政府の「危機管理」こそがリスクだ

新型コロナウィルス・パニックが明らかにしたこと
未来は地域的連帯創出の先に

グローバル経済と感染症は不可分の関係

 昨年一二月に中国・武漢で発生が確認された新型コロナウィルスは、今年一月二〇日から二三日にかけて習近平国家主席が感染を封じ込めるための「重要指示」を出し、政府が武漢市の封鎖を決めたのと前後して、全世界に大きな衝撃を与えはじめた。この時点で感染はすでに全世界に広がりつつあり、その後の感染拡大と重症化は当初の印象とかなり異なり、日に日に深刻さを増してきた。
とはいえ、多くの専門家が指摘するところによると、今回の新型ウィルスは感染性が非常に強いが、感染者の多くは症状が軽く、普通の風邪のような症状があるだけであり、基礎疾患保有者、高齢者などでは重症化の確率が高くなるものの、通常のインフルエンザや肺炎での死亡のリスクと比べても、それほど大きな脅威ではないと考えられる。
遺伝子組み換え作物やゲノム操作などさまざまな問題で人間の自然との関わりについて警鐘を鳴らしてきたジャーナリストの天笠啓祐氏は「新型肺炎のパンデミックに対応する手段はあるか」(「週刊金曜日」二月七日号)で次のように述べている。「(感染症は)現代社会が経済を優先し、グローバル化を推し進める以上、拡大を止めることはできない。これからも新型ウィルスの登場によって、人間社会は脅かされ続ける」、「免疫力アップが唯一の自衛策」と述べている。
感染症は歴史的にも、グローバル化に伴って猛威を振ってきた。グローバル経済と感染症は不可分の関係にある。
生物学者の福岡伸一氏は「週刊文春」三月五日号のインタビューで、ウィルスと人間の関わりについての過去の経験からの知見をもとにウィルスについての誤解やメディアの過剰な報道について指摘し、「新型コロナウィルスは数年後にはインフルエンザのような日常的な病気になるでしょう」、「誰もが罹る可能性があるし、誰もが保菌者になる可能性もある。できるだけ自分の免疫システムを信じるのがいいですよ」と述べている。
もちろん現実に感染が拡大し、重症や死亡のリスクがある以上、感染拡大防止や重症化や死亡を増やさないための対策は必要である。中国共産党官僚の混乱した対応や自己保身のためにコントロール不可能に近い状態まで広がった感染を必死で食い止めようと苦闘している武漢の医療労働者をはじめ全世界の医療現場や地域で献身的に頑張っている労働者がその先頭に立っている。
現実にはウィルスの「収束」はまだ見通しも立っていない。長期にわたる対策が必要となるし、たとえ一時的に収束しても新たに進化したウィルスが発生する可能性がある。

コロナウィルスが顕在化させた究極の階級対立としての「安全格差」

 新型コロナウィルスは現段階では検査で検出されない可能性が大きく、検査で陰性であっても数日後に感染が確認されるケースもある。しかも感染が確認された場合でも特別の治療法があるわけではない。したがって天笠氏や福岡氏が言うように、免疫力を維持することが最大の防御である。具体的な策としては体調が悪い時は休む、症状が悪化する場合は医療機関に相談する、狭い空間に長時間、人が集まるのは最小限に留める等である。
問題は、体調が悪い時は休む、悪化したときは病院に行くという最も基本的なことが現実には非常に難しいことだ。現実には、仕事を休みたくても休めない、病院に行きたくても行けない人が圧倒的に多い。しかも今日の都市社会では狭い空間に長時間、人が集まることが制限されるとたちまち社会・経済のシステムに大きな支障をきたしてしまう。言い換えれば、効率とコスト削減のためにそんな持続不可能な社会・経済のシステムを作ってしまった結果、感染には極めて脆弱な社会になっているのである。
安倍首相が二月二七日に突然発表した全国一斉の休校の「要請」をめぐって噴出したのはこの問題である。
「今回の『休校』では、またひとつ、格差が剥き出しとなった。子どもの世話をしてくれる親が近くにいる人や、お金を払ってプロに頼める人がいる一方で、自分が働かなければたちまち生活が破綻する母子家庭がある。そうして新型コロナウイルスで仕事が流れても、貯金があって大して痛くない人もいれば、蓄えなどまったくない人もいる。・・・まさに『溜め』のあるなしが今、残酷なほどに分かれている。そして今の悲劇は、日本で一番くらいに『溜め』がある人が政策を決めているということだ」。(雨宮処凛「新型コロナウイルスと『非国民』バッシング。非常時には格差がむき出しになる。」三月五日付ブログより抜粋)
まさに究極の階級対立としての「安全格差」である。

彼らの「危機管理」とわれわれの未来


コロナウィルス感染は中国・日本・韓国だけでなくイタリア、フランス、米国等でも拡大し、さまざまなパニック的状況、特にヨーロッパの一部の国におけるアジア人への暴力的排斥を誘発している。これは実際の脅威のレベルとは不釣り合いなパニック反応である。
「Zネット」のウェブに掲載されているスレッコ・ホルバット氏(クロアチア出身の哲学者)の「コロナウィルスへの大いなる恐怖―スーパーマーケットでのパニック」(三月四日付)は、トイレットぺーパーや食料品の買い占めなどのパニック的状況について、人々の不安には根拠があり、それは「世界のいたるところで、安全が脅かされているという感覚が支配的になっている。まさに『終末感』、差し迫る脅威という感覚である」と指摘している。
ウィルスは目に見えないので、スケープゴートを探す。それがレイシズムや排外主義を引き起こす。確かに、気候や環境の危機、自然災害、移民をめぐる社会の危機、生存の危機を背景として社会に蔓延している不安、恐怖そして「終末感」が、ウィルスを引き鉄にして噴出しているのかもしれない。
買い占めなどのパニック的反応の背景には政治への深い不信があり、過去にもそのようなパニックが農民反乱や都市反乱の予兆となった多くの事例があるとホルバット氏は述べている。
反乱の予兆となるかどうかは別として、感染や自然災害に対する人々の反応は、「平時」の、資本主義の効率と競争の論理を超えたところでの連帯や協同のきっかけとなる可能性がある。
ウィルス感染のリスクを前にして、政府の危機管理能力をあてにするのは最大のリスクである。そもそも政府の「危機管理」というのは、「人々の安全」を守るためではなく、まず「国家の安全、治安、経済活動」を守るために立案されている。それは情報を隠蔽・操作し、人々の批判や自主的行動を禁圧し、「必要」によっては何百万人の犠牲も厭わない冷酷なシステムなのである。
安倍政権はウィルス対策にかこつけて、そのようなシステムを準備しようとしている。特措法に名を借りた「非常事態」権限の導入がそれである。
こうした「危機管理」の先にわれわれの未来はない。われわれの安全は政府の号令ではなく、地域・現場でのコミュニティーの連帯と創意によってしか守れない。政府はそのために必要な情報と資源を提供すればよいだけだ。
われわれは社会に蔓延している不安、恐怖を共有し、身を寄せ合いながら生き抜き、その中から安全格差を打ち破るわれわれの未来を構想していこう。(小林秀史)

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