民族問題の歴史からウクライナ問題を考える
湯川順夫
【編集部より】「民族問題の歴史からウクライナ問題を考える」は湯川順夫さんが最後の力を振り絞って、ベットで書き記したものである。湯川さんは対話形式という形で、分かりやすく、プーチンのウクライナ侵略を「民族抑圧、軍事的占領、侵略そのものである」として、それとどのような立場で闘うべきかを書いている。日本におけるウクライナ問題をめぐる論争に対して、明確な立場を表明している。そしてそれは抽象的立場ではなく、ヨーロッパで行われているウクライナ支援の国際労働者救援輸送隊の運動へ日本も参加したらどうかと提起している。
A――当面の中心的で本質的な問題は、まず何よりもロシア・ブーチンの大ロシア民族排外主義政権によるウクライナ軍事侵略を阻止すべきだ。なぜなら、今回の侵略は、ウクライナに対するロシア排外主義によるあからさまな、民族抑圧、軍事的占領、直接的なその軍事侵略そのものであり、それ以外の何物でもないからだ。従って、私たちの議論、取り組みは、まず何よりも、以上の立場から出発しなければならない。
B――でもブーチン政権をそうせざるを得ない立場に追いやったのは、NATOを初めとした日本をも含む欧米日の西側大国ではないのか?
A――ということは、あなたは、ロシアのプーチン体制が圧倒的軍事的優位を背景に、ウクライナを全面的に軍事侵略して、それを支配しようとしているのに、悪いのは主として西側大国だと言いたいのだろうか?西側大国の責任非難することだけで、済ましてそれで終りだということだろうか? この事態に当面何をすべきなのか?
B――いや、それは?…?。そうは言っていない。でも、これは結局、西側と東側の両大国間の対立ということなのでは?
A――問題を戦略的に考えなければならない。
B――「戦略的」とは、上から目線だね!
A――戦略的とは上から目線などということではなく、全体的な今日の情勢を考えて、まず何に集中的に取り組むべきかを考えるべきだ、ということだ。当面集中すべきは、まず何よりもプーチン政権の軍事侵略を阻止し、それを挫折させて、ロンア軍のウクライナからの撤退を勝ち取ることであり、これをウクライナの民衆とロシア国内の戦争に反対する勢力、全世界の民衆の力を結集して、この点を勝ち取ることだ。
その点を明確にせずに欧米日の西側大国に責任があるというだけしか言わないのは、それは当面、何に集中して闘うべきか、その焦点を曖昧にすることになるだろう。
B――でもそれでは、ウクライナの「ネオナチ勢力」と一緒になってロシアと闘うことになるのでは?それでよいのか?
A――極右勢力がウクライナ国内で一定の勢力を保持しているのはその通りだ。隣国の大国ロシアがウクライナはロシアのものだとして軍事侵略をして来ている状況のもとで、極右が一定の勢力をもつことは、ある程度、想定される。
だが、ロシア軍の無差別攻撃によって、殺害され、家を破壊され、避難したり、故郷を追われて国外に逃れたりしている圧倒的多数の人々はネオナチの人々なのだろうか?このように考え、宣伝しているのはプーチン政権の側であって、現実は、こうした苦難に遭遇しているウクライナの人々の圧倒的多数は、ネオナチではなくて、大国ロシアの圧倒的な軍事侵略を前にして、ウクライナ民族主義の立場を取らざるをえなくなっているということなのだ。ネオナチとウクライナ民族主義とは区別しなければならない。圧倒的に強大な力をもった大国の不当な力による軍事侵略を前にして、人々は時として民族主義に自分たちの怒りの表現のよりどころを求める。
『ル・モンド』紙(2022年3月)によれば、ネオナチだと非難されているアゾフ大隊は、ウクライナ軍全体の2%未満の割合を占めているにすぎない、という。
同じく国政選挙でも同紙は、ネオナチと言われている政治勢力がきわめて弱体であると指摘している。そのうちの二つの政治勢力の一方である、プロヴィイとセクトルの2党合わせた候補者の得票率は3%未満であり、すなわち、スボボダの候補者のオレグ・ティアグニボクが1・8%、プラヴィイとセクトルの党首、ドウミトリ・ヤロシュが0・9%であった。同紙は、要するにこれらの勢力は反ユダヤ主義とは何の関係もないとしている。これが、ウクライナの極右勢力の現在の実態なのだ。
B――でも、それはネオファシストと一緒に反ロシアで闘うことを意味しないだろうか?
