クライメート・ジャスティス運動と脱原発を結合した環境社会主義の道
エコロジー社会主義とマルクス主義の復権
新自由主義がもたらした環境災害危機を突破するオルタナティブを
「社会的弱者」に集中する被害
二〇一一年三月一一日に東北・東日本を襲った震災・津波・原発災害から九カ月余が過ぎた。
犠牲者への追悼、被災者への支援と励ましは今も多くの人々が共有する想いとなっている。
津波によって生活基盤が根こそぎ破壊された地域や、東電福島原発災害に直撃された地域では、今も、日々の生存そのものが闘いとなっている。
東電福島原発災害を契機に、原発に依存しながら原発の危険や廃棄物の処理を「周辺」に押し付けてきた社会のあり方への反省をベースとした脱原発・反原発の運動が、一九八〇年代の一時期以来の高揚を示している。
しかし、その一方で、利潤追求をすべてに優先する資本主義の冷徹な論理は、このような巨大な災害の中でも貫徹している。
自然災害であれ人災であれ、災害の被害はほとんどの場合、「社会的弱者」とされる人々に集中する。そして資本家や政府は、被災者の救援・支援を義捐金や無償のボランティア、そして被災者の「自助努力」に可能な限り委ねることによって自らのコストを最小化する一方で、復興を千載一遇のビジネス・チャンスとして位置付け、大部分が災害前から用意されていた再開発プランをドサクサ紛れに売り込もうとする。
これは〇四年一二月のスマトラ沖地震と津波、〇五年八月のハリケーン・カトリーナ、一〇年一月のハイチ震災などで繰り返されてきた。
ナオミ・クラインの『ショック・ドクトリン』で詳しく報告されているように、スマトラ沖地震・津波で壊滅的な被害を受けたスリランカの漁村では零細漁民を追い出し観光・マリンスポーツ向けの大規模な再開発が進められ、ハリケーンで学校が破壊されたニューオリンズでは一気に公立学校が廃止され、チャータースクール(公立民営)が広がった。
新自由主義の下で全世界規模で加速されてきた「統合と排除」の力学は、巨大災害や環境破壊や食糧危機によって生活基盤を失った膨大な数の難民を生み出してきた。
日本においても、資本家や政府は、被災地外の人々の間で震災・津波・原発災害の衝撃が「癒され」、徐々に忘却されていくタイミングを計りながら原発災害の収束を宣言し、被災者への支援を縮小し、復興利権を全面的に解禁し、野田政権の最大の使命である増税を強行しようとするだろう。それは被災地の人々にとっては分断と、難民・棄民化を意味するだろう。
精神科医の斎藤環は「毎日」一二月一二日付コラム「時代の風・『絆』連呼に違和感」で次のように述べている。「政府が公的サービスを民営化にゆだね、あらゆる領域で自由競争を強化し、弱者保護を顧みようとしない時、人々は絆によっておとなしく助け合い、絆バイアスのもとで問題は透明化され、対抗運動は吸収される……私は束縛としての絆から解放された、自由な個人の『連帯』のほうに、未来を賭けてみたいと考えている」。
問われているのは、「がんばれ東北」や「絆」というスローガンに自己陶酔することではなく、原発事故の「収束」宣言や財界主導の復興に抗して継続される階級的な連帯の行動である。被災地の人々とつながりながら、この悲惨な災害を、経済成長のための犠牲を「周辺」に押し付けることによって成り立ってきた社会のあり方を根本から見直し、変革していくための新たな出発点とすることである。
気候変動とCOP交渉の失速
財界と民主党政権は東電福島原発の災害を奇貨として、鳩山政権の下で打ち出したCO2排出量二五%削減の公約を実質的に撤回し、京都議定書からの離脱を公言した。
もともと民主党の選挙公約も鳩山政権の公約も、原子力発電の推進と排出量取引による排出枠の購入を組み込んだ不真面目な温暖化対策だった。
財界と民主党政権は一貫して、京都議定書が「排出量が世界最大」の中国に排出義務が課されていない不平等条約であると主張し、メディアも気候変動交渉については、その主張に沿って報じてきた。
これは現在の気候変動の危機をもたらしてきた歴史的責任を無視する暴論である。しかも中国における排出量の増加をもたらしてきた経済成長の多くの部分は「先進国」向け輸出に関連するものであり、「先進国」の大量消費を支えてきた。
