ロシア 抵抗する女性たちへのインタビュー

被抑圧諸層の断片化に抗し自国帝国主義と対決
一緒に連帯を学び経験積む

アナスタシア・ヴォスタフシャヤ/マリー

 アナスタシア・ヴォスタフシャヤとマリーは、ロシア国家内で活動している革命的社会主義者組織であるロシア社会主義運動(RSM)のメンバーだ。「ミッドナイト・サン」誌は彼女たちと、ロシア内での今日の反戦オルガナイザーにとって生活がどのようなものか、反戦を組織化するフェミニストの重要性、またロシアとウクライナ両国で解放を求めて闘っている者たちとの国際的な連帯を築くことの意味、を話し合った。その会話は、「ミッドナイト・サン」誌編集者のオレナ・リュブチェンコにより翻訳された。

市民自身の利益の理解めざし


――今日ロシア内では、政治闘争における日々の生活とは反戦オルガナイザーにとってどのようなものか?

【アナスタシア】朝から晩まで私は毎日大学にいる。そしてそこで「沈黙のピケット」に取り組んでいる。私は、壁、控え室の名札、机、黒板に反戦のスローガンや団結へのアピールを書いている。週末には活動家や支持者と会議を持ち、さらなる戦略的な計画を議論し、行動やキャンペーンに参加する。
 まさに今もっとも重要な戦略的な目標は、ロシアの市民に彼ら自身の利益を理解させることだ。そしてそれは、われわれが抑圧された諸階級の意図的な断片化に対抗して、搾取する者と搾取される者の間の連帯に対抗する団結を築くべきであるならば、必要なことなのだ。
 われわれはまた、労働組合のスローガンにも焦点を当てたい! 「ノー・ウォー」と言ったり書いたりするだけではなく、それに挑む積極的な諸方策がとられないならば、戦争が何に導くかを説明することもまた重要だ。
 ボナパルトのフランスの対オーストリア戦争の中で、フランスは、偽善的にこの戦争を「イタリアの解放」と宣伝する中で、イタリア民衆の解放を求める熱望を沈めようと期待した。人々はそれゆえ、「諸民族の擁護者」と「解放者」の仮面を支配者から取り外すことを彼らの義務とみなした。それはまさに、ロシアで今活動家たちが、独裁者と彼を生み出したシステムの血塗られた顔を示そうと闘い続けていることと同じだ。2022年2月24日以来、古いイタリアのフレスコ画に描かれたキリスト教の敵が実はプーチンであることが、公式に確証されてきた。
【マリー】ロシアでは現在、ロシア人に馴染みの抗議形態、たとえば集会やピケットは簡単に弾圧される。都市の中心でポスターを携える民衆は、2、3分のうちに拘留される。サンクト・ペテルブルグとモスクワでは、反戦集会は本当に大規模だった。カザンでは人びとが主な街頭に繰り出した。
 しかし、人々にとって共同して行動する機会は相対的に僅かしかなかった。ついでだが、ロシア人の集会の悲しい特徴のひとつは、ひとびとが警察に抵抗すること(警察との戦闘に入ること、あるいは単に彼らの同志たちを守ること)を恐れている、ということだ。その理由は、彼らが、そうするなら刑事訴追される、と脅されているからだ。
 警察機関や国家保安隊員は不可侵の地位を与えられ、それゆえこれらの執行官たちは、街頭で彼らの権力を感じ取り、彼らの方角に紙コップを投げただけでも抗議参加者たちに罪を着せる用意ができている。このすべてが、共有された要求を主張するために結集する人々をさらに分断している。
 それこそが、今までとは異なった傾向が今勢いを得つつある理由だ。つまり、「目立たない」抗議、あるいは短期間かつ奇襲的な諸行動やパフォーマンスだ。目立たない抗議と言う場合私は、人々が匿名的に、また目撃者がいない形で行動している事例を言っている。
 これは、リーフレットの単純な貼り出し(今はそれもまた処罰の対象になっている――戦争に関する「偽情報」やロシア軍部隊の信用を傷つけるものすべてを広げた者を起訴する新しい法が出現している)から、軍要員登録・兵籍編入事務所への放火、あるいは鉄道路線でのいわゆる「パルチザン行為」といったもっと過激な行動までがあり得る。そして後者には、鉄道を破壊し、列車を止めているいくつかのロシア内匿名グループが含まれていた。貨物列車の脱線に関するニュースは毎週ある。
 この情勢における左翼について言えば、左翼界隈で聞かれるもっとも共有された考えは、労組と職場内自己組織の創出を巡るものだ。