A――きわめて大規模な反原発運動が存在している。大衆運動であるがゆえに、この運動には保守派をも含めて実に多様な政治潮流が登場している。でも、人々は、その中に保守派がすこしだけ参加しているからと言ってそれについていちいち目くじらをたててはいない。そうした保守派が参加しても、それはごく少数であって、反原発運動全体の性格に影響を及ぼすことなどないということは十分承知しているからだ。
同じことは、フランスの「黄色いベストの運動」についても言える。この運動は、きわめで大規模で長期にわたって持続した重要な全国運動になった、Bさんは、口に出しては言わなかったのだが、当初、この運動に批判的だったのでないだろうか?トラック輸送業者が極右勢力と結託して、運動を代表しようと試みた。
しかし、こうした姑息な試みはすぐさま運動自身から排除されてしまった。デモに参加していた極右派の隊列も、CGTやNPAに対する武装襲撃を試みて、排除されていった。フランスの社会運動は、この運動の中で地区から代表を選出する全国会議を何度か開催する努力を続けた。これは、これまで既存の労組や政党と関わったことはなく、そうした官僚機構に強い不信感を抱いていた運動参加者にとっては、容易に応じることができるものではなかった。
しかし、この運動は、こうした社会運動の地道な努力によって、いくつかの地域で、社会党・共産党の左の立場に立つ地域の社会運の共闘の結成へとつながり、それらを通じていくつかの地で地方議会の議員を当選させるに至ったのだ。わずかな成果だが、極右派の介入を危惧するのではなく、社会運動の地道な活動によって、それを克服できるのだ、ということをこのことは物語っていないだろうか?
C――この戦争は結局、両大国間(欧米日)ロシア(中国)という二大国陣営の対立・戦争ということになるだろう。
A――そこだけを取り出せば、それ自体間違っていない、でもそれでは余りにも抽象的で、第一次世界大戦以降にも当てはまり、具体性に欠け、何も言っていないことになるだろう。
こうした大規模な戦争では、ひとつの形だけではなく、さまざまな形態が複合的に結びついている。
Cさんが問題にしている点を、エルネスト・マンデルは、次のように説明している。今回のロシアの侵略のような大規模な戦争はいくつかの形の複合的組み合わせとして展開される、と。
たとえば、第二次世界大戦の全体的な性格は次の5つの異なる戦争の組み合わせだ。
①帝国主義相互間の世界的へゲモニーを目指す戦争(米英仏など対日独伊)。アメリカがこれに勝利を収めた―Cさんの指摘している側面
②ソヴィエト連邦を破壊植民地化して、1917年のその成果を破壊しようとする帝国主義の試みに対する、ソ連による正義の自衛戦争
③日本帝国主義に対する中国人民のさまざまな軍事大国に対する中国人民の正義の戦争
④さまざまな軍事大国に対するアジア、インドシナを含むアジア人民の正義の戦争
⑤ヨーロッパの被占領地域の民衆よって民族解放の正義の戦争(ユーゴスラピア、ギリシャ、フランス、イタリアなどのレジスタンス)。
この5つの戦争の密接不可分の関係に①の戦争の形態も民衆の戦い(②、③、④、⑤)の形態を内包していた、とマンデルは主張している。この要素を彼は「正義」の戦争と表現している。そこには、旧ソ連邦の赤軍だけでなく、労働者、抑圧を受けている人々、大地主の下で搾取・収奪されている人々、女性をはじめとする、いわれないさまざまな差別を受けている人々がそれに参加していたのだ。
C――えっ、、、ソ連の官僚体制を評価するのか?
A――でも、①の戦争は②、③、④、⑤のような民衆の闘いと不可分に結びついていたのではないのか?