一方、反原発・脱原発の運動の間で温暖化否定論、あるいはCO2原因説否定論が広範に支持されており、謀略論さえ語られている。
反原発・脱原発運動の側からの指摘は、温暖化議論の弱点への適切な批判を含んでいる。気候変動に関わるNGOの間では、原発を容認したり、原発について曖昧にする傾向もある。東電福島原発の災害以降は、これらのNGOの間でも脱原発を明確にする動きが広がったが、多くの場合、従来の立場への明確な反省を伴っておらず、反原発・脱原発運動の側からの不信を解消するには至っていない。また、CO2削減が「エコ消費」に短絡され、歪められていることや、そこにおけるメディアの役割から考えて、温暖化議論に胡散臭さを感じる人たちが多いことも理解できることである。
しかし、反原発・脱原発運動の側からの批判は多くの場合、気候変動防止条約や京都議定書のプロセス(とくに、温暖化の歴史的経過にふまえた「共通だが差異ある責任」という重要な規定)に対する誤解あるいは無理解にもとづく一面的で強引な論理であり、財界と政府による京都議定書の幕引きに加担している。
逆にヨーロッパの気候変動問題に関わる活動家の間では、東電福島原発災害の後でさえ、原発よりも石炭・石油の採掘の方が危険で有害だという主張が一定の支持を得ている。
われわれは、公正な気候変動対策を求める運動(クライメート・ジャスティス運動)と反原発・脱原発運動を同時に進める上で、気候変動のメカニズムや放射能の危険性について過度に専門的な議論に陥るのではなく、運動間の相互交流・相互信頼のための努力を積み重ねる必要がある。
気候変動で問われていることは、基本的には「南」の諸国の環境危機に対する「北」の諸国の歴史的責任(「環境債務」)の問題である。これは原発で基本的に問われていることが、採掘から廃棄のサイクルのすべての段階で被曝労働や周辺の住民・環境に有害な放射能を浴びせるような技術に依存してきた責任の問題であるのと同様である。
気候変動の影響はますます深刻化しており、人為的な環境破壊との複合によって毎年膨大な数の環境難民を生み出している。
バングラデシュの北部では夏が五~六カ月続くようになり、サイクロンが大型化し、農業に重大な打撃を与えている。海抜が四五センチ上昇すると国土の一〇%が水没すると予想されている。新自由主義政策の下での大規模な農地買収、エビの養殖の拡大に伴うマングローブや農地の生態系の破壊が事態を一層深刻にしている。毎年農村からダッカへ五〇万人が移動している(「気候変動と新自由主義政策 – バングラデシュのケース」「インターナショナル・ビューポイント」二〇一一年七月号より)。
ナイジェリアの活動家で、「地球の友」の代表であるニンモ・バッセイによると、アフリカでは砂漠化(サハラ砂漠は毎年六%広がっている)、海面上昇、環境汚染(石油採掘など)で住めなくなった人々が移動し、紛争の原因になっている。水をめぐる紛争や森林伐採(主に米欧向けの家畜飼料生産のため)の影響は深刻である。
交渉を妨害した日本政府
一二月に南アフリカ・ダーバンで開催された気候変動枠組み条約COP17は、二〇一三年以降の削減目標や交渉の枠組みについての意味のある合意のないまま、決裂しなかったことだけを「成果」として閉会した。
ニンモ・バッセイによると「実効性のある行動を二〇二〇年まで遅らせるというのは地球規模の犯罪です。この計画の下では世界の気温が四度上昇することが容認されていますが、それはアフリカや小さな島嶼諸国、そして世界の貧困層と弱者にとっては死刑宣告です。このサミットは気候アパルトヘイトを強化し、世界の最も裕福な一%が九九%を犠牲にしても仕方ないと決定しました」(クライメート・ジャスティス・ナウ!の 声明。ATTAC Japan首都圏またはATTAC関西グループのウェブを参照)。
ニンモ・バッセイによるこの評価には誇張やレトリックは一切ない。
今回のCOP17にあたって、米国のオバマ政権は、石油ロビーの強力な圧力の下で、交渉の決裂を辞さない姿勢で臨んだ。中国に温室効果ガス削減の責任を同等に負わせることによって中国の輸出競争力を弱めることが狙いである。
