新ガイドライン関連法反対闘争の総括のために

抵抗線を築きあげ、戦争国家体制形成と対決する政治闘争の再建を

戦後憲法的国家原理の終焉

 五月二十四日、参院本会議で新ガイドライン関連三法案が成立した。日本の領域を超えて、自衛隊がアメリカと協力して「後方地域支援」を名目に戦争に参加するガイドライン法を軸に、憲法を建前とした戦後の国家原理の根本的な改変が法的に完成されつつある。すでに今国会で、盗聴法などの組織的犯罪対策三法案、国民総背番号制をめざす住民基本台帳法改悪案、国家の危機管理機能の飛躍的強化をめざす中央省庁再編法案や地方分権一括法案の成立がもくろまれている(すでに衆院を通過した)。また「日の丸・君が代」法案も上程された。
 政府は六月十七日に期限が切れる通常国会の会期を八月も延長し、諸法案を一挙に成立させようとしている。自民・自由両党連立の小渕政権は、公明党を事実上の与党として抱き込み、民主党を牽制しながら、「ガイドライン安保国家」=「参戦国家」の基盤を打ち固めようとしている。それがNATOのユーゴ爆撃のような事態を、自らも率先して推進する「戦争ができる普通の国家」づくりを意味することは言うまでもない。
 それに加えて、金融・経済危機の中での五%に達する失業や、旧来の労資関係を改変しリストラと雇用破壊を一挙に推し進め、労働者の権利を剥奪する労働者派遣法や職業安定法の改悪を見るとき、政府・支配階級が民衆の「将来への不安」を利用しながら、「強力な国家とリーダーシップ」を求める気運を意識的に作りだしつつあることは明白だろう。そうした気運が新ガイドライン法の成立を促進する基盤となっているのである。ガイドライン関連の戦争協力法は、こうして本格的な有事(戦時)法制と、それを正当化していくための憲法明文改悪に直結する力学を内包している。
 戦争協力法の基本的な性格は、後藤田正晴や箕輪登といった閣僚経験のある保守政治家の一部からさえも危惧の念が語られている。
 「解釈改憲」のギリギリの枠組みをも超えたガイドライン関連法の成立は、憲法と実際に進行する「戦争ができる国家・社会体制づくり」の矛盾を、もはやそのままでは耐えがたいところにまで深めてしまった。自民党と連立を組む与党の自由党は六月七日の党大会で、「真の改革のためには憲法の見直しから始めなければ」(小沢党首)と主張し、改憲のための国民投票法案を議員立法として提出する方針を打ち出した。自民党次期総裁への意欲をみなぎらせている山崎拓前政調会長も、「平和に対する積極的貢献」という立場からの改憲を、総裁選挙出馬への政策の柱として表明している。六月十日には連合内の旧同盟系労組によって改憲を目指す「憲法論議研究会」も発足した。改憲準備の憲法調査会の設置のための国会法改悪も民主党議員を巻き込みながら進められようとしている。
 こうしてわれわれは、まさにガイドライン関連法の成立を決定的な画期として、新たな戦争に当然のように参画する国家体制にどのように対決していくのかという課題に向き合うこととなっていくのである。
 われわれは一九九六年四月の日米安保新宣言、一九九七年九月の新ガイドラインの確定以来、沖縄の反軍事基地闘争と連帯して、新ガイドライン関連の戦争法案・有事法体制と闘うことを最大の政治課題として取り組んできた。
 いまわれわれは、この闘いによってあらためて明らかになってきた政治構造と対決しながら、大衆運動の新たな課題をさぐっていく作業に取りかからなければならない。そのために、一九九二年のPKO法案反対闘争との対比の上で、ガイドライン法反対運動の幾つかの特徴をえぐりだしてみよう。

