参院選結果分析(2)
立憲民主党の「大敗」、共産党の後退、
社民党の比例2%突破が意味するもの
いま左翼に何が問われているのか
立憲民主の大幅議席減の要因は何か
立憲民主党は、参院選前の多くの予想通り、選挙区でも比例でも議席を減らしたが、とりわけ比例票の減少は深刻なレベルにある。3年前の前回参院選では、791万票だったのが今回は677万票と100万票以上減らした。投票率が3%以上上がり、投票した有権者は前回と比較すると約300万人多かったにもかかわらず、立憲民主への投票にはつながらなかったのである。
「敗北」と言われた昨年の衆院選で獲得した1146万票と比べると、さらに状況は深刻だ。もちろん比例議席がブロック単位なのか、全国区なのかという違いはあるにせよ、また選挙区で立候補しなかったところがあったにせよ、6割以下の得票しか得られていないという惨状である。
この立憲民主の「大敗」については、さまざまな理由がマスメディアやネット上で分析されている。たとえば、連合の集票力の低下によって労組組織内候補の得票数が減った(産経新聞電子版7月15日)、連合からの「共産党にすり寄っている」との批判を受け選挙区での野党共闘に消極的だった、提案型野党への脱皮を図ったがそれが中途半端だった、などといった指摘である。それらはいずれも部分的には当たっているが、立憲民主「大敗」の真の要因ではない。
確かに、1人区(32選挙区)での野党の選挙協力(ほとんどが共産党の候補取り下げによるもの)が全面的におこなわれていれば、少しは結果が違ったものになったかもしれない。すべての1人区(32選挙区)で選挙協力が実施された前々回は11議席、前回は10議席を野党統一候補が獲得した。しかし、今回、選挙協力は11選挙区にとどまり、そのうち青森、長野、沖縄で野党統一候補が当選を果たしただけだった。しかし、比較的投票率の高かった選挙区では、野党候補が当選、ないしは善戦という結果も出ている。たとえば、投票率全国2位の長野県(前回54・29%、今回57・70%)では、前回に続いて野党統一候補が当選し、全国3位の東京都(56・55%)では自民2、公明1の与党と立憲民主1、共産1、れいわ1の野党で6議席を分け合っている(全国1位の山形は、共産も候補を立てたが、国民民主の候補者が当選)。
また、連合の組織内比例候補は、立憲民主から自治労・日教組・JP労組・情報労連・基幹労連(+JAM)の5人が全員当選した(ほかに辻元清美候補が私鉄総連の準組織内候補として当選)。しかし、基幹労連の候補は、前回は国民民主から立候補し落選したため、今回は単に政党を鞍替えしただけで、選挙戦でも一切「立憲」色を出さずに活動しており、実際には国民民主と変わらない。
国民民主からは、UAゼンセン・電力総連・自動車総連は当選したが、電機連合は前回に続き落選した。しかし、こうした組織内候補は、いずれも比例での個人票を減らしたのである(合計すると、170万票余から152万票余へと18万票の減少)。わずかに増やしたかに見える自治労の組織内候補にしても、その内情は全く違っている。前回の参院選比例では、立憲と社民から2人が当選し、その得票は合わせて30万票を超えていた。そのときに社民から当選した吉田忠智議員が立憲民主に合流し、自治労候補が一本化されたにもかかわらず、この参院選は17万票余にとどまったからである。
この二つは、いずれも事実であるが、分析としては表面的なものでしかない。選挙協力した1人区でも、その多くは野党候補が落選しているし、連合の集票力の低下も比例票を減らしたうちの一部に過ぎないからである。
問題は、中道左派政党としての立憲民主党が今日の状況の中でどのような位置を持っているのか、そしてその位置を反映してどのような政策を掲げて選挙戦を戦ったのかにある。
立憲民主党の階級的立ち
位置と急速な政策転換
立憲民主は、昨年衆院選のあと「提案型野党への転換」を図ったが、それは何を意味し、その結果はどうだったのだろうか。立憲民主の泉代表は選挙後のラジオ番組で「今、右の野党、左の野党、両方が存在しているという中で、それを両立させるのは、きわめて難しい状況。立憲民主党が、まず政策の軸をしっかりと示す。(略)今回そこをぶれることなく、訴えることができたのは、私は、ひとつの大きな進歩だと思っている」と語ったという(7月11日、JICASTニュース電子版)。