帝国主義政策が求めた哲学

――「ルスキー・ミール」というツアーリ時代とポストソビエトの観念は逆説的だが、「ロシアの世界」と「ロシアの平和」の双方として訳すことができる。ロシアの労働者階級民衆――特に女性――の現在の闘争と感情はどういうものか? そしてそれらは、この戦争に伴われた「ルスキー・ミール」の哲学とどう関わっているのか?

【マリー】私は「ロシアの世界」という理念を次のように理解している。つまりそれは、ロシア人は何らかの大きな悪(通常ここでは、欧州と米国が意味されている)と戦うという最高の使命をもった神に選ばれた民、という理念だ。すなわち、そこに込められた意味は、ロシアの最高の使命のために民衆の権利が抑圧されることになる軍事国家の創出だ。そしてそれがキリスト教の敵から世界を救い出す、ということだ。私の考えでは、この観念の中で労働者階級は、支配階級の意志のもの言わない実行者という役割をあてがわれ、それゆえいかなる抗議も裏切りと受け取られる可能性がある。
 ロシアにおける現在の現実では、そうした考えがTV画面上でしばしば閃光のように現れている。しかし国家のプロパガンダはこれらの理念に加えて、矛盾したイデオロギーの切れ端の束一切合切を集めてきた。こうしてそのプロパガンダは、シンボルとしてのZ文字同様、本質的に何ものも表現していない。
 TVは「ロシアの世界」についてわれわれに語りかけるだろう、そして同時にソ連邦について思いをはせる(輸入代替という脈絡では、これについて語ることは今非常に利益になる)だろう、しかしまた自由主義者を喜ばせて、最終的にレーニンを葬るよう呼び掛けるだろう。
 「ロシアの世界」に対する労働者の姿勢について語ることは難しい。イデオロギー的なまた首尾一貫したファシストは依然ほとんどいないが、むしろ労働者階級は今政治的無関心であり、彼らの薄くなる財布や店で高まり続ける諸物価にもっと関心を向けている。しかしながら、戦争の結果がどうなろうと、社会内の右翼的復讐心という危険があり、われわれはこれに準備を整えなければならないだろう。
【アナスタシア】「ロシアの世界」〔という考え〕は、改宗――ロシアやそれ以外の領域に暮らす異なった民族性と信仰をもつ人々を「ロシア正教」に変える――という考えを含んだ植民地主義のレンズを通して、ロシア人性と選民性という観念を前に進めている。「ロシアの世界」の観念は、「ナチスからのウクライナ解放」という国家の理念に完全に合っている。それでも、この考えは原因ではなく結果だ、という方がもっと正しいと思う。つまり、国家の侵略的な帝国主義政策と資本主義政策の結果であり、これらの政策がまた、家父長的な超構造をも作り上げてきた。田舎であろうが都市であろうが、労働者階級出身の女性は終わりのない労働者であり、この「ロシアの世界の哲学」は、女性を含む労働者階級の民衆に直接関わっている。

民衆の道具化と女性の奴隷化

――フェミニストたちは、プーチン下のロシアにおける、異性愛を規範とする保守的な「家族の価値」の成り行きについて、またハンガリー、フランス、インドといった他の国の極右と彼の政府の協力について、書き、話してきた。あなたたちは、この社会的・文化的な、また経済的な移行をどのように性格付けようと思うか? またそれは、ロシアのウクライナ侵略という政治にどのように生気を与えているか?

