WHOのパンデミック宣言と東京五輪
コロナ恐慌を前にして
虐げられた人びとの国際連帯へ
パンデミック恐慌
世界保健機関(WHO)のテドロス事務局長のパンデミック(世界的な大流行)宣言は、東京オリンピック(7月24日~8月9日)・パラリンピック(8月25日~9月6日)の開催に「中止」や「延期」という大きな影を落としただけでなく、リーマン恐慌以降に膨張した中央銀行の金融緩和がもたらした景気拡張にブレーキをかけつつある。
リーマン恐慌はグローバル資本主義の「頭脳」アメリカが発信源だったが、今回のコロナ恐慌の発端はその「心臓」ともいえる中国・武漢での新型ウィルス感染の流行であった。生命遺伝子のように無限の増殖を求める資本の運動は、血管のように世界中に張り巡らされたサプライ・チェーン(供給連鎖)やバリュー・チェーン(付加価値連鎖)、そして日経平均やダウ工業指数などの架空資本の金融市場を通じて、有限の地球と人間に対する搾取による資本蓄積を続けてきたが、「恐慌」という名のウィルスもまた、同じ血管を通じて全世界に拡散されようとしている。パンデミック恐慌である。
復興五輪──
日本版ショック・ドクトリン
リーマン恐慌と原発災害後の日本経済復興を掲げたアベノミクスと呼ばれる金融緩和政策は、ナオミ・クラインのいう「ショック・ドクトリン」(災害やクーデターなどに乗じて新自由主義政策を進めるやり方)の日本版だ。自公政権復活後の二〇一三年九月の国際オリンピック委員会(IOC)ブエノスアイレス総会で二〇二〇年東京オリ・パラが決定したことで、それはさらにグロテスクさを増した。
巨額の復興予算とともに「復興五輪」という名で進められたこの日本版ショック・ドクトリンの総仕上げの一つが、三月初めの帰還困難区域(双葉町)における避難指示解除であった。解除されたのは不通区間となっていた常磐線の線路と双葉駅、大野駅などの周辺、そしてそこにつながる道路だけである。まさに点と線の避難指示解除。放射線量が下がったから(事故後20倍にも引き上げられたが)ではなく、聖火リレーが三月二六日にJビレッジからスタートするから解除したのである。
双葉町や大熊町のリレーコースのすぐ脇にはいると「ここから先は帰還困難区域です」の看板と立ち入り禁止のフェンスが人の行くてを阻んでおり(放射能は阻めない)、広大な(といっても意図的に縮小された)帰還困難区域が広がっている。これまでも東京五輪は、カネと人手を東京に集中させるなどして被災地の復興を妨害してきたが、今回の避難指示解除はそれをさらにグロテスクな形で表現した。
グリンピースなどの調査ではJビレッジでは指定廃棄物の基準値八〇〇〇Bq/kgをはるかに上回る一〇〇万Bqものホットスポットが見つかっている。スタート地点だけではない。聖火リレーは各地のゴール地点に設けられた「セレブレーション(祝賀)会場」に到着する。
サッカー競技のオリンピアンで現在はオリンピック反対を掲げる研究者、ジュールズ・ボイコフはショック・ドクトリンから演繹した「祝賀資本主義」というタームで、公的資金を湯水のように使う現代資本主義の延命手段としてのオリンピックを批判している。中央銀行の金融緩和が担保する財政出動というアベノミクスは、総費用三兆円以上ともいわれる東京五輪という「祝賀」を通じて、日本資本主義の「復興」を企図していた。
だが、この祝賀は、中国・武漢発、新自由主義グローバリゼーション経由の新型コロナウィルスのパンデミックによって冷や水を浴びせられた。
オリ・パラは
延期ではなく中止を!
