障がい者自立支援法案廃案へ! 生存権を守ろう
障がい者福祉の切り捨てを許さない
社会保障を「自助努力」に置きかえる小泉の新自由主義政策
命がけで抗議す
る重度障がい者
現在開会中の国会に「障がい者自立支援法案」(以下支援法と約す)が提案されている。
この法案の概要が明らかになったのが、二月下旬である。そして連休明けの三週間で、衆議院厚生労働委員会を通過させ、六月上旬には成立させるという強行日程が組まれている。
こんな短期間で、障がい者の生活を激変させる法律が決められようとしていることに、多くの障がい者団体が反対を表明し、連日のように議員への陳情やシンポジウム、国会前のハンストやデモなどの行動が組まれている。
支援法が成立すると、とりわけ重度の障がい者の自立生活は根底から破壊されてしまう。そのため、諸行動には重度障がい者が、文字通り命がけの覚悟で参加している。
二月十五日の国会請願デモの日は、東京でも氷雨が降り、日中でも氷点下であった。この行動に私と一緒に参加した筋ジストロフィーの青年は、その後体調をこわし、現在も入院中である。
厳冬期に体力のない重度障がい者が長時間外にいることは、このような危険が伴う。みんなそれを承知で行動に参加してきているのである。
五月十二日には、主要な障がい者八団体が共闘し、日比谷公園で大集会が開かれ、六千人が結集した。障がい当事者が、これほどまで危機感を持つ支援法の問題点とは何か。
「持続可能システ
ム」口実の攻撃
介護制度には、現在二つのシステムがある。介護保険と六十四歳以下の障がい者を対象とする支援費制度がそれだ。
支援費制度は〇三年四月から始まったが、居宅支援費(ホームヘルプなど)の利用者が、厚労省の予想を超えて急増し(とりわけ知的障がい者)、初年度で百億円の不足が発生した。
このことに動転した厚労省は、障がい者福祉予算をなんとか抑制しようとして、「支援費制度は制度設計を誤った。持続可能なシステムを早急に作る」と表明し、この支援法を突貫工事で作り上げてきたのである。そのため細部は「法案成立後に省令や通知でお知らせします」というズサンな内容となっている。
サービス利用の予想を見誤ったというのは、厚労省が障がい者の生活の実態からいかにかけ離れた把握しかできていないのかを、自ら暴露したことに他ならない。その反省もなく、たった二年で支援費制度を大きく変えようとする、そのことでどれだけ多くの障がい者が迷惑をこうむるか、そんなことは彼らの脳裏に浮かびもしない。
「応益負担」で利
用が抑制される
支援法のねらいは、ズバリ障がい福祉予算の抑制。これ以外にはなにもないといっていいだろう。そのための手段が応益負担の導入である。
まず「応益」なる考え方それ自身が問題だ。益とは「利益を得る」ということである。トイレの介助を受ける、寝返りの介助を受ける、ということが何か健常者に比べ利益を得ていることになるのであろうか?「利益を得ているのだから負担も当然」なる主張は入り口の段階ですでに間違っている。
支援費制度は応能負担であった。つまり利用者とその家族(配偶者とその間の子)の収入に応じた負担であった。支援費利用者の一八%が生活保護世帯、七七%が年金だけの世帯であり、負担可能な人は全体の五%しかいなかった。それが応益負担が導入されると、原則として利用額の一割を負担しなくてはならなくなってしまうのである。ただし上限額が設定されることになっている。その額は、年収三百万円の人で月四万二百円、障がい年金一級の人で二万四千六百円、二級の人で一万五千円となっている。年金と手当てで月十一万円くらいしか収入のない人に二万四千六百円の負担が重くのしかかるのである。
その結果、なにが起きるか。利用すればするほど負担が増えるわけであるから、なんとか利用をギリギリまでがまんするということになっていくだろう。そしてヘルパーの派遣を半分にし、急にトイレに行きたくなっても行けずに、ブルブル体を震わせながら尿意に耐え、あげくに膀胱炎になったり、外出を週二時間(!)に減らし、一日の大半を家の中でじっとしている、というような生活が当たり前になっていくのだ。
また、精神障がい者の通院負担も現行の五%が、一〇~三〇%へとはねあげられようとしている。精神障がい者の福祉サービス利用者の四二%が生活保護受給者であり、このような負担増には耐えられないだろう。この結果、通院回数を減らすという方向に行かざるを得ず、病状の悪化が懸念される。
集中砲火を浴び
る外出支援制度
外出支援(移動介護という)は、支援費にしかないサービスメニューであり、これにより障がい者の社会参加がどんどん拡大していった。居宅支援費の伸びのかなりの部分がこの移動介護であり、「外出の機会が増えてよかった」という声が多く、障がい者運動の影響で制度化された革新的なサービスメニューであった。