【アナスタシア】民衆内に懐疑主義、植民地主義、また外国人嫌いを温存している法とメディアのプロパガンダは人々を、帝国主義の配列を通して世界を見るよう仕向けている。そしてその世界には、「悪人」(第5列、「民族の裏切り者たち」)、「善人」(ロシア人)、そして「善人」の代理としての権威ある者(指導者)だけがいるのだ。性差別主義と他の差別諸形態と抑圧は、資本主義社会の構造の中で道具化されている。そしてその社会は、民族主義と帝国主義の目標の利益となるようあらゆる制度的なレベルで異性愛の規範性を打ち固めるために、女性の社会的かつ生殖に関わる労働力を全面的に利用している。
 ロシアの資本主義社会は、あらゆる危険を冒す〔その社会の防衛の中で〕つもりのある「それ自身の」民衆――「ロシア人」(理想的には男、しかし女も同様に、そして時にはそれ以上に使いつぶされる可能性がある)――を必要としている。彼らはそのようにして死んだ。
 たとえば〔アレクサンドラ〕コロンタイのパンフレットは「あらゆる兵士たちに問え……彼らは何のために戦っていたのかと。……何のために彼らは人民をそこなったのかと。彼らは黙り続けるだろう、彼らは本当のところその理由を知らないからだ」と語っていた。
 ロシア国家と女性の間では一種の奴隷化の取引が確立されてきた。すなわち国家は、女性の傷つきやすい立場を利用し、彼女たちを不利な立場に置き、〔経済的な〕「最大限活用」〔の議論〕、およびロシア連邦憲法第7条〔社会的保護を保障〕によって社会的諸制度への支持〔という主張〕の背後に隠れている。われわれもまた「母性資本」(母親への手当)の額とシングルマザーへの手当支払いを増やすつもりだ、心配するな、あなたたちにはあらゆるものが提供される、国家はこのように語っている。そうであっても女性は今なお、ある種の奴隷化された立場にとどまっている。

国内のファシズムに闘い挑む

――可能であれば、ロシアのウクライナ侵攻翌日の2月25日にロシアで誕生した「フェミニスト反戦抵抗」の組織化の努力と戦術と目標に関するコメントをお願いしたい。あなた方はこの運動を、「ソビエト女性反ファシスト委員会」の継承組織と見るのか?

【アナスタシア】現時点での「フェミニスト反戦抵抗」(FAR)の主な目標は、外国の敵――ヒトラーのナチス・ドイツ――に反対した「ソビエト女性反ファシスト委員会」とは対照的に、国内のファシズムおよびロシア帝国主義と対決する闘いだ。
 FARは〔ロシア内で〕最大の反戦の組織的勢力で、様々な被抑圧グループ、つまりフェミニスト、正規に承認されていない民族グループ〔すなわち、当該の地域で有力である民族以外の民族集団〕、労働者、クイアー、他のアイデンティティをもつ人々(MOGⅡ〔として言及された人々を含んで〕、周辺化された、あるいは多様な指向、ジェンダー・アイデンティティ、またインターセックス)、から構成されている。
 この仲間はロシア内で直接差別に直面しているがゆえに、それはそれ(外国人嫌い、熱を帯びた愛国主義、民族主義、経済的不平等、など)と対決して闘うよう強いられている。
【マリー】「ソビエト女性反ファシスト委員会」とFARを比べるという考えはむしろ奇妙のように見える。悲しい皮肉がある。つまり、ソビエトの女性はソ連邦に侵攻したナチの占領者と戦ったのだが、他方ロシアのフェミニストは、戦争および彼女たち自身の侵略国内部にあるファシズムに反対して今戦っているのだ。
 FARの活動の点では、さまざまな潮流のフェミニストが運動に参加している。それゆえそれは、それらのさまざまな行為を特色にしている。ほとんどの部分の場合、活動家たちは、奇襲的な行動の組織化やさまざまな方法による戦争に関する情報伝達への挑戦に取りかかっている。
 私は、他の組織との〔FARの〕共同ストライキ基金構想――「怠業」また「反戦病休」――を好んでいる。現在ロシアでは、戦争反対の職場ストライキに対する準備はない。しかし、戦争反対の立場のために解雇された者たちとの連帯や彼らへの支援は今非常に重要だ。巨大な経済的動乱が来るのはそう遠くはないだろう。そしてわれわれは、共に連帯を学び、階級意識を獲得しながら、前もって活動を積んでおく必要がある。