この視点を見ないと、今日の「歴史修正主義」の歴史的総括、「レジスタンスもナチも暴力の行使という意味では、同列だ」とする歴史的評価が台頭してきてしまう。エンツッオ・トラヴェルソの批判は的を射ている。だから、しょせんは、大国間の争いにすぎないと抽象的に言うべきではないのだ、という「歴史修正主義」的な歴史総括となってしまうだろう。
冷戦が終結したアメリカのプッシュ大統領の統治時代に人々は大きな期待を抱いた。第二次世界大戦後のいわゆる「国際社会」を根本的に改善できる時代が到来したのだという大きな期待だ。エンツォ・トラヴェルソ『ポピュリズムとファシズム』(『作品社』)
A――このようにして戦われた第二世界大戦後の世界がどうあるべきか、ロシア革命の専門家であるE・H・カーは、つぎのように語っている。
「新しい国際秩序、新しい国際調和というものは、寛容なおかつ圧政的でないものとして、あるいは……実行可能な他のどんな選択肢よりも望ましいものとして、それぞれ一般に受け入れられる支配を基礎にして初めて築かれる。支配下の領土に対するドイツないし日本による、事実、イギリスやアメリカの場合の方が大きな要素となっている」。
「不平等を緩和して紛争を解決するため、経済的利益は犠性にされなければならない」。
以上の国際的枠組みは、われわれの社会運動にとってまったく不十分なものだが一社会民主主義やスターリニズムの指導部の抑圧、弾圧の結果として第二次世界大戦後の世界そのものであった。国連、IMF、人権、福祉制度、人権、平等など。
A――これについて冷戦終終結がさらにここから質的に前進する機会が訪れ、冷戦時代の莫大な核・大量破壊兵器軍拡の決定的な削減、その費用を世界の貧困、地球環境の次定的な費用に振り向けることが可能となった。これは、ロシアや中国にとっても基本的に受け入れられるものだっただろう。そして、こうして軍拡に使われてきた膨大な予算、ロシア・東欧官僚体制の再生に振り向けることが可能だっただろう。
ところが、プッシュ政権はそれとは正反対の方向へと走ったのだった。
自国経済を優先し、EUに支援を求めるギリシャ東欧体制に対しては、IMFのかの悪名高き「構造調整」を求めるだけだった。
経済についても、自国経済を優先し、「貿易戦争」に走った。そればかりでなく、アメリカが単独で世界の覇権を握るチャンスとばかり、「国連」すら無視し、イラク、アフガニスタンへの軍事侵略、占領にのめりこんでいった。
まさに、今、ロシアのプーチンがやっていることにほかならない。当然、このアメリカの軍事的侵略は、見事破産した。ジルベール・アシュカル『野蛮の衝突』。
A――以上の点を、欧米日の側の責任として指摘するCの主張は正しくても、再度繰り返すが、大国ロシアが大規模な軍事作戦を展開しているこの時点で、その点に触れず、プーチン政権の侵略に触れないのは、間違っている。
C――でも、ウクライナのネオファシストと一緒に活動するのはどうなのか?
A――それで、国際労働者救援輸送隊の運動がある。今はヨーロッパへの送金は不可能なので、これであれば直接、ウクライナの労働者へ救援物資を渡すことができるだろう。
C――ところで、ウクライナなどの東欧はどうしてヨーロッパの穀倉地帯になったのだろう。
A――それは大航海時代の世界の一体化の時代にさかのぼる。
西ヨーロッパの中世の古典的荘園では、封建領主=農奴の力関係は次第に農奴に有利になりつつあり、地代は、賦役→物納→貨幣地代へと変わっていた。
こうした中で、世界の一体化によって、南米のポトシ銀山の、日本の銀がヨーロッパに大量に流入し、「価格革命」がおこり、農奴の力がさらに強まり、その中から自立した市民層も形成されていく。
覇権は、古代地中海から、ヨーロッパの大西洋岸に移り、アムステルダムに移行した。
他方、東欧ではそれと逆行する事態が進行した。封建貴族が農奴への締め付けを強化ずるという逆行が生じ=「再版農奴制」。こうして、東欧の支配層は農奴制の強化に基づいて、「資本主義的な」取引に基づいて穀物を西ヨーロッパに輸出するという関係が成立する。
中心対周辺
西ヨーロッパ対東欧
オーデルナイセ川を境に、東欧の西半分は、オーストリア・ハンガリー帝国、東半分は帝国」の支配下に、
(以上で絶筆となっている)
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