パレスチナ/イスラエル

怒りの爆発は今もあるが
昨年5月の傷はまだ癒えていない

アミアド・イラキ

 この2、3週間のイスラエル―パレスチナにおける暴力の高まりは、新聞の一面見出しからソーシャルメディアの脇役まで幅広く、去年5月のできごとに導いた光景に結びつけられてきた。その当時、パレスチナ人の大衆的な蜂起、イスラエルの抑圧作戦、そして悪循環的な戦争が川と海に挟まれたこの土地を炎に包んだのだった。
 この比較は心を引くものであり、その時代をはっきり示している核心的な課題は確かに変わらないままにある。しかし、現在の展開を昨年5月のプリズムを通して解釈することは、早計というだけではない。それは、今日現場で起きていることに対するわれわれの理解を曇らせ、この時期にパレスチナ人に必要なことを、われわれに分からなくさせさえするかもしれないのだ。

消耗感生んだ
抑圧の残酷さ
 「統一インティファーダ」は多くの点で、完全な激動の結果であり、イスラエルの抑圧と、第2次インティファーダ以来そうした規模では見られたことのないパレスチナ人の抵抗のめったにない同期化をつくり出した。この数週間の似たような活動の閃光にもかかわらず、この大規模な同期化の再来は、起きるとしてもまだこれからのことだ。
 理由の説明は多くある。そして進行中の展開は、特にイスラエル警察の残酷さとエルサレムのユダヤ人過激派による挑発に照らして、まだもっと厳しい展開になる可能性もある。しかし、それに値する注目を集めていないひとつの重要な要素がある。パレスチナ人はまだ、昨年5月に起きたことから回復が必要、ということだ。
 街頭やソーシャルメディアに表現された反抗的で民衆的な憤激にもかかわらず、パレスチナ人社会の多くは、昨年それが経験した国家と暴徒の暴力からまだ回復途上なのだ。この感情は、ガザ回廊ではもっとも深刻だ。そこでは、200万人の人々が11日間にわたってイスラエルの重爆撃にさらされ、そしてその民衆は、15年の長さになる息のつまるような包囲下で、再建し復興する能力をはぎ取られたままにあるのだ。
 この消耗感はまた、非常にさまざまな程度で、イスラエルのパレスチナ人市民の中でも感じられる。この市民たちは、蜂起後の何ヵ月か、攻撃的な警察の作戦の標的となり、アラブ人居住区とその住民を攻撃する武装ユダヤ人に対する恐怖が原因で、今なおめまいを覚えるような気分になっている。
 西岸でもまた、インティファーダのエネルギーを、占領者の現地執行官と広い人々から見られているパレスチナ自治政府(PA)に向けようとの努力は、PAの治安部隊とそれに忠実なゴロツキによって暴力的に弾圧された。

多方面で続く
人々への圧迫
 回復のこの欠如に対する理由はまったく単純だ。すなわち、イスラエルの残酷さが全然止まらなかった、ということだ。5月以来、パレスチナ人コミュニティは、軍の襲撃、入植者の強襲、家の取り壊し、医療許可書の否認、軍の発砲、大量逮捕、土地の接収、立ち入った監視、さらに多くのこと、に直面することを迫られた。このすべては確かにこの数週間度を強めてきたがしかし、「紛争を小さく見せる」という政府のオーウェルばり方針に隠されて、この年を通じて厳しさの点では上下変動を続けていた。
 実際、主流メディアは、パレスチナ人が行った近頃の時々起こる暴力行為――イスラエルの3都市での死にいたった攻撃、バスへの投石、そして今のガザからのロケット弾を含んで――はすぐさま取り上げたものの、ユダヤ人―イスラエル人にとっての「静穏」保持を名目としたパレスチナ人に加えられた恒常的で組織的な暴力には、大概は黙殺で済ませてきた。次のことには、知らず知らずに感情が表に出ている。つまりメディアは、暴力がイスラエル人を突然苦しめた時にはじめて、暴力が「高まろうと」していると注意し始めたのだ。そうでなければ暴力は、風景の中の見えない、目立たない些事にされた。

可能なことへの
確信消失が問題
 このどれでも、パレスチナ人が彼らの大義をあきらめた、ということは意味していない。事実は逆であり、抵抗は多様な形態で持続し、統一インティファーダの記憶は刷新された民族意識の感覚に燃料を注ぎ続けている。しかし多くのパレスチナ人は次のことも認めるだろう。つまり、彼らがたとえ昨年のように決起できたとしても、この時にあたってそれが達成可能と思われるものは確信できない、ということだ。
 多くのパレスチナ人は、今も打ち砕かれたかつ権威主義的な指導部によって弱められ、また彼らを導く明確な政治構想も全くないことで、イスラエルの情け容赦のない政策に穴を開けようとするバラバラの、局地化された戦闘に逆戻りせざるを得なくされてきた。昨年5月の蜂起と同程度の活力を与えるものだとしても、その戦闘がイスラエルの抑圧を解体するパレスチナ人の能力をどれほどまでつくり変えたか、を言うのは困難だ。

真剣な力の
再測定が鍵
 この弱みは多くの場合、諸々の抗議や映像のオンラインに際して聞かれる「統一」と「確固さ」に対する感嘆の中で曇らされている可能性がある。それらは軽率に、非常な回復力にもかかわらず、人民としてのパレスチナ人はそれでも人間であるということをわれわれに思い起こさせる、そうしたコミュニティ内部の複雑な諸経験と論争を平板化しているのだ。
 われわれは、強さやヒーロー性や断固さの感覚を常にもっているわけではない。われわれは、傷を受け、精神的にも外傷を与えられ、将来を恐れている、そのような社会だ。われわれは、無力な犠牲状態と火のような憤激の間を泳ぐ自動化された機械ではないのだ。われわれのエネルギーには干満があり、われわれもまた、癒し、深く考え、そして再建する時間を必要としている。
 イスラエルの思い上がりが高まり、パレスチナ人の傷が膿むことで、十分あることとして、もうひとつの戦争と蜂起が地平線上に現れるかもしれない。しかし、諸々の力量を欠いた運動は弱まる運命にあり、方向性のない闘いは敗北を宿命付けられている。われわれは、スローガンだけでは十分でないことを知っている。つまり、真剣な力の再測定――草の根の組織化、政府の行動、経済的自立性、メディアの圧力、その他を通した――だけが、われわれの植民地的条件と逆の方向に形成を動かすことを可能にする。統一インティファーダはその努力の決定的一部だった。しかしわれわれの前には長い道のりがある。(「972マガジン」より)

▼筆者は「972マガジン」の編集者かつ記者で、ハイファを地元とするイスラエルのパレスチナ人市民。また、シンクタンクのアル―シャバカでは政治アナリストでもある。以前は、法律センターのアダラーで代表世話人だった。(「インターナショナルビューポイント」2022年5月4日) 

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