安倍晋三は小学校の三月二日からの休校要請に続き、新型インフルエンザ対策特別措置法の対象に新型コロナウィルス感染症を加える改正法を、共産党、れいわ新選組、碧水会の反対、立憲・社民、沖縄の風の一部議員の退席などを除く与野党の賛成で三月一三日に成立させた。私権の制限が可能になる「緊急事態宣言」の発令が可能になることなどの危惧が指摘されている。
福島原発事故においてはすでに九年前に原子力災害対策特別措置法の第一五条に基づく「緊急事態宣言」が発令され、避難指示などが未だに続いているが、前述の避難指示解除のケースを見ても、命の危険を伴う指示やその解除が、時の政権の恣意的な判断によって可能になることは明らかである。観客や報道陣を締め出して行われた聖火の採火儀式が行われたギリシャでは、聖火リレーが二日目で中止になった。その他の欧州でもイタリアやスペインでは千人単位で感染者が増えるなど、今後も予断を許さない。
日本政府は今を乗り切ればなんとかなると考えているようだが、今回の特措法は来年一月三一日までを期限とすることが政令で定められており、政府の専門家会議でも、感染の恐れは半年から一年つづく可能性も指摘されている。オリンピック開催にこだわることで、いったんは下火になった感染拡大を再発させる可能性もある。
日本とIOCなど一部の関係者を除けば、それほどのリスクをとってまで今年中にオリンピックを開催しなければならない政治的必要性のある国はない。むしろ「オリンピック・マフィア」と呼ばれるIOCや「マネー・ファースト」と揶揄されるようなオリンピックに巨額の広告費をかけてきたグローバル企業が、五輪憲章に違反しない今年度中の延期や、無観戦試合に望みをかけているのかもしれない。
もちろん祝賀資本主義を経済成長への起爆剤と考えてきた日本資本主義は、なんとしても通常通りの開催にこだわりたい。無観戦試合の損失は東京組織委員会と東京五輪のスポンサー企業が被るからだ。
大いにあり得るのは無観客試合だろう。三月五日には、WHOと五輪競技を統括する各国際連盟の医療担当者が、最悪のシナリオとして東京五輪を無観客で実施した場合のリスクや利点について検討したことが報じられている。IOCバッハ会長はWHOの勧告に従うと明言している。
仮に現在の五輪憲章上では不可能な一年先や二年先の延期にしても、追加経費のほとんどは開催国が被ることになる。企業にとって商品価値のなくなったアスリートらの多くもお払い箱になり捨てられるだろう。
中止の場合、大会運営費四八〇〇億円をふくむ六七〇〇億円が損失になると言われている。だがそれは我々の損失ではない。オリ・パラに浪費されずにすむカネや人手を被災者支援や公的医療の拡充、そして労働者や障がい者のスポーツの普及に回せ、オリ・パラは無観客や延期ではなく中止すべきだと広く訴えていくべきである。
ライバルを蹴落として一分一秒を競い合う資本蓄積の論理を彷彿とさせるメガ・スポーツ・ビジネス・ショーではなく、労働時間の圧倒的削減と気候変動対策を含む自然環境の保全、それによる自然の一部としての人間の諸活動の全面的な開花を国際的に実現すること、それこそがオリ・パラに対抗するオルタナティブである。
ゾンビ企業
「日本株式会社」の末路
安倍は改正特措法の施行日、三月一四日に記者会見に臨み、感染拡大に伴う経済の落ち込みに対して、四三〇〇億円の財政措置、一・六兆円の金融措置を実施することを明らかにするとともに、これまでに一日当たり八〇〇〇件の検査能力確保、感染症指定医療機関の病床を一万二〇〇〇床に引き上げたこと、重症者向け人工呼吸器三〇〇〇個の確保などを誇ったが、その心もとないハード面の増強を担保するだけのソフト面、つまり感染防止や治療に従事する労働者や基礎的な公的医療の拡充などについては一言も触れていない。
記者会見は感染症拡大防止というよりも、本来は五輪後に実施する予定であった五輪不況対策を、このコロナ恐慌を受けて前倒しで実施することで、週明けの株価の再暴落をなんとか食い止め不況局面への転落的循環を阻止し、支持率を維持したい意図が見え見えであった。WHOのパンデミック宣言を受けて、東京株式市場の日経平均株価は一挙に一万七千円台に急落、下げ幅はバブル末期の一九九〇年四月以来、三〇年ぶりの大きさとなった。それに伴い日銀が保有する約三〇兆円の上場投資信託(ETF)は含み損(取得価格を下回る)が拡大した。
アベノミクスが始まった一三年四月から年間一兆円の規模で拡大実施された日銀のETF年間購入枠は、二〇一六年には六兆円にまで拡大していた。二〇一八年七月から実際の購入額に弾力性を持たせることを決定し、二〇一九年の実際の購入額は四・三兆円にまで減少していた。コロナ恐慌の足音が本格的になった今年三月一二日と一三日には一日の買い付け額をそれまでで最高の一〇〇〇億円余りに増額。しかし連日の介入にもかかわらず株価下落に歯止めをかけることはできなかった。
