「開いたパンドラの箱に?」

コラム架橋

 「我こそが安倍政治の正統な後継者」とばかり首相岸田が「あなたが築いた土台の上に」とアピールすれば、前首相の菅は、焼き鳥を喰い喰い、酒を酌み交わし3時間も話し第二次安倍政権の道筋を創ったとアピールする。
 国民の怒りと冷ややかな視線に包まれた会場で蠢く「黒子」の姿。国葬反対・主権者は私だ!の怒りに、世界のマスコミは日本の民主主義の現在地を見たのだ。「選挙で選ばれた者がすべてを決めることが何で悪い」と言い放ち権力の私物化を進めた「安倍政治」。安倍の国家主義と強力な権力思考がもたらしたモラルなき社会は、森友問題で財務省の公文書改竄、「腹心の友」に便宜を図った加計学園問題、杜撰な公文書管理、税金の私物化、選挙民への買収疑惑が指摘された「桜を見る会問題」などすべてが闇に包まれたままだ。
 岸田首相は「国葬」によって「民主主義を断固として守る」決意を国内外に示すとしたが、国民の圧倒的多数は「片棒を担ぐ謂れは無い」とNO!いま、最大の関心事は、銃弾で吹き飛び蓋が開いた「パンドラの箱」から腐臭を放ち漏れだした旧統一教会と議員の癒着構造。陰で権力を行使する頭目安倍(細田が語った「盛会を安倍首相に報告します」とは)。
 詩人茨木のり子の詩「りゅうりぇんれん物語」を再読した。1927年から始まる中国侵略と15年戦争。42年東条内閣は「華人労務者内地移入ニ関スル件」を閣議決定。武官の最高責任者は東条英機、文官の最高責任者は商工大臣岸信介である。既に中国北部では日本軍が接収した鉱山等で「労工狩り」「兎狩り」と呼ぶ陰惨な強制連行・強制労働があり、閣議決定により国家的施策にした。
 その「方針」は、徴兵により不足した日本の労働力を、中国民衆を拉致し強制労働で補うというものだ。劉連仁さんは山東省で日本軍に攫われ、北海道の炭鉱で想像を絶する過酷な労働を強制された。厳しい監視の目を掻い潜り脱走し13年間北海道の原野に身を潜め生きてきた。長文の詩に、天皇の軍隊が中国の民衆に加えてきた想像を絶する虐待・虐殺の実像が。
 【昭和三十三年三月りゅうりぇんれんは雨にけむる東京についた 罪もない 兵士でもない 百姓を こんなひどい目に合わせた 「華人労務者移入方針」 かつてこの案を練った商工大臣が 今は総理大臣になっている不思議な首都へ】・・・この時の首相が岸信介だ。
 58年国会での政府責任追及に岸は「政府として当時の事情を明らかにする資料、方法は現在としてはない。そういう本人の意思に反する強制連行すると言う趣旨でないことはあの閣議の中でも明らかですが、事実問題として強制して連れてきたのか、本人が承諾してきたのかこれを確かめるすべがないので、政府として責任をもってどうだと言う事を今の時代に明らかにすることは到底できない」。様々な疑惑に国会で多用した安倍の論理と全く同じだ。
 姚際元(ヨウサイゲン)さんは【縄で縛られ連行され、同じ日18人が捕まった。市内の学校に収容され「農民だ」と言っても「嘘をつくな!」と意識不明になる程殴られ、さらにひどい拷問の末に「八路軍です」とうその自供を強制された】(穴から穴へ13年より)。「憲法改正による日本独立の完成」を目指す自民党初代幹事長は岸信介。「自由民主党」と言う耳当たりの良い党名の本当の姿は「民主主義」を隠れ蓑に改憲し天皇制の復権なのだ。「パンドラの箱」に隠されているものを白日の下に引きずり出そう。   (朝田)

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