侵略的政治が分離主義を強化


――われわれは、ウクライナ・EU境界で多くのレイシズム事例を見てきた。グローバルサウスの同志たちは、ウクライナの抵抗に対しては提供されたが、しかしたとえばパレスチナ、イエメン、イラク、またアフガニスタンの人民には提供されなかった人道/軍事援助を通して、また国際法を通して、この両者で表現された西側の偽善を糾弾してきた。ロシア内でレイシズムはどのようなものか? また反レイシストであると同時にプーチンの戦争に反対するということには、どのような意味があるか?

【マリー】ロシアでは、国家のプロパガンダが、注意をそらし、ウクライナ侵略を漆喰で隠すために、米国の軍事行動に言及することを非常に好んでいる。これは、抗議運動の中でたとえばイラクでの戦争のような話題を取り上げることが幾分問題になる、ということを意味している。これがロシア国家との連帯として受け取られかねないからだ。それは、ウクライナにおける戦争を、真空の中で、諸国家を互いに戦うよう押しやる経済的な原因に対する分析抜きに、描くものと見られる。しかし、これ(もっと幅広い国際的な脈絡)について話すことが必要なのだ。まさに目的は、資本主義システムでは戦争が避けられず必然である理由の理解だ。
 国内的な諸対立について話せば、国家は今民族的マイノリティに向け下劣な政策――ロシアの諸民族内部で戦時の連帯を言明するという方法で彼らにロシア人のアイデンティティを被せる(私は、「われわれはチュヴァシ人、またロシア人」というようなスローガンに出くわしたことがある)――を実行中だ。同時に、貧しくされた地域出身の民族的マイノリティグループの成員たちもまた戦争に送られている。結果としてこれらの人々は、そうした価値――「ロシア人」また盗まれた洗濯機〔ウクライナでロシアの兵士たちによって〕――のために死に、彼らの家に送り返される。
 ロシア内に分離主義の理念が広がるとしても私は驚かないだろう。つい最近私は、ひとりのカルミーク人が、レイシズムおよび戦争以前から存在していた民族的マイノリティに対する外国人嫌悪を批判する、「ノン・ロシア人」の題字を施した何枚かの布を放り投げるのを見た。
【アナスタシア】ジュディス・バトラー(ユダヤ系米国人哲学者、現代フェミニズム思想を代表するひとり:訳者)は、新手の「解放の」ファシズム(バトラー流の皮肉な表現として)について書いている。それによれば、社会の貧困層の成員は、他の社会の貧困層成員を憎悪し、彼らのレイシズムに恥を覚えない能力を身につけた。おそらく事例としては十分に適切とは言えないが、私はすぐさま、私の子ども時代の話を思い出す。つまり、私のタタール人の祖母が、村の隣人と交際することをどれほど許さなかったか、という話だ。彼女はその隣人を「ジプシー」と呼び、「お前はジプシーと交際してはいけない、そうしないと彼らは私たちから何かを盗むだろう」〔と語った〕。
 隣人がロマだったのか、タタールだったのかは分からない。私が思い出すのは、私の友達が「われわれとそっくり」と私の祖母に示そうとどれだけ試みたか、ということだ。そのような民族間対立は、さまざまな民族コミュニティをバラバラにすることを目的とする、熱を帯びた愛国主義政治の結果だ。
 私はタタールだが、私の外見が典型的なタタールとは異なり、また私にはタタールのアクセントがないために、レイシズムの差別には遭っていない(私のタタールの知人とは異なり)。こうした脈絡において、ロシア連邦からのいくつかの共和国の独立宣言がひとつの意味をもつ課題になる(私は、タタールスタンが独立を宣言し、ひとつの自治共和国になってほしい)。
 中心国の民族主義と植民地の民族主義間の違いを理解することが重要だ。後者はロシアの侵略的政治の結果であり、前者は、自民族中心主義と人種的(民族的)差別の政治であるからだ。
 プーチンの帝国主義的野心が民族的マイノリティを殺しつつある、ということをはっきり理解する必要がある。ニュースの中では間違いなく、この戦争が進行する中でタタールスタン、ブリヤート、また他の共和国出身の民衆が死に続けている、という報道が現れているのだ。たくさんの数だ。