このまま株価が一万三〇〇〇円程度まで下落すると日銀が「債務超過」に陥るとも言われている。しかしおそらく今後もしばらくはETF購入を続けるだろう。というのも日銀はETF購入を通じて多くの上場企業の筆頭株主になっており、アベノミクスの官製相場をつくってきたからだ。ここにきてそれらを投げ売りすることは、さらなる暴落を招くし、購入額を減らすこともできない。欧米の中央銀行のさらなる金融緩和で一層の隘路へと進むしかない(3月15日には米FRBがゼロ金利と量的緩和を決めた)。
決算期を三月末に迎える日銀が、期末に損失を計上する事態は二〇一三年四月のアベノミクスでのETF購入拡大以来はじめてとなる。それはさらなる株価の下落とともに日銀の信用、つまりは日本円の信用問題にも波及し、円安による輸入品高騰となって庶民に襲い掛かることにもなりかねない。株価操作で生きながらえてきたゾンビ企業「日本株式会社」は袋小路に陥っている。
九〇年のバブル崩壊以降の日本、とりわけリーマン恐慌以降に日米欧をはじめ世界中で実施された金融緩和策は、みせかけの経済成長と不況の先送りを行ってきたにすぎない。しかしコロナ恐慌を前にした日米欧中など世界の中央銀行は、政策転換の機を逸したことに舌打ちしながら、さらなる金融緩和に頼らざるを得ない。その先に来るのは大不況である。総資本はそれを敏感に感じ取っている。
今春闘でも多くの大企業でベアや賃上げが凍結された。貿易縮小の陰はグローバル資本主義を支えてきた物流産業、とりわけ航空産業において過酷なリストラを進めようとしている。ANAは中国便の六割の運行を停止、中国へのフライトが大半を占める香港航空では四〇〇人のリストラなどが打ち出されている。中国政府の指示で操業を停止していた中国国内の生産工場も、生産調整という名の雇用調整によって危機を労働者に転化している。すべての歴史は階級闘争の歴史である。パンデミック恐慌に対して、まずなにもまして階級闘争として取り組みを構築しなければならない。
資本の反グローバル化
社会運動のグローバル化
階級闘争は当然にも一国のレベルから出発するが、グローバル資本主義の現在、それは決して一国のみにとどまることはできない。「(感染は)中国以外では過去二週間で、感染者が一三倍、国の数は三倍になった」とテドロス事務局長のパンデミック宣言を受けたニューヨーク株式市場のダウ平均株価は八七年の大暴落以来の三二年五カ月ぶりの下落率となったことを受けて、トランプ大統領は景気刺激策とともに、英国を除く欧州から米国への入国を三〇日間停止することを発表。中国からの渡航は二月中旬から原則的に認めていない。
昨年来の貿易戦争の和平協定として、米中両国は今年二月に実行する予定であった関税の引き上げを中止、二月一四日には中国はアメリカからの輸入品への制裁関税を一〇%から五%に、そして一般関税も五%から二・五%に引き下げることも発表するなど、融和ムードが世界に広がりつつあったところへのコロナ騒動は、人種憎悪の影を伴いながらヒトの移動を制限している。
モノ・ヒト・カネの自由な移動という自由貿易を繰り返し叫んで来た日本政府も、中国と韓国からの渡航制限という、すでにほとんど意味のない措置に乗り出した。「感染拡大防止のために欧米各国とも緊密な連携を取りながら」を繰り返す安倍だが、新型コロナウィルス対策で最も犠牲が多く最も経験を蓄積しているのは言うまでもなく中国であり、韓国や朝鮮を含む近隣諸国との緊密な連携こそ訴えるべきであるが、まったく真逆の対応に終始している。
これを契機に従来のグローバリズムのあり方を見直すことは重要であるし、経済危機で切り捨てられる社会的マイノリティへの支援は必要である。だが、具体的な政策として出されるであろう地産地消や消費税の廃止・引き下げ、あるいは中小零細事業者への金融支援などが「日本経済の回復」といった一国資本主義的スローガンのもとにおかれてはならない。
このパンデミック恐慌で、新興国から巨額の投資マネーが逃げ出しており、その規模はリーマン恐慌の二倍のペースになっている。アメリカの金融制裁で疲弊していたイランではコロナ感染が拡大しており、IMFに対して緊急支援を要請している。今後、感染はIMFや世界銀行などによって公的医療体制が脆弱介している地域にも拡大するだろう。国際的な保健衛生支援や債務帳消しなど、一国レベルを超えた支援が必要になることは言うまでもない。
