「トロツキーと戦前の日本」 

ミカドの国の預言者

読書案内

森田成也著/社会評論社/2700円税+

膨大な調査・研究に基づく画期的な発見

 本書の序文によると、著者が戦前の日本におけるトロツキーというテーマに関心を持つようになったきっかけは一九九〇年に東京で開催されたトロツキー没後五十年シンポジウムだったそうだ。シンポジウム準備の一環としてトロツキー日本語文献目録を編纂する作業に取りかかったとのこと。
 一九九〇年のシンポジウムは私も参加し、当時のソ連・東欧の激動の中、いよいよスターリン主義と闘い続けたトロツキーの復権が近いと感じたことを記憶している。その期待はすぐに裏切られ、ソ連邦の崩壊とソ連・東欧における資本主義の復活の中で、マルクス主義や社会主義が過去のものとされ、新自由主義の下で世界経済の一体化が進んだ。
 本書はその後三十年余にわたる著者の膨大な一次資料・海外資料を駆使した超人的な調査・研究の成果である。すでに「トロツキー研究」などの雑誌で発表されている文章がベースになっているが、新しい成果が加筆され、一冊にまとめられたことで入手しやすく、読みやすくなっただけでなく、日本の社会運動史の中に位置づけて体系的に理解できるようになったのではないだろうか。
 本書によってロシア革命から日本共産党の創立前後にかけての日本の左派あるいはリベラル派の思想状況の一端、とくに国際的な共産主義運動の流れとの関連について空白となっていた部分が明らかになる。
 とはいえ、そんな堅苦しく考えなくても読み物として十分に楽しめる。トロツキストやトロツキー・ファンだけでなく、日本の社会運動、政治・思想史やジャーナリズムに関心を持つ人たち、あるいは「雑学」が好きな人たちにもお薦めである。

片山潜との出会いと日本への関心


 本書は六つの章と二つの付録で構成されている。以下は各章の印象に残った箇所の抜粋であり、要約ではない。
 第一章「戦前日本におけるトロツキーとマルクス主義」は総論にあたり、二〇一九年にドイツの雑誌に投稿した英語論文を基に加筆された。戦前の日本で、特に一九二〇年代から三〇年代にかけて大量のマルクス主義文献が翻訳出版されていた。この時代は日本の労働者階級の階級的・文化的欲求が急速に高まっていた。一方で、一九二〇年代後半以降のソ連邦におけるスターリン専制体制の確立の時期とも重なっており、その結果、スターリンの一国社会主義論が支配的になっていった。一国社会主義論は、日本型国家主義と重なるところもあり、後の弾圧下での国家社会主義への転向の知的基盤ともなった。当初は翻訳が中心だったが、一九二〇年代末以降、日本の知識人による日本社会のマルクス主義的分析も盛んになった。
 あまり知られていないことだが、一九一七年のロシア十月革命以降に日本で初めて翻訳されたボリシェヴィキ指導者の文献はレーニンではなくトロツキーの「ボリシェヴィキと世界平和」だった。一九二〇年代半ばには文学論・文化論を中心に、「ちょっとしたトロツキーブーム」が起こった。トロツキーの失脚後も、「わが生涯」、「裏切られた革命」などの文献が労農派の知識人や非マルクス主義の知識人・ジャーナリスト、政府機関の官僚などによって翻訳されている。
 第二章「トロツキーの日本論―日露戦争から『田中メモ』まで」と第三章「トロツキーと会った日本人たち―ニューヨーク時代から日本亡命計画まで」はトロツキー研究所発行「トロツキー研究」第三五号「トロツキーと日本」(二〇〇一年夏)に西島栄のペンネームで掲載されている論考に加筆された。
 第二章ではトロツキーの日本についての認識を紹介している。トロツキーの日本への関心はあまり大きくはなかったが、一九〇四―五年の日露戦争を経て、勃興する新しい資本主義国家のダイナミズムについて断片的な記述が残されている。さらに、第一次大戦中には亡命先のフランスで「『日本』問題」と題する新聞記事を書いている。その後米国に亡命したトロツキーは、そこで片山潜と出会い、その後の交流の中で日本についての知識も蓄積した。
 米国で一九一七年二月革命についての知らせを受けたトロツキーは即座に帰国の途につき、途中英国で拘留されたのち同五月に帰国、その数日後にロシア革命の進路についての演説の中で、「戦争がヨーロッパを社会革命に導かないとすれば・・・文明国としては滅びること・・・を意味するだろう。そして革命運動の中心がアメリカか日本に移ることを意味するだろう」という驚くべき予言をしている。