これに対して、野党としての役割を果たしてこなかったという批判も見られる。たとえば、「政府・与党を追及すること、政府・与党が示した法案や予算案についてその問題点を明らかにして、それを正すよう求めること、何が問題で、わが国の社会経済にどのような影響を与え得るのかを明らかにすること、そして、問題点を解決するには何をすればいいのかを示すこと(法案を廃案にすることを含めて)」を果たしていなかった(室伏謙一「立憲民主党はなぜ参院選で大敗した?「提案型野党」が支持されない理由」)という批判である。これはある意味では、的を射た批判と言えようが、この党の階級的立ち位置については何ら明らかにしていない。
立憲民主は、その前身である民主党、民進党の成立過程を見ても、そして自らの成立過程から考えても、一方では右翼的な労働戦線再編によって生まれた連合を基盤とする政治勢力、もう一方でのいわゆるリベラル保守勢力の二つが、さまざまな力関係のもとで合わさった政党である。その性格上、その政策や立ち位置はそのときどきの状況に動かされて、中道左派という枠内においてではあるが、常に左右に揺れ動くという特徴を持っている。
これまでは、2017年総選挙の直前に「希望の党」結党への反発から生まれたという出自もあって、政策的には安倍政権のもとでの改憲に反対するという立場を堅持し、国政選挙においては一貫して共産党など他の野党との選挙協力という路線をとってきた。しかし、「希望の党」解体後の国民民主党の一部との合同を経て、党内の力関係が「右」へと振れていく中で、2019年総選挙での「敗北」を契機として、枝野前代表の辞任、泉代表の就任とともに、政策の「右」転換と選挙協力の見直し(という名の廃棄)へと向かったのである。
政策の「右」転換は、「安全保障」政策に端的に表現された。政策パンフの「安全保障」政策のタイトルが、総選挙の際の「平和を守るための現実的外交」が「着実な安全保障」に変えられ、政策パンフの小見出しも「日米同盟を基軸とした現実的な外交・安全保障政策」「地球規模の課題への積極的取り組み」「対等で建設的な日米関係」「経済安全保障・食の安全保障の確立」から、「着実な安全保障戦略」「防衛費は真に必要な予算を」「ミサイル防衛と迎撃能力を強化」「生活目線からの安全保障」「尖閣を守るための領域警備法制定」へと変えられた。
確かに、その政策の中には「辺野古基地建設の中止」「日米地位協定の改定」なども含まれてはいるが、こっそりと潜り込ませているだけという印象である。このように、ロシア軍によるウクライナ侵攻の圧力のもと、真剣な議論もないままに「平和」から「国防」へと転換していったのである。
つまり、「提案型野党」への転換とは、与党とほぼ共通の政策基盤の上で、その方法論を競い合うということであり、そうであれば当然のことであるが「実績」を持つ与党にかなうはずはなく、左右のポピュリスト政党に(部分的には国民民主や維新にも)支持を奪われていくのは必然と言える。こうした立憲民主の立ち位置の中での「右」転換こそが、参院選での「大敗」の主な要因ではないだろうか。
組織的後退に
歯止めがかからない共産党
共産党は、1人区での全面的な野党共闘を立憲民主から拒否されたこともあり、4分の3の選挙区で候補者を立てて、比例票の掘り起こしを図った。しかし、その効果はほとんど見られず、比例ではついに400万票を割り込み、6年前の参院選と比べ3分の2以下の360万票余の得票しか得られず、党勢の衰退傾向に歯止めがかからない状況が続いている。党の影響力を保持する源泉であり、その指標ともなる「新聞「赤旗」の購読者(日曜版を含む)は100万部を割り込み、党費を払っている党員数も20万人を切る状況にあると言われ、あわせて党員の高齢化による活動量の低下が顕著となっている。
こうした中で、志位委員長の「自衛隊活用」発言は、支持者の一部に少なからぬ影響を与えた可能性がある。この発言は、4月7日に開かれた全国都道府県委員長を集めた集会で志位委員長が「万が一、急迫不正の、主権侵害が起こった場合には、自衛隊を含めて、あらゆる手段を行使して国民の命と日本の主権を守り抜くというのが日本共産党の立場だ」「憲法9条は無抵抗主義ではない。9条の下でも個別的自衛権は存在するし、必要に迫られた場合には、その権利を行使することは当然だ」と述べたものである。この立場は、すでに2000年11月の党大会で確認されたものだとされているが、少なくとも安倍政権下での憲法9条改悪の動きに反対する中では強調されてはこなかった。ロシア軍によるウクライナ侵攻を受けて、言わばその圧力に屈した形での態度表明であり、そのことによって支持者の一部が社民党などに投票先を変えたことは十分に推測できる。
れいわ新選組を
どのように評価するか