アジア市場でも「売りが売りを呼ぶ」という、「わが亡き後に洪水よ来たれ」という資本のわがままぶりは九七年アジア通貨危機の時とかわらない。香港民主化のたたかいは、新型肺炎の脅威という厳しい局面に置かれながらも闘争を継続している。この半年間の闘争のなかで公立病院の医療従事者らによって組織化された新しい労働組合が、コロナ危機のさなかの二月初めに「充実した予防・治療対策」「香港独自のコロナ対策」(中国との国境封鎖を含む)などを掲げて五日間のストライキを打っている。
世界各地で取り組まれている社会運動団体による感染拡大阻止の取組みを国境を越えて共有・サポートすることもまた極めて重要である。資本もウィルスも国境を越えるなか、労働者の取組みこそ、より国際化する必要がある。
「人民戦争」の果てに
三月一五日現在、世界の感染者数は一五万人、死者五五〇〇人を上回っている。中でも中国は八万人の感染者、武漢のある湖北省だけで六万〇〇〇人と圧倒的である。ピークを過ぎたと言われているが、今後も警戒態勢が続く。中国政府・武漢市当局では昨年末に初めて患者が出たことを確認していたが、新型ウィルスで感染拡大の可能性があることを伝えた地元医師らに対して警察が「デマをまき散らすな」と文書警告し、感染防止ではなく治安維持の観点から対応した。
さらに中国では最も重視される春節(旧正月)の祝賀ムードに水を差すなという官僚制の忖度が加わったことで、新たなウィルス性感染症としての正式な対応が一月下旬になってやっと取られたが、一〇〇〇万人口を誇る南北交通の要衝(つまり物流の要衝)である武漢の封鎖をもってしても、全国・全世界への感染拡大を防ぐことはできなかった。グローバル資本主義に復帰した中国は、九七年アジア通貨危機で手痛いデビュー戦を飾り、一〇年後のリーマン恐慌では労働者の賃上げ抑制と四兆元規模の財政出動による過剰生産設備の積み上げで乗り切ったが、それから一〇年余りたった現在、世界第二の経済大国、世界のサプライ・チェーンの心臓部として迎えたパンデミック危機は、今後の中国の政治・経済に大きな影響をもたらすだろう。
中国政府は今回の危機を総力戦の「人民戦争」として対応し、当初警告処分を受けその後にコロナウィルスに感染して亡くなった李文亮医師をはじめ、対応に当たる医療関係者らを「英雄」として祭り上げ、拡大が収束に向かったとされる三月一〇日には習近平国家主席が武漢を訪れて医師らを「英雄」と称賛した。しかし同じく当初警告処分を受けて、三月はじめにその経過を明らかにした艾芬医師の手記が掲載された雑誌記事は当局の検閲を受けてネット上から削除されているなど、依然として治安維持を最優先にしている。
艾芬医師は削除された手記の中でこう述べている。「今回の事件は、一人一人が自立した考えを堅持する必要があることを明らかにした。この世界には、異なる意見を持つ人が絶対に必要だと言うこと。そうでしょ?」この文章は当局の削除にもかかわらず次から次へ転載・転送されているという。「人民戦争」のメッキがはがれたとき、兵士たちの銃口が将軍らに向けられないという保証はない。われわれはこの「人民戦争」の行く末を注意深く監視しなければならないだろう。
パンデミック恐慌に対する
パンデモスの連帯を
パンデミックとはギリシャ語の「パン=すべての」と「デモス=人々」が語源の英語だそうだが、犠牲は常に社会的弱者や労働者に押しつけられる。「非正規という言葉をなくす」と豪語したアベノミクス劇場の最終章「パンデミック」で犠牲になっているのは不安定雇用の労働者たちである。
家父長制システムが危機をさらにジェンダー化する。この「悲劇」を「惨劇」に終らせないためにも、いまこそパン=すべての、デモス=人々が、パンデミック恐慌のさなかに強行されようとするオリ・パラへの反対闘争を通じて社会的連帯を取り戻し、祝賀資本主義でもアベノミクスでも一国資本主義でもない、別の社会システムを構想しながら、反撃に転じる準備をはじめなければならない。生産手段の私的所有権(=私権)は、民主主義に根差した社会的権利を制限してきた。そのような私権が人間と自然を搾取するグローバリゼーションではなく、生産者と被抑圧人民を中心としたパン(すべての)デモス(人々)による真の国際連帯を通じた国境なきアジアと世界。それこそがパンデミック恐慌を前にしたわれわれの展望でなければならない。
追記 日銀は三月一六日に前倒しで金融政策決定会合を開き、ETF買い入れの年間目標額を現行の六兆円から「当面一二兆円」に拡大する追加の金融緩和を決めた。
2020年3月16日
(早野 一)
The KAKEHASHI
《開封》1部:3ヶ月5,064円、6ヶ月 10,128円 ※3部以上は送料当社負担
《密封》1部:3ヶ月6,088円
《手渡》1部:1ヶ月 1,520円、3ヶ月 4,560円
《購読料・新時代社直送》
振替口座 00860-4-156009 新時代社