92年反PKO法闘争と現在

 PKO法反対闘争は、ソ連・東欧の官僚支配体制が崩壊し、一九九一年の湾岸戦争で国連を中心とした「国際貢献」のイデオロギーが大きく吹き荒れる中で、社会党に代表された「護憲」の旗印が「一国平和主義」として批判され、社会党が最後的に安保・自衛隊容認に転換していく過渡期の闘争であった。
 当時、参院においては一九八九年参院選での土井ブームによって社会党が最高の議席を獲得した勢力関係のままであった。土井たか子委員長は、公明・民社との協力関係に踏み込もうとする「連合」の意を受けた右派の圧力で一九九一年に退任し、田辺誠委員長体制の下にあったが、社会党内には「護憲派」としての左派が衰退しつつあったとはいえ、いまだ党内に決して少なくない影響力を持っていた。
 一九九二年六月三日から十五日まで、連日衆参両院議員面会所前を深夜まで埋めつくし、時には徹夜の闘いで、社会党国会議員の「牛歩」での抵抗を引き出した原動力となったのは、社会党「護憲派」と国労、都職労など全労協に結集する左派労組、そして市民運動のブロックとして形成された「憲法違反のPKO法案を廃案へ! 全国実行委員会」の闘いだった。
 当時われわれは、この運動の持っていた性格について「そこでは客観的に見て、『護憲』を基盤にした社会党の議会内闘争と、国会を取り巻く市民のブロックが成立していた……。さらに言えば、社会党の議会内抵抗闘争を徹底的に『尻押し』する運動という位置を、この国会前の運動は持っていたのである」と評価した(『世界革命』92年6月29日号、平井純一「総括のために――反PKO闘争めぐる政治構造と当面する課題」)。
 しかしわれわれはこの「議会内抵抗闘争」への「尻押し」としての議面前闘争の構造に高踏的な批判を加えたというわけではない。むしろわれわれは深夜まで議面前に集まった人々の中に「『政治』をじかにこの手で動かしたいという一種の『直接民主主義』的エネルギーが満ちあふれていた」と捉えた。
 そして、「憲法や議会や野党にそれ自体として幻想を抱いているわけではない民衆の行動が、有効な政治表現としては『議会主義的尻押し』としてしかありえなかった、この矛盾を、自覚的に克服課題として引き受けること」、すなわち「議会内闘争に議会外的直接行動や、『生産点・生活地域』の運動を単純に対置することではなく、国会内法案審議をも直接に統制することのできるような広範な運動の陣形を様々な課題を担っている人々を重層的に結びつけるような形で作り上げていく闘い、必要とあらば『国会』に一点集中していくような運動の広がりを模索していくこと」が必要だ、とわれわれは主張したのである(前掲論文)。
 いま振り返って見ると、ここには、かつての社共・総評運動構造が全体として崩壊している中で、その残滓の中から新しいものを生みだしていくために全力を投入しなければならない、という期待が反映されていた。そしてこの社会党の最後の「野党」的抵抗闘争たる反PKO法闘争の敗北以後、われわれは反PKO闘争の中に表現された「落差」と「矛盾」を埋めることに成功しなかったのである。