また、米国では近年、タールサンドやシェールガスの利用による「新しいエネルギー革命」が、環境破壊に反対する多くの団体や住民の抗議にも関わらず強行されている。そのための足枷になる排出削減義務を先延ばしにし、その責任を中国になすり付けるという悪辣な戦略である。
COP17交渉の最中にカナダが京都議定書を離脱し、日本政府も京都議定書の終結を執拗に要求して交渉を妨げた。とりわけ日本政府は、国際的孤立を覚悟で中国に対抗する日米同盟の立場に固執した。
これまでCOP交渉をリードしてきたEU諸国は、債務危機・金融危機の対策に追われ、交渉の進展への関心を失っていた。中国は米国や日本政府からの不当な言いがかりに対して守勢にとどまった。「南」の諸国においては、主催国の南アフリカをはじめ多くの国は、「北」の諸国や国際機関からの融資や投資への関心から、対立を避け、交渉の継続を自己目的化してきた。
こうしてCOP交渉は〇九年コペンハーゲン、一〇年カンクンにおける「裏切り」を経て、完全に失速してしまった。
一二月一〇日にダーバンで発表されたクライメート・ジャスティス・ナウ!の声明のタイトルは「COP17は気候アパルトヘイトに屈した! 解毒剤はコチャバンバ会議の合意文書だ!」となっている。
二〇一〇年四月にボリビア・コチャバンバで開催された「人民の気候サミット」(気候変動およびマザーアースの権利に関する世界民衆会議)の合意文書は、「自然の権利」を明記した「母なる大地の権利のための世界宣言」の採択、「環境とクライメートジャスティス(公正な気候変動対策)のための国際法廷」の設立、「気候債務」の観点からの基金、気候変動に関する「世界国民投票」などを提案している(本紙二〇一〇年五月一七日号を参照)。
クライメート・ジャスティス・ナウ!の声明で述べられているように、「コチャバンバの合意文書は国連に提案されましたが、交渉文書から抹消されています。この文書は前進するために絶対不可欠な、公正で効果的な方法を提起して」いる。
グリーン・ニューディールの頓挫
〇八年のリーマンブラザーズの経営破たんを契機に全世界を震撼させた金融危機は、銀行救済のための莫大な公的資金の投入を通じて解決されたわけではなく、蘇った銀行・金融機関による投機的行動を媒介に、EUのいくつかの国における文字通りの財政破綻=主権の制限にまで及んでいる。
このことは気候変動や環境問題をめぐる各国の動向にも重要な影響を及ぼしている。
一九七〇年代におけるチリ・ピノチェット独裁政権の下で導入された新自由主義的経済政策が、一九八〇年代に米国のレーガン政権、英国のサッチャー政権の下で強力に推進され、一九九〇年代には旧ソ連邦・東欧労働者国家の崩壊に伴って全世界を覆うようになった。
一方で、この時期に異常気象、海面上昇、酸性雨、オゾンホールの拡大など、地球規模の環境問題の影響が次々と明らかにされ、化石燃料に依存した大量生産・大量消費の限界が意識されるようになった。
ヨーロッパを中心にエコロジー運動が生まれ、国連の下で環境問題に関する一連の交渉が始まった。
この中で英国労働党や米国の民主党を中心に、気候変動対策と経済成長は両立するという観点から、市場メカニズムを活用した気候変動対策が提唱されるようになった。
また、北欧諸国やヨーロッパ各地の地方レベルでは、再生可能エネルギーの活用などの多くの先進例が報告されている。
一九九〇年代に新自由主義的グローバリゼーションに対する抵抗の運動が世界的に拡大する中で、とりわけ「北」の諸国において雇用問題が深刻化する中で、市場メカニズムを活用した気候変動対策は「グリーン・ニューディール」への期待と共に語られるようになった。
日本においては、特に〇八年の米国大統領選挙におけるオバマの勝利と〇九年七月の総選挙を通じた政権交代を契機に、「グリーン・ニューディール」への期待が一気に高まった。
環境問題と雇用問題を結びつけて、新自由主義的グローバリゼーションがもたらしてきたさまざまな社会矛盾、とりわけ銀行・金融機関や多国籍企業の暴走に歯止めをかけるという構想は、社会主義という対案が信用を失墜している状況の中では、一定の進歩的役割を果たしてきた。