れいわ新選組は、2019年参院選、昨年の総選挙に続き、比例で200万票を超える得票を得て、2人を当選させた。また、東京選挙区で山本太郎代表が6位で当選し、維新の東京「進出」を阻むのに大きな力となった。ただ、山本代表の東京での立候補については、「当初は、れいわ支持率が比較的高かった東京には他の候補者を擁立し、自らは別の選挙区に乗り込んで議席をもぎ取る算段だった。しかし、東京で勝てる候補者を担ぎ出せず、自らが別の選挙区で勝てる見込みも立たない。東京で自らの1議席を確実に取る『守り』を優先するほかなかったのである」(鮫島浩『サンデー毎日』による)という評価もあった。
実際のところ、比例での支持は、3回の国政選挙でほぼ横ばいであり、当初登場してきたようなインパクトはなくなってきている。それは、反緊縮と消費税廃止を二本柱とするれいわの経済政策が、現実の物価高騰という状況の中でアピール力を持ち続けられたのか、という問題でもある。
れいわをどのように評価するか、について本紙6月20日号に「『れいわ』を投票先に加えるべき」とする投稿が掲載された。この投稿は、れいわと共産・社民とでは、われわれから見て政策的にそれほど大きな違いはないとした上で、民営化された企業の再公有化が打ち出されている点では「気候危機との闘い」という観点からもわれわれにより近いのではないか、それなのに「ポピュリズム」政党であるという見方だけで比例の投票行動から外すのはおかしい、という主張だった。
今回の参院選で、JRCL中央委員会アピールは「社民党・共産党と9条改憲反対の野党統一候補に投票を!」と訴えた(本紙6月20日号)。そして、どちらかといえば社民党により重点を置いていた。それは社民党が政党要件を確保することは、今後の大衆運動や社会運動の発展にとって大きな意味を持つという判断からだった。
れいわについては、私は「左派ポピュリズム」という評価をしている。それは、社会運動や労働運動などとのつながりを持たず、指導者(山本代表)が直接に大衆とつながって、大衆の不満や願望をすくいあげ、彼が基本的に一人で政策や立候補者を決めていくという党の性格ゆえである。われわれの基本的立場は、それが現在いかに低調であったとしても、社会運動や労働運動の再構築をめざすとともに、それを基礎にした反資本主義的・エコロジー的・ジェンダー的な左翼の構築にある。その意味では、そうした社会運動や労働運動などを一定の基盤とする社民・共産を投票行動の対象としたのには明確な根拠があると私は考えている。
「左派ポピュリズム」として位置付けるかどうかは別にしても(れいわは自らについて「左でも右でもない」としている)、より大きな問題は、れいわが自公政権に批判的で、「左」へと向かおうとする人々の受け皿(とりわけ若い層の受け皿)になっているという事実である。ここでも広い意味での左翼が問われているし、れいわを支持する人々との共闘関係を地域からどのように作り出していけるのかが問われている。その意味で、杉並区長選挙での岸本聡子さんの当選は非常に教訓的であろう。
社民党の「比例2%、
120万票超え」が示したもの
社民党は、参院での議席や政党要件を喪失するかもしれないという危機の中で、福島党首の当選と126万票近くの比例票を獲得し、何とか持ちこたえた。その要因を社民党自身は「一義的には党員の驚異的踏ん張りによるものではありますが、共同名簿への名簿登載の上ともに闘ってくださった新社会党の皆さんや、多大な選挙協力をしてくださった緑の党の皆さん、各地域の革新系無所属議員、その他各地域で様々な市民・住民運動、労働運動に携わってこられた市民の皆さんのご支援の賜物」(社民党声明)であるとしている。「市民・住民運動、労働運動」からの支援という点では、たとえば大阪で言えば、大阪全労協、全港湾大阪支部、連帯労組などの労組のとりくみ、大阪9区での市民有志の活動などがあげられ、市民団体からも多くのメンバーが事前・選挙中の活動に参加した。
もう一つ特筆すべきことは、社民党全体として、女性、青年への訴えを強めたことが一定の成果を得たことである。「無党派層の支持、とりわけ若い女性の支援が大きく増えた」(福島党首、Yahoo!ニュースによる、以下同じ)と書かれた記事の中で、女性、青年の支持について「福島氏が街頭演説をすると、10代20代の女性が集まり、『みずほっちを応援している』『一緒に写真撮ってください』と声を掛けられるケースが多く見られた」として、福島党首の「こうした運動は本当にありがたかった。若い年代の女性に加え、積極的に街頭演説をしてくれたり、ボランティアをしてくれる大学生も日に日に増えていった。明らかに6年前とは違いました」という話を紹介している。