闘争の構造を防衛する闘い

 反PKO法闘争との対比で見たとき、われわれは労働者民衆の集団的意思表示としての政治的大衆運動のスタイルがギリギリにまで後退した現実を見ることができる。とりわけ、議会内的抵抗と結びついた国会に向けた大衆運動のダイナミズムという「伝統的」スタイルはついに形成されなかった。
 反PKO闘争においてまがりなりにも成立した、社会党左派系を中心にした「全国実行委員会」的イニシアティブはガイドライン反対闘争においては存在しなかった。とりわけ旧総評系労働組合のガイドライン反対闘争への結集は、東京を見るかぎり、九七年十一月以後六次にわたって行われた「戦争協力を許さないつどい」への全労協系労組の参加を除いては、見る影もなく衰退した(大阪のユニオンネットワーク、九州地方の平和センター系労組の活動など、地域的には異なる例もあるが)。
 とりわけ首都圏の全労協系の運動の中で、労基法改悪、派遣法・職安法改悪に反対する運動で牽引車的な役割を果たした民間労組の新しい戦闘的活動家と新ガイドライン反対闘争の乖離は顕著なものがあった。それが「連合」指導部の新ガイドラインの容認や社民党の極小政党化に規定されたものであることはもちろんだが、対国会闘争において労組や旧社会党勢力のイニシアティブの完全な消滅にかわるものを、運動の側が作りだせなかったことは冷厳な事実である。
 もちろんわれわれは、かつての社会党に代わって日本共産党がガイドライン反対闘争において重要な役割を果たしたことを見ておくべきである。それは宗教者の「平和を求める」集い実行委員会と、海員組合、全国港湾、国労、航空労組連絡会など戦争協力法反対の共同声明を発した陸・海・空・港湾の交運関係二十労組の共同呼びかけによる「ストップ戦争法!5・21全国大集会」への五万人の結集に端的に表現された。
 共産党は一方では、「安保維持」の「暫定連合政権構想」を打ち上げつつ、とりわけ今年になってからガイドライン法案反対闘争に全力を注いだ。共産党はその際、より柔軟な共同行動方式を採用し、従来ならば「反党分子」「ニセ左翼暴力集団」として当初から排除の対象にしてきた団体や個人に対しても取り込もうとする方針を取った。
 「戦争協力を許さないつどい」や「新しい反安保実」、そして婦人民主クラブなどの国会行動も、共産党議員の協力なしには不可能だったことは確かである。しかし、それはいまだきわめて不安定な基盤の上に成立しているものであって、そのことによって共産党をふくんだ大衆運動の新しい政治的構造が作られつつあるということはできない。われわれは共産党の市民運動への窓口を拡大する一定の戦術的転換と、共同行動へのセクト主義的姿勢の手直しのきざしを歓迎するが、市民運動や労働運動全体の力量の低下の中でそれが進められていることによる限界についても見据えておかなければならない。
 すなわち大衆運動の側から共産党のセクト主義を統制するという関係は成立しておらず、それがともすれば共産党の力へのぶら下がりに容易に転化する可能性をもふくんでいるからである。
 こうした中で、沖縄反基地闘争との連帯を一貫して掲げつつ、一九九六年初頭の第一期から三期にわたって積み重ねられてきた「新しい反安保闘争をつくる実行委員会」に結集するわれわれをふくむ流れは、反戦運動全体の後退期の中で、新ガイドラインと「戦争ができる国家・社会体制」形成に対する持続的抵抗線を築く上で重要な役割を果たした。それはまた、中核派の徹底して党派色を隠した「百万人署名運動」による囲い込み路線から、「内ゲバ主義反対」の原則をあいまいにすることのない大衆運動の構造を防衛しようとする困難きわまる闘いでもあった。
 「新しい反安保実」の運動は、全国FAX通信や四次にわたる全国共同行動を通じた、全国各地の反基地・反ガイドライン運動との相互協力関係の形成や、国会議員へのロビー活動をふくむ衆参両院での審議の過程での「議面行動」などの対国会闘争の「場」の設定など、力量以上の多くの活動を担わなければならなかった。その意味で一九九二年の反PKO闘争で、反天皇制運動や地域の反基地運動、国際連帯運動、市民運動などを横断的に結んで作られた「〈フォーラム〉海外派兵を許すな!」が果たした機能よりも運動主体の規模は小さかったとはいえ、「反安保実」が戦争協力法案反対運動においてコーディネーターとして果たした任務は、むしろ過重なまでに拡大していた。
 われわれは運動全体の流れの中では、必ずしも直接的な「成果」をもたらしたとはいえないが、全国的政治闘争の枠組みを維持する上では最低限必要だったこうした闘いの上に、戦争協力法案の発動を阻止し、「戦争体制」を可能とする支配階級の新たな攻勢に立ち向かう次の闘いの準備を急がなければならない。支配体制の作り替えは、自自公の事実上の連合の下で予測を上回るピッチで進行している。残された時間はあまり多くないのである。