NATOとロシア共に平和の敵

――この侵略以後左翼は、国際的に、「NATO対ロシア」という何らかの型を巡る、特にNATO諸国からのウクライナに対するもっと多くの「武器援助」呼び掛けを巡る論争に没頭させられてきた。あなた方はこの二項対立をどう考えるか? それは間違った二項対立か、もしそうならば、どのような意味でか?

【マリー】ロシアのプロパガンダはこの対立を大いに好んでいる。彼らはわれわれをロシア国境上のNATO軍で怯えさせることができ、ウクライナでのロシアの戦争犯罪を正当化している。同様だが、NATOはわれわれを糾弾するが、しかし彼らがどのように自ら戦争を行ってきたかを思い起こそう。
 私は、NATOがウクライナに関しそれ自身の利益をもっていることを無視はしない。しかしどちら側も〔NATOもロシアも〕ウクライナ人とロシア人に平和をもたらしてはいない。私は、戦争がまさに始まった時、ウクライナ人が空域を閉じるよう〔飛行禁止ゾーンを設定するよう〕NATOに求めて声を上げたことを思い出す……だがそれは起きなかった。平和と民主主義をもたらすと思われたこれらのヒーローたちは、ロシア軍がウクライナの都市を爆撃するに任せた。
 NATOは、利他主義的に危険を引き受け、他の諸国を救出し彼らに平和をもたらすような、おとぎ話に出てくる高貴な騎士といった言及は幻想だ、とはっきり言いたい。同時に人は、「NATO」という言葉への憎悪で歯ぎしりする者たちからだまされてはならない。ロシアは社会主義の国家ではなく、ソ連邦がそうだったように、資本主義世界への価値ある敵対者でもなく、欲望を高めている帝国主義の略奪者なのだ。そして社会主義者の親ロシアの立場は……何とも、どれほど高くつくことになるだろうか。
【アナスタシア】「NATOはウクライナ内の紛争に直接の介入はしないだろう」、一方「ロシアはウクライナでの勝利を許されてはならない」、というドイツのオラフ・ショルツ首相の矛盾した言明は、単純におかしい。私は知りたいのだが、EU議会、オラフ・ショルツ、ジョー・バイデン、エマニュエル・マクロンは、天然ガスや石油を買うことでロシアのスポンサーになることをやめるのだろうか。それでもあらためて、ともかくも、資本家たちは彼らが公然と糾弾している者のポケットを選ぼうと試みていることが結局分かる。

戦争で利益得る者との闘い共に

――ロシアの侵略に対するウクライナの抵抗、またロシア内の反戦運動、この両者との国際的な連帯はどのようなものであるべきか?