しかし、米国のオバマ政権と日本の民主党政権の現実は、この構想の頓挫を無残な形で示している。資本主義の危機の深さは、そのような「改良資本主義」が成立する余地を狭めている。
そもそも元祖のニューディール政策、つまり一九三〇年代から六〇年代にかけての米国資本主義のあり方が進歩的であったかどうかの評価も慎重でなければならないが、いずれにせよ、現在の時点でグリーン・ニューディール政策が世界の気候危機に対する対策を描けていないことは明白である。
一方、環境技術(ジオエンジニアリング)と称して大規模な環境改造技術の研究が進められている。炭素分離・地中貯蔵技術、成層圏への硫黄酸化物の散布(太陽光を反射させる)、海洋に鉄の粒子を散布してプランクトンを増殖させる(CO2を吸収させる)、巨大ダムで海洋の流れを変える、雲にヨウ素化銀を噴射して雨を降らせる等々である。これらはいずれも、効果よりも危険の方がはるかに重大な技術であり、しかも実現可能となるのは数十年先であり、現在の気候危機に対する対策にはなりえない。
むしろ、COP17に至る経過から考えれば、ニンモ・バッセイが言うように、「世界の最も裕福な一%が九九%を犠牲にしても仕方ないと決定し」たというのが真実である。
「世界の最も裕福な一%」は、地球上の経済活動に適した土地を自分たちで囲い込み、それに抵抗する者をテロリストとして排除し、温暖化=ビジネス・チャンスとして位置付けている。とりわけ米国国防総省においては「資源・水をめぐる中国との最終戦争」というシナリオや環境難民の流入を阻止するためのシナリオが研究されている。
エコロジー社会主義の提起
このように資本主義が統合と排除を究極の形態まで進めることを選択しようとしている今、「社会主義かバーバリズムか」という問いはますます切迫した問題となっている。
同時に、今日、社会主義の理論と運動は、切迫した地球環境の危機に関連する議論に切り込める内容をもって豊富化されなければならない。そのような問題意識から、革命的左翼の間でエコロジー社会主義をめぐる議論が展開されている。
エコロジー社会主義の提唱者の一人であるミッシェル・レヴィは、この理論の概略を次のように説明している(二〇一〇年一一月に米国ウィスコンシン大学で行った講演より)。
「エコ社会主義とは、エコロジー運動とマルクス主義の結合であり、エコロジーのメインストリームへの批判と社会主義のメインストリームへの批判、『現存する社会主義』への批判を含んでいる。
マルクス主義の中にエコロジーの要素が含まれているが、修正が必要な点もある。たとえば『革命によって、生産力を資本主義による制約から解放する』という規定は再検討が必要である。
社会主義は分配のシステムを変えるだけでなく、既存の生産システム(化石燃料の利用をベースにしている)を解体し、転換しなければならない」。
エコ社会主義は、交換価値を使用価値に従属させ、公有と民主主義的計画をベースに生産システムのラディカルな変革を目指す。この点では、マルクス主義の伝統的主張をいささかも変更していない。しかし、このプロセスの中で、化石燃料に代わるエネルギーの普及、エネルギー消費の削減に強調が置かれる点では、マルクス主義の伝統的主張よりも自覚的である。しかも、そのような転換が資本主義によっては実現できず、資本主義体制との決別が不可欠であると主張する。ここにエコロジー運動のメインストリームとの違いが明確である。
単にエコロジー運動とマルクス主義を接ぎ木するのではなく、新しい理論として提唱されているのである。
その上で、実現されるべき社会と、その中での生産と消費のあり方について、レヴィは次のように述べている。
「……何を生産し何を消費するかを人民自身が民主主義的計画と複数主義に基づいて決める。資本主義の下では、広告を通じて、人為的に欲求が作られている(消費主義)。消費主義の圧力から解放されたとき、正しい決定を行う可能性が相対的に高くなる。
消費主義は人間の生来の性質ではない。他の価値観を持つ文化もある。(一定の条件が満たされれば)、人々はより多くのモノよりも『より多くの自由な時間』を優先するようになる」。