戦争法への不安と抵抗の拡大

 ガイドライン関連法は成立したとはいえ、国会審議を通して戦争法に対する人々の危惧と不安はむしろ日を追って拡大してきた。マスコミの世論調査でも、審議が進んだ四、五月にはガイドライン法案への賛成の比率は減り、反対と「わからない」の比率が増大した。「周辺事態に巻き込まれる可能性が一番大きい地域」と野呂田防衛庁長官が自ら認めた(後に撤回したが)沖縄県では、沖縄タイムズの世論調査で新ガイドライン反対が五五%であるのに対して、賛成はその半分以下の二六%という数字が示された(4月26日)。
 新ガイドラインに反対する危惧・不安・疑念は、ガイドライン法案について反対ないし反対的な意味での「慎重審議」を求める意見書を採択する自治体の数が、二月中旬時点での九十二から五月二十三日には二百三十六に達したことに示されている。
 こうした自治体の首長・議会などの間に広がる不安は、周辺事態法に言う「後方地域支援」が、自治体や民間業者の全面的な「協力」を取り付けることなしには不可能だという事実に根拠を置いている。確かに「周辺事態安全確保法」の条文そのものにおいては、「協力」の依頼を拒否した場合の「罰則」は明記されていない。しかし「後方地域支援」を「実効」的なものにするためには、なんらかの「強制」が不可避なのであり、今後はそのための法的整備がもくろまれることは火を見るよりも明らかだろう。
 実際、「周辺事態安全確保法」9条における「後方地域支援」において「国が国以外の者に対して求め又は依頼する協力の内容」は、政府が四月二十三日に衆院ガイドライン特別委員会に提出した資料によれば、港湾・空港の使用、建物・設備等の安全を確保するための許認可、輸送、廃棄物処理、医療、物品・施設の貸与等におよんでおり、しかも「協力の内容については、事態毎に異なるものであり、以下のものに限られない」という付言がついているしろものである。つまり自治体や民間に求める「後方地域支援」における「協力」とはまったく無限定のものだということがわかる。
 こうした重大な問題において、道路・空港などの管理権を持つ自治体は、「協力」を求められる具体的態様についてまったく知らされていないのである。
 さらに、「周辺事態」において地方分権一括法案がめざす中央政府による自治体への統制的機能の強化の持つ意味は決定的である。同法案においては、地方自治法改悪にかかわる事項として「大臣は、都道府県(市町村)の自治事務の処理が法令の規定に違反していると認めるとき、又は著しく自治事務の適正な処理を欠き、かつ明らかに公益を害していると認めるときは、当該都道府県(市町村)に対し、当該自治事務の処理について是正措置要求をすることができる」とされている。
 従来は、是正要求ができるのは内閣総理大臣だけだったが、改正案ではそれを各省庁の大臣に拡大している。その上、是正要求が出されると自治体は「必要な措置を講じなければならない」と義務化されているのである(地方自治法二百四十五条の五、五項)。
 つまり、地方分権一括法案では、自治体が「協力拒否」した場合、「明らかに公益を害している」などの理由を付けて「是正要求」という圧力と「必要な措置を講じる義務」が生ずる規定が盛り込まれているのだ。たとえば「自治事務」としての港湾管理の権限にのっとって、各自治体が核艦船の寄港を拒否する条例を作った場合、港湾管理の所管大臣である運輸大臣だけでなく、外務大臣や防衛庁長官が「是正要求」を行ない、各自治体には「必要な措置を講じる」義務が発生するということになりかねないのである。
 こうしたことからも「周辺事態措置法」の発動にあたっては、地域、自治体を足場にそれに抵抗する闘いが攻防の前線に押し出されることが理解できる。