また、大椿副党首は、選挙後に出した「大椿ゆうこを応援してくれたみなさんへ」という文章で、「街宣を聞きに来てくれた若い女性は、『同性婚を実現してほしい』と伝えてくれました。その後、毎回のように街宣を聞きに来てくれ、最後にはボランティアとして関わってくれるようになりました。駅前で偶然出会った19歳の男性は、今回初めて選挙に行くと話してくれました。『社民党は必要だと思います。自民党に対する明確な対立軸として、社民党は存在し続けてほしいです』と言われた時には驚きました。19歳の若者が、社民党の価値をそのように見出してくれていることに希望を感じました」と書いている。
社民党は、2019年から翌年にかけての分裂によって、自治労系の党員が大量に離党して立憲民主に移り、それを契機に党を離れた党員も多く、実質上地方組織が空白となった県も生まれた(この分裂で、旧向坂協会系の党員は多くが離党したが、旧太田協会の流れをくむ「進歩と改革研究会」系の党員は社民党に残ったと言われる)。分裂を経て新たに就任した服部幹事長は、社民党を「エコロジー社民主義」「ジェンダー社民主義」の党へと転換させようとの主張を掲げている。そして、選挙戦の中では、大椿副党首をはじめとして、「労働者の切り捨てを許さない」という主張を明確に掲げ、労働組合の必要性や「議員に任すのではなく、ともに立ち上がろう」と訴えた。こうした転換の試み(まだ党全体に浸透しているとは言い難いが)や訴えが、少しずつ実を結びつつあると言えるのではないか。
しかし、そうした活動が選挙戦においてのことだけであれば、今後の展望は暗いと言わざるを得ない。日常的に、大衆運動や社会運動、地域でのさまざまなとりくみと結びつき、そこで活動する女性、青年とともに歩むことを通じてしか、社民党は生き残れないだろう。それはひるがえって言えば、われわれ自身の課題でもある。
岸田政権の改憲策動と「新しい資本主義」に対して、9条改憲阻止と生活防衛の大衆運動の構築で応えよう
前号で述べたように岸田政権の今後は、決して「黄金の3年間」と言われるような前途洋々としたものではない。コロナ感染の急速な拡大による医療体制崩壊の危機、ロシア軍のウクライナ侵攻や中国の「ゼロコロナ」政策などによる世界的な資源・食料をはじめとした製品価格の高騰、アベノミクスの「遺産」ともいうべき極端な円安の進行、それらによる消費者物価の急上昇、その中で進行する労働者民衆の深刻な生活危機、異常気象をともなって深刻化する気候危機……それらすべてに対応しつつ、軍事費の大増額や改憲をおこなっていくことが、「聞き上手だが優柔不断」とされる岸田政権に果たして可能なのだろうか。
しかも、改憲を主導してきた安倍元首相が殺害され、その直接の契機が旧統一教会と安倍元首相との関係にあったと報じられ、さらに自民党内の右派勢力と旧統一教会との強い結びつきが指摘され、批判を浴びている。これらは改憲派にとって大きな打撃であることは間違いない。
軍事費をGNP比2%にまで増額しようとすれば、国債の大量発行か、消費税の大幅増税でしか財源は確保できないだろう。そのどちらの手段をとるにしても、政権の内外から大きな抵抗が生じるだろうし、政権内の分裂もありえるかもしれない。したがって、岸田政権が情勢の圧力のもとで政権運営に行き詰まり、早期の解散総選挙に追い込まれる可能性も否定はできないのである。
もちろん、そうは言っても岸田政権のもとで、軍事費の増額、自衛隊の拡充、先制攻撃能力の構築、辺野古基地建設の継続など軍拡の動きが推進されるだろうし、改憲に向けた策動も強められるだろう。それに対する大衆的な反撃を組織することは引き続いて重要な任務であり、改憲阻止の闘いの再構築も急がなければならない。
そのことによって、岸田政権を追い詰め、改憲発議を容易に決断できない状況を作り出すとともに、いざという場合の国民投票をも射程に入れた運動を作り出す必要がある。その意味では、沖縄選挙区の伊波候補が僅差ではあったが再選を果たしたことは非常に大きな意義がある。引き続く沖縄知事選での玉城知事の再選をかちとることは、岸田政権への大きな打撃となり、運動を励ますことになるだろう。
そうした闘いとともに、労働者民衆の生活防衛の要求を組織し、地域から共同闘争を作り上げることも大きな課題である。岸田政権が当初に掲げた「新しい資本主義」は、形だけでも再分配を言ってみた弱々しい試みだったが、それすら原形をとどめないほど変質させられ、新たな新自由主義的経済政策のキャッチコピーと化している。「労働者の切り捨てを許さない」はまさにわれわれのスローガンでなければならない。岸田政権の改憲策動と「新しい資本主義」に対して、9条改憲阻止と生活防衛の大衆運動の構築で応えよう。
(大森敏三)
【お詫び】前号の本論文の署名「大森敏三」が欠落してました。(編集部)
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