この移動介護に財政削減のための集中砲火が浴びせられようとしている。移動介護は訪問介護から切り離され、地域生活支援事業という枠に入ることになる。訪問介護は義務的経費であるが、地域生活支援事業は裁量的経費で、実施は市町村に委ねられることになる。トイレや食事などの身体介護は、生命・健康に直結することなので、中々切ることはむずかしいが、外出はそうではないから、とバッサリ切る市町村が続出することは大いにありうる。
現在でも大半の市町村は、月二~三〇時間の移動介護しか認めていない。このような低水準のサービスにも手をつけようとしているのだ。障がい者の社会参加を促進してきた移動介護が危なくなってきている。
大きく後退する
公的介助保障
支援法は、二〇〇九年に予定されている介護保険と障がい者介護の統合に向けた地ならし攻撃である。そのために障がい者福祉の中から介護保険に組み込む部分を分離し、統合をしやすくしようとしているのだ。そしてその部分には介護保険のシステムを早速導入してきている。要介護認定・認定審査会・ケアマネージメントがそれだ。これらは支援費制度にはなかった。
支援費の支給量の決定は、それぞれの障がい者の障がいの状態や生活スタイル、社会参加活動の希望などの個別ニーズをもとに、行政と障がい者間の話し合いで決められてきた(市町村の財政力や福祉への姿勢の差もあり、かならずしも障がい者の要望通りにいかないケースも多かったが……)。そしてケアマネージャーが制度上なかったので、セルフ・マネージド・ケア(自己管理)でやってきたのである。これらは支援費の「自己決定の尊重」という理念からきている。これらの支援費制度の良いところが一挙に粉砕され、介護保険とウリ二つのシステムに変質させられようとしている。
これらの攻撃により、日本の障がい者自立生活運動が三十年かけて築き上げてきた公的介助保障の水準が、大きく引き下げられる危険性が増している。
介護保険では、要介護5が最も重い人である。その利用上限額は三十六万円であり、ヘルパー派遣でいうと、一日四時間くらいにしかならない。しかし支援費では、東京のいくつかの区で二十四時間に近いヘルパーの派遣決定が出されている。これを介護保険の要介護の認定に換算すると、要介護15となってしまう。
もし〇九年に統合するとしたら、この問題の処理には二つの方法しかない。障がい者・高齢者を問わず、要介護5を上限とするか、要介護6から15を新たに設定するかのいずれかである。福祉予算の削減しか頭にない政府・厚労省に後者の選択などあろうはずもない。
合法的殺人にみ
ちびく悪法だ
介護保険の要介護5の人たちの大半は、入所施設で暮らしている。介護保険では、重度の人が在宅で暮らす、などという設定にはなっていないのである。支援法が成立し、〇九年に統合されれば、重度障がい者は入所施設へ、という流れが出てくる恐れは充分ある。
超党派の国会議員で尊厳死法案の準備が進められている。事故で頚椎を損傷した人やALS(筋萎縮性側索硬化症)や筋ジストロフィーの患者で、人工呼吸器をつけ生活している人が、全国で一万数千人いるといわれている。その状態でも、体のどこか一部が自分の意思で動かせれば、そこにセンサーをつけ、パソコンを動かし、外部とコミニュケーションをとることは可能である。
しかしALSは進行性の病気であり、全体の一割の患者は随意筋(自分の意思で動かせる筋肉)の萎縮が全身に及び、まばたきや眼球も動かせなくなってしまうといわれている。
TLS(トータル・ロックド・インスティード=完全に閉ざされた状態)がそれだ。尊厳死法案を準備している連中は、TLS状態のALS患者やいわゆる「植物状態」の患者の人工呼吸器をはずすことを合法化しようとしているのだ。福祉予算削減攻撃の行く先には「尊厳死」という合法的殺人も見えてきている。
小泉純一郎は口を開けば「財政危機」を言うが、国・地方合わせて七百兆円もの巨額の借金を作ってきたのは一体だれなのか。その張本人たちは世界最低水準の所得税でぬくぬくと肥え太り、一方でギリギリの生活を送っている障がい者の生存権に手をかけようとしている。
憲法25条では、国は国民の生存権を保障する義務があるとしている。小泉新自由主義政権はこの義務に背を向け、自助努力や家族愛で社会保障を代替させようとしている。障がい者自立支援法案を廃案へ!福祉切捨てを許すな!(赤井 岳夫)
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