自治体めぐる攻防の広がり

 反PKO法闘争の時に比較して、大きな厚みと広がりをもって前進したのは地域レベルでの自治体をめぐる攻防だった。地方自治体でのガイドライン法案反対ないし「慎重審議」意見書の採択が、地域住民の側からの多数の請願を背景としていたことは明らかだし、「後方支援」協力に反対する自治体交渉は、神奈川県、広島県、東京・三多摩など全国で展開された。
 政府は「後方支援」への「協力要請」に積極的に応じる自治体の数を増やし、要請を拒否できない社会的雰囲気を作りたい、と思っている。そしてこの点で、ガイドライン関連法の発動をめぐる対決の一つの軸が設定されていることは間違いない。
 こうした中で、大きく焦点化していったのは、入港する外国の艦船に「核兵器搭載」の有無を照会し、非核証明を提出しない外国艦船には停泊の許可を出さないという、いわゆる「神戸港方式」だった。神戸ではこの方式がスタートした一九七五年以来、米艦船の入港は完全にストップしている。これは戦後の港湾法によって、港の管理権が国から地方自治体に移行したことを根拠にしたものである。
 しかし今年、高知県で橋本大二郎知事が県議会に高知県下の全港湾で、外国艦船入港に際して「核兵器不搭載」の証明を求める条例案を提出した時、政府は県議会多数派の自民党を促して、「外交・防衛は国の専権事項」という口実で、この条例案をつぶすために全力を上げた。それは函館、苫小牧、石垣などで同様の「核艦船入港不許可」の措置が取られる動きが拡大するのを阻止する狙いを持っていた。
 函館市の場合、市民が「非核・平和条例」を求める署名運動を展開し、条例案が市議会に提出されたという点で画期的な意味を持っていた。
 同条例(非核・平和行政の推進に関する条例)案は、第三条2において「市は、函館港港湾区域に入港するすべての外国艦艇を保有する国に対し、核兵器不搭載の証明書の提出を求める」としており、また同3では「市は、前項の規定による証明書の提出がない外国艦艇の港湾施設の使用を認めない」としている。
 また同四条では「市は、市が保有し、または管理するすべての施設、用地を平和に反する目的のために使用しないものとし、また、市が行う業務についても平和に反する目的のために行わないものとする」としている。この第四条の規定は、「周辺有事」にあたっての自治体協力を拒否する根拠になるものである。
 函館の「非核・平和条例」は公明党の反対によって三月市議会では継続審議、事実上の廃案になってしまったが、市民たちは再度上程のための署名運動を展開しようとしている。こうした動きは、和歌山市など全国的にも広がりを見せており、その緊密な連携がますます必要になってくる。
 「地方分権一括法案」の中の地方自治法改悪において、前述したように自治体の港湾管理の権限とそれに基づく「核艦船入港拒否」の措置を国からの「是正要求」によって覆そうとする狙いが実施されようとしている時、自治体を動かすことによってそうした国家権力の介入を阻止する闘いは、「後方地域支援」の発動を許さないためにも大きな意味をもつようになっている。
 また、「周辺事態」における戦争協力に直接動員される労働者の「協力拒否」の闘いも、課題の直接性にも規定されて反PKO法闘争の時に比べて、一定の可能性を見せたことは間違いない。前述した交運関係二十労組の三月十九日付の声明は「『自らが絶対加害者にならない』という決意を込めて、『ガイドライン関連法案に反対し、廃案をめざす』という一点で、立場の違いを越えて、国民各層と労働組合が連帯して行動するよう呼びかけ」るものであった。日本航空機長組合も五月二十日の臨時組合大会で「(周辺事態法にもとづく)武器・弾薬・兵員等の輸送を行わない」ことを決議している。
 看護職など病院関係の労働者も、「ふたたび従軍看護婦にならない」という決意を込めて、ガイドライン法反対の闘いに立ち上がった。