この点は、この間の資本主義の危機の中で提起され始めている経済成長至上主義への批判や「脱成長」論とも重なる主張である。同時に、この考え方はマルクス主義、あるいはマルクス以前のさまざまな社会主義潮流によってさまざまな形で語られてきた人間解放の思想そのものである。
社会主義が生産力至上主義に歪められ、あるいは経済成長の分け前の分配を要求するだけの運動に堕落してきた現実を主体的に克服する上で、経済成長至上主義への批判や「脱成長」論は一つのきっかけになるかも知れないが、それは一過性の議論にすぎない。われわれはその水準にとどまるのではなく、社会主義、マルクス主義の理論と運動の歴史的・批判的総括の上に、社会主義、マルクス主義の復権を目指すべきである。
エコロジー社会主義の展望に関連して、レヴィは、現在南米で始まっている社会運動と環境問題の結合に注目している。
「アマゾンで現在、資本と熱帯雨林の「戦争」が起こっている。地元の住民(多くが先住民)はコモンズ(「共通財」)を主張している。これはエコ社会主義の一つの重要な要素である。
(社会運動は)すでにいくつかの勝利を手にしている。エクアドルで政府がヤスニITT地区の地下に埋蔵されている石油の採掘を、国際社会による補償を条件として放棄することを提案している。他の国でも同じような動きが続くならば、化石燃料の大量消費がスローダウンするだろう。また、この問題を通じてエコロジー問題への関心を高めることができる」。
先住民族の先駆的な闘い
二〇一〇年代に南米で一連の左派政権が確立され、その中で「二一世紀の社会主義」が掲げられるようになっている。
「二一世紀の社会主義」の内実は、各国の階級対立の構造と力関係、政権と社会運動との関係などの条件に規定されており、一様ではない。
「二一世紀の社会主義」の旗手となっているベネズエラのチャベス政権は、石油収入を背景とした上からの(漸進的)改革の側面と、一連の国有化や地域レベルでの大衆組織の形成を通じた社会運動の拡大の側面が複合している。エコロジーの問題については、反米・反資本主義の一般的な宣伝にとどまっている。
ボリビアのモラレス政権は、多民族国家、マザーアースの権利などの画期的な規定を含む進歩的憲法と一連の進歩的政策にもかかわらず、石油や鉱物資源の開発への依存が深く、先住民運動や環境運動との対立・衝突が繰り返されている。モラレス政権の強硬な弾圧は、先住民グループ間の対立につけこもうとする米国政府の反革命的介入の土壌ともなっている。
エクアドルのコレア政権は、債務監査・不正債務の返済拒否、ヤスニITT計画、シェブロンへの賠償請求などの画期的政策を進めてきた。しかし、政府の経済政策は開発志向であり、外国資本との関係が重視されている。
ブラジルの労働者党政権は、地域全体の米国からの独立と自立的発展、貧困の減少という面で非常に重要な歴史的な成果を収めてきた。しかし、国内の経済発展は多国籍企業との協調と大規模な環境破壊を伴っている。とくにアマゾン開発、巨大ダム計画、遺伝子組み換え作物の導入に対して、これまでの労働者党の支持基盤の間でさえ批判が高まっている。
こうした政府レベルの動向よりも、われわれが注目する必要があるのは、農民運動や先住民運動を背景とする急進的エコロジー運動の発展である。ヴィア・カンペシーナ(「農民の道」)やブラジルのMST(土地なき農民運動)の運動はクライメートジャスティス運動とコチャバンバ会議の推進力であり、その中で提起されてきた食糧主権、小農民を基礎とする地域自立型経済、自然との調和(「自然の権利」)、伝統的文化・技術とその多様性の尊重、生物多様性などの主張や、土地占拠、あるいは道路封鎖等の戦闘的な闘いは、エコロジー社会主義の重要な出発点となるだろう。
労働者階級の闘いの重要性
エコロジー運動はこれまで、「北」の知識人、比較的富裕な市民と「南」の農民運動を主な社会的基盤としてきた。労働者や低所得層の関心は比較的低い。
ATTACドイツのアレクシス・J・パサダキスさんは次のように指摘している。