延島英一による勇気あるモスクワ裁判批判


 十月革命の勝利後は外務人民委員として、日本への関心も強まり、略奪的専制国家への警戒と台頭する労働者階級への期待を繰り返し表明している。一九二四年には「大阪毎日新聞」の布施勝治と元「ニューヨークヘラルド」紙記者の内藤民治がそれぞれ、日ソ関係に関連する重要なインタビューを行っている。また日中戦争勃発後の一九三七年以降には、日本の軍国主義についていくつかの声明や分析を執筆し、日中戦争についての革命派の立場を明らかにしている。
 第三章は、各時代にトロツキーとの交友があった、あるいはトロツキーを実際に見た日本人が伝えているトロツキーの印象を貴重な歴史的資料として紹介している。米国で亡命中のトロツキーと出会い、その後ソ連に渡り、コミンテルン執行委員会幹部として日本共産党の創立に関わった片山潜、彼と共に在米日本人社会主義者団で活動した渡辺春夫、荒川実蔵、田口運蔵、「赤軍の英雄」として注目を集めていた時代に取材したジャーナリストの中平亨と布施勝治、さらには戦後日本共産党の議長となった野坂参三、「裏切られた革命」を翻訳した荒畑寒村。この章の後半では、ソ連共産党やコミンテルンの中でのスターリンとトロツキーの対立の中で片山潜を始めとする日本の共産主義者が選択した立場の変遷が描かれている。トロツキーの追放後もジャーナリストの布施勝治がトロツキーの取材を続け、トロツキーの分析を伝えてきた。また、内藤民治はトロツキーと文通を続け、日本への亡命計画まで立てていたが、トロツキーが亡命中のメキシコで暗殺されたため実現しなかった。 
 第四章「日本人はモスクワ裁判をどう見たか」は「葦牙」誌第一四号(一九九一年)掲載論文を加筆修正、第五章「『現代新聞批判』における延島英一のモスクワ裁判批判」と第六章「戦前日本におけるマルクス主義翻訳文献の歴史—その発展と衰退」は書下ろし。
 スターリンによる「粛清」の頂点としての三次にわたるモスクワ裁判とトハチェフスキ―を始めとする赤軍幹部の裁判と処刑に対して、日本のメディアの主流は当初は論評抜きの「客観報道」、徐々にソ連側の発表への疑問・懐疑が強まっている。当時、共産党は弾圧下で公然と活動することはできなかったが、左翼の間ではソ連側の発表を全面的に信用する傾向と、当惑しながらも信用する労農派の荒畑寒村など、そしてメンシェヴィキや欧米の報道をもとにソ連側の報道を信用しない社民派の傾向に分かれた。著者によると、社民派はトロツキーや粛清の犠牲になった人たちを擁護するのではなく、反共主義やロシア人への民族的蔑視の観点からの批判だった。この章では転向左翼や日本の外務省や警察の見方についても詳しく紹介されている。
 最終的には左派・リベラル派がスターリンによるフェイク情報(「トロツキーは反革命」)を受け入れ、モスクワ裁判に象徴される粛清に沈黙する中で、唯一、モスクワ裁判の虚偽を暴き、真実を伝えようと奮闘したのがアナルコ・サンジカリストの延島英一である。
 本書の圧巻はその延島英一の孤高の闘いにフォーカスした第四章第六節(「モスクワ裁判の真実のために闘った延島英一」)と第五章だ。彼はアナーキストとして、レーニン・トロツキー時代のソ連における弾圧を非難する論陣を張ってきたが、スターリンによる粛清に対しては一貫してトロツキーを擁護した。それだけでなくなぜスターリンがトロツキーや反対派を排除しなければならなかったのかを鋭く暴き、デューイ委員会にも協力を申し出た。スペイン革命の中でスターリンに対抗してトロツキーとアナルコ・サンジカリストが共闘したことも、彼のトロツキーへのシンパシーを強めていたのだろう。
 第六章は戦前日本におけるマルクス主義関連の著作の出版点数の推移から見たマルクス主義への関心の盛衰を追っている。戦時下でほぼ完全に途絶えたマルクス主義関連の出版が戦後、猛烈な勢いで拡大した。
 付録は「戦前日本におけるトロツキー文献目録」とトロツキー「『日常生活の諸問題』日本語版序文」、いずれも貴重な資料である。

国際共産主義運動における日本の特殊性について


 筆者は一九六〇年代末に学生運動の中でトロツキズムに出会い、トロツキーの思想と政治的立場に共感し、その流れを継承する運動と組織に参加してきたが、なかなかトロツキーの思想と政治的立場が日本の活動家の中に根付かないことを感じてきた。スターリン主義とは距離を置く、あるいは反スターリン主義を標榜するグループや活動家が、トロツキーや非スターリン主義の潮流によって継承されてきた国際共産主義運動の中に日本革命の展望や日本における党建設の方針を位置づけようとせず、むしろ「トロツキーは敗北したのだから間違っていたのだ」という浅薄な考えから、スターリン流の一国革命論と組織論に急進的あるいは極左的な戦術を組み合わせた日本的な、多くの場合かなりセクト主義的・宗派主義的な運動と組織を作ってきた。一方、日本共産党はソ連や中国の「社会主義」とは決別しながら、ますます一国主義を純化し、スターリン支配下のコミンテルンから受け継いだ組織論を基本的に継承している。
 本書はその背景を戦前日本におけるマルクス主義の受容の時代的特殊性の中で明快に論じている。そして、「トロツキーは敗北したのだから間違っていたのだ」という転倒した発想ではなく、むしろ、ソ連邦にはトロツキーが示したような別の選択があったこと、その方向へ進む可能性がありえたことを示唆している。
 本書の随所に見られるトロツキーの永続革命論、戦争と平和に関する論考、文化と日常生活に関わる著述は、今日にも通じる内容が多い。当時の日本の左派の思想状況、特に日本におけるマルクス主義の受容の特殊な事情(国際共産主義運動におけるトロツキーを始めとする非スターリン主義の流れとの切断)を理解することは、日本における左派の理論的・運動的な再生のためにも有益だろう。
 トロツキスト活動家そしてトロツキー・ファンの一人として、著者と出版元に敬意と感謝を伝えたい。
(小林秀史)

THE YOUTH FRONT(青年戦線)

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