【マリー】ロシアでは現在、反戦運動がもつ性格が「道徳的」なもの―――政治的無関心な大衆に対する平和主義的スローガンと正義感の訴えに基づいた―になっている。私は少なくとも、運動参加者の勇気と正直さを見くびることはしないが、民衆全体が道徳的動機それだけで完全に反逆することはありそうにない。
 ロシア人は今まさに、医薬品不足や価格高騰に気を取られている。しかし制裁の作用が全面的な規模で打撃になる時、何が起きるだろうか? ロシアの左翼にとっては今、住民の高まる不満を注意深く見守り、労働者が協同するのを助け、ビジネスを救出するために侵害されようとしている諸権利を守るのを助けることが極めて重要だ。
 同時に、この戦争から実際に誰が利益を得ているのか、それに誰が資金を出しているのか、そしてロシア経済の危機からの困苦が誰の背に負わされるのか、それらについて話すことも必要だ。革命的な情勢が近づこうとしているのかどうかは時が告げるだろう。しかし左翼が眠り続け、それへの備えをしないことは犯罪になるだろう。
 反戦の立場からは、真空の中に存在しているわけではないロシア帝国主義にだけ反対しないことが重要だ。2015年から2020年までだけで、EUの10ヵ国がロシアに、3億4600万ユーロ相当の軍装備を輸出した。たとえば特にフランスは、抗議行動を抑え込むための装備品1億4200万ユーロ相当を売却した。こうして、ロシアの独裁を育ててきた、またウクライナ人の死と困苦から今利益を得続けている、そうした他の国家や資本家を批判することも必要になる。
【アナスタシア】何人かのロシア人は、ロシア軍により破壊された町をウクライナ人が再建するのを助けるために、戦争後にウクライナに行くつもりになっている。しかし、ウクライナ人がロシア人にこれまで訴えてきたこと、また今訴え続けていることのただひとつとは何だろうか? 戦争を止めろ、それに抗議せよ、それを妨害せよ、そして頼んでもいない助けを押しつけるな、だ。今は、「私に責任がある」、「われわれに責任がある」、「あらゆる者に責任がある」といった混沌に陥らず(罪の感情が生産的な行動と反戦の行動の妨害になる以上)、われわれの集団的責任を把握することが重要だ。
 自由に話せるリベラルは、「われわれ」すべてに責任がある、「われわれ」はひとつの国民として破綻した、といった議論、またそれに類したことを非常に好んでいる。彼らの膨らませたエゴは集団的責任の概念を俗悪化し、彼らのこれ見よがしの罪の感覚をあらゆる者に移し換える。そのような立場は、「破綻した国民」〔われわれはそうした国民という考え〕をもてあそんでいる。それでもひとつの国民として誰が破綻したのか、タタールか? カルミークか? キルギスか? ウズベクか? フィン・ウゴルか?
 われわれの国際的連帯はまさに今、ウクライナを利する賠償支払いが基礎にならなければならない。私はこの方法は正当化され得るを信じる。その理由は第1に、プーチンと彼の支配がロシア人の生活をどれだけ悪化させているか、また20年以上の間どれだけそうしてきたか(年金改革、健康管理の「最大限活用」、過剰な死、暴力諸機構をまかなう税、国家の高官やオリガルヒ向けの宮殿、その他)、に比べれば賠償は小さなことだからだ。そして第2に、ウクライナでの戦争がロシアのマネーでまかなわれているのであれば、その後このマネーで傷を負わされた側をなぜ助けないのか?
 賠償は何よりも富裕層、つまり公人、ノーメンクラトゥーラ、オリガルヒ、ビジネスマン、その他、によって払われなければならない、ということをはっきりさせることも重要だ。彼らの没収された財産だけでも、ロシア軍がウクライナに加えた損害の半分を弁済することができると思われる。(「ミッドナイト・サン」誌より)(「インターナショナルビューポイント」2022年5月13日) 

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