるいは日雇い仕事をして生計を立てているという。また、以前は不治の病とされたハンセン病の患者や訳あって一カ所にとどまることのできない事情を持つ男女が、遍路道沿いで生活する人々からの善意や弘法大師への信仰にすがって歩き続けたことは想像に絶する艱難辛苦であっただろう。
 そんな中、上原は大阪で殺人未遂事件を犯し四国88カ所に逃げ場を求めた人物の関係者に取材し「幸月事件」として一章をまとめている。また、上原は四国遍路に興味を持つようになったのは、「12年前手配の男NHKに出演。警官が気づき逮捕」という新聞記事からだったと
いう。その顛末はこうだ。「山頭火のように俳句を詠みながら『幸月』と名乗って四国遍路をなりわいとしていた老人が、やがて遍路関係者の間で有名になり、NHKのテレビ番組で全国放送されたところ、指名手配犯だとわかって逮捕された」(本文引用)。本人は今なお指名手配をされているとは考えもしなかったらしく、多くの善意や接待に支えられ四国を巡っていたらしい。
 現在、果たして生涯遍路が今も存在しているのかはボクにはわからない。しかし、遍路道を歩き、札所を巡る歩き遍路の胸中には誰にも明かされることができない秘密が隠されているように思う。また、上原の文章には辺土や路地などでしいたげられた人々に対する優しい眼差しが垣間見え、爽快な読後感に癒やされる。
(雨)

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