全国政治闘争再建めざして

 こうした戦争協力拒否、軍事生産反対の闘いを「連合」傘下の自治労や民間の労働者の中で職場から作り上げていくという闘いへの挑戦も、今後いっそう意識的に追求されなければならない。
 戦争協力法案反対闘争は、国会闘争としては敗北したが、今後、地域・自治体や動員される職場を拠点にして抵抗の戦線を作り上げ、その発動を阻止することがますます重要になっていることは言うまでもない。「戦争ができる国家・社会体制」作りとの闘い、有事法制を阻止する闘争は、今日の国会における力関係からして野党の「議会内抵抗闘争」とのブロックに多くの期待をかけることはできないからである。
 しかしそのことは、大衆的政治闘争としての国会に対する法案制定阻止行動を、どのように再建していくのかという課題をわれわれにもう一度突きつける。政党・議員への要請・ロビー活動はもちろん必要である。しかしそれは、大衆運動のダイナミズムと結びついた時にのみ真に有効な役割を果たすのだという単純な事実を、われわれは改めて確認しなければならない。
 自治体に対する闘争の重要性は、国会に対する大衆的政治行動をないがしろにしてよいということを全く意味しない。
 われわれは、ガイドライン反対闘争の中で、政党・議員への働きかけをふくむ対国会闘争のごく初歩的なコーディネーター的機能の一部をも担うことによって、政治闘争の新たな構造をどう作りだしていくかという任務をあらためて自覚せざるをえなかった。もちろん今日の局面では、「戦争ができる国家・社会体制づくり」に反対する闘いは、地域や職場に根ざした多様なイニシアティブを交錯させながら、さまざまな課題に即したネットワーキングを着実に進めていくという方法がとられていくだろう。
 脱軍備ネットワークキャッチピースが軸になって進めている民間港湾・空港の軍事利用を軸に自治体と民間の戦争協力動員を止めていく運動の全国的な連携(本紙6月7日号参照)の模索をはじめ、「新しい反安保実」や全国FAX通信を媒介にした「全国共同行動」の蓄積の上に進められようとしている全国交流合宿(今秋に北九州で予定)、また函館の仲間が呼びかけている「非核・平和条例」全国会議などが、すでに準備されつつある。また来年七月の沖縄サミットに向けて、沖縄米軍基地の撤去を軸にグローバルな非軍事化の展望を見据えた国際的な「対抗サミット」を目指す討論も始まろうとしている。
 しかしこうしたローカルレベルのイニシアティブと国際的なその連携は、同時に全国政治のレベルでの政府・国会に向けた大衆闘争をどう復権させていくのか、という課題をも必然的につきつける。
 地域からの「戦争協力拒否」の実質的な運動の発展と結びつきながら、政府・国会に向けた共産党など既成の議会政党をふくめた全国的政治闘争の枠組みを形成していこうとする独自の闘いにわれわれは踏み込んでいかなければならない。今日の大衆運動の全般的後退局面、とりわけわれわれをふくむ非共産党左派、ないし独立した労働運動、市民運動勢力の全般的な力量の低下は、そうした闘いをいちじるしく困難なものにしているが、われわれは主体的力の強化につとめながら「別個に進んでともに撃つ」経験を一歩一歩確実に積み上げていく必要がある。
 それは、今日のガイドライン安保体制と、それを軸に再編されつつある新しい「有事」危機管理秩序との闘い、「国家・社会の非軍事化」をめざす闘いを、どのような長期的展望のもとに作りだしていくのかについての討論を不可避とする。
 この間の反天皇制運動や反戦運動の中心的な活動家である天野恵一氏は、二月に浜松で行われた「NO! AWACSの会」の全国集会に参加して「私たちの運動の世界から、『階級闘争による革命』という『高い目標』の手段として反戦運動を位置づける主張や言葉が、ほぼ消滅しているという、すでに以前から明らかな事実をあらためて実感した」と述べている(「運動のデモクラシーとデモクラシー運動について」、『派兵チェック』78号、99年3月15日)。同様の言葉を彼は、沖縄大の新崎盛暉氏との対談『新ガイドラインの向こうに見えるもの』(凱風社刊)の中でも語っている。
 天野氏はこの主張を「ラディカルなデモクラシー」を作りだしていくための具体的なプランの中で練り上げていくことを訴えているのであるが、これはもちろん共産主義者への「理論的挑発」である。社会主義革命運動の再生をめざすわれわれは、天野氏らと「ラディカルなデモクラシー」への挑戦を共有しつつ、その中から「階級闘争による革命」の展望を新たな次元で継承・復権するために自らの刷新を図っていかなければならない。(平井純一)

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