「……欧州労連の官僚たちのように、現在の危機に対する運動の中で『支出削減反対、もっと成長を!』と先導している人たちも[政府と多国籍企業と]同様である。社会的支出の削減に反対することは必要だが、彼ら・彼女らは成長率を上げることで社会問題を解決できるという幻想に陥っている。長年にわたって工業諸国における成長率は低下してきた。これは成長の限界(資源のコストの上昇、破壊的な気候変動など)だけでなく、資本主義的発展に内在する限界(需要の相対的な飽和化)にもよる。成長だけでは長期にわたって失業の問題を軽減するには十分ではないし(「雇用なき成長」)、成長すれば公共の福祉が増進するわけでもない」(「公正な脱成長の経済」をめざして」、ATTAC Japan首都圏またはATTAC関西グループのウェブを参照)」。
資本主義の経済成長の分け前を要求する発想では、既得権すら守れない状況の中で、労働者階級は日々の生存のための闘争と同時に、エコロジーの観点から持続可能な社会・経済モデルを地域の中で構想し、他の社会諸階層と共に、その実現のための一歩を踏み出すことが求められている。それは民営化、競争、自己責任の論理によってズタズタに引き裂かれてきた「公共」の領域の奪還、再生を基盤としなければならない。
これは象徴的には、今日の米国における自動車産業の危機にどのように対処するべきかという問題として提起されている。〇九年に就任直後のオバマを襲ったGMの経営危機の中で、UAW(全米自動車労組)は組合員の雇用を守るためにあらゆる妥協を行った。組合の「特権」や日本企業と比較して手厚い労働者への福利がバッシングの対象となり、UAWは組織防衛のために、退職した組合員への年金の肩代わりさえ申し出た。
一方、自動車産業の労働組合の目指すべき方向について、自動車産業の労働者のCAW(カナダ自動車労組)の元会長補佐のサム・ギンディンは、次のように述べている。
「……たとえデトロイトを拠点とする企業がやり方を修正したとしても、自動車産業の危機を解決することはできない。……したがって、労働組合が救済策を求めてロビー活動を行う場合でも、視野を自動車産業以外の分野にも広げる必要がある。既存の設備や技能を、より広範な製品に応用することを考え始める必要がある。ここで再び環境問題が関係してくる。しかし、それは雇用を脅かすものとしてではなく、新しい雇用を生み出す可能性を提供している。……自動車の組み立て工場や、部品・工具工場、そして高熟練の勤勉な労働者の組織は重要な資産であり、それは風力タービン、太陽光パネル、大量輸送機関のための部品、よりエネルギー消費が少ない産業用機械や家電製品の生産のために転用することができる。……
(また)私たちの関心を、自動車産業の救済から地域社会の救済に移す必要がある。……必要なことは、自動車産業における雇用にしがみつくことだけではなくすでに雇用を失った、あるいは新たに雇用の機会を求めているすべての人たちのための生産的な雇用を生み出すことである。
地域社会の危機に対処するには、……真剣な全国規模および市規模の計画が必要であり、大衆の参加を促進し、保証する民主主義的機構の発展を伴うような計画が必要である。
これは自動車産業の枠をはるかに超えており、多くの人は「悪いけど、私は自分の生活が精一杯で、そんなことを考える余裕がない」という反応を示すかも知れない。しかし、そのような反応こそ、自動車産業の労働者が現在の苦境に陥った原因と関係している。(「労働情報」〇八年十二月十五日号より)。
三年前に書かれた提起であるが、今まさに、このことが問われている。
〇八~〇九年の金融危機から立ち直った銀行・金融機関は、今度は自らが作りだした国家財政破綻をネタにして政府をコントロール下に置き、民主主義を破壊しようとしている。そして長期化する不況をネタに労働者を分断し、労働者の団結を解体してきた。労働者階級は地域社会の危機に対処する戦略を必要としており、エコロジーの観点から持続可能な地域社会の構築を目指して、広範な社会階層との協力・共闘関係を作り出すことが求められている。
(小林 秀史)
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