討論のために:「再公営・公有化」を考える

左派は「社会主義」のための政策を掲げよう

新コロナ対策には公的医療が必要
公的感染症治療の病院が一つも作られていない

 新コロナ禍は4年目を迎える。一時よりも死亡率はかなり減少したとはいえ、依然として脅威であることに変わりはない。寒さが増してまた感染者が北国から増えている。新たに後遺症に悩まされる人たちがたくさん現れている。そのため病床の確保がまた難しくなりかねない。
 いったい新コロナ禍のために国が投下した税金はいくらになるのだろうか。19~21年度で94兆円の予算を計上している。21年度待つ時点でそのうち18兆円もの使い残し。国会決議を経ないで使える予備費は22年度新コロナ関連だけで5兆円に上がっている。
 22年11月には病床を確保した病院に支払われた補助金のうち9都道府県分だけで55億円もの不正支払いがあったと会計検査院の調査で分かったと報じられた。
 日本の医療はアメリカと対比して社会保険の普及により公共性が優位であるかのように言われている。しかし日本の医療制度を西ヨーロッパ諸国と比べると西ヨーロッパの医療が公的機関によって運営されているのと違ってその大部分が法人経営であるということである。この差異は大変なものである。そもそも新コロナ患者を受け入れるということは病院経営にとっては大変な痛手である。行政は補助金と病院経営者の医療は仁術、人間愛の大義名分に頼って病床の提供を依頼するしか本質的に手がない。
 新コロナ禍にあってもその構造は変わっていない。コロナ禍の中でも公立病院の「民営化」方針は変わることなく進められている。
 本来「感染症対策は公的医療として対応しなければならない」性格のものである。このこと自身はほとんどの人が否定しない。しかし現実方針となると全くと言っていいほど進んでいないのである。日本の医療制度総体を公的医療へと編成していくことは大変なことであるが、感染症対策自身の公的医療化がこのコロナ禍の3年間でも進まず、相変わらず民間医療に対する協力の呼びかけと補助金支出に終始していることは、政権の責任にとどまらず国民的責任を問題にしなければならない事態である。
 福祉医療機構が2021年に公表した「20年度 福祉・医療施設の建設費について」によると「定員一人当たり建設費」は2184万円。300床の一般病院を新設すると67億円になるという。
 この額は9都道府県の病院への不正支出額よリ少ないが多分全国不正支出額で病院が建てられる額であり、2年間で使われた94兆円の新コロナ対策費ではもちろん建設費だけで済むわけではないが、かなりの数の感染症専門公的病院が建てられたはずである。しかしそれは一院も建てられていない。「感染症対策は公的医療として対応しなければならない」はずであるが、それが現実対策として主張されず、論議されず、国の政策として決定されていないからである。
 もし公的感染症対策病院の設置が新コロナ禍始まり時に手掛けられていたら、今日のように受け入れ病床が足りないなどという事態は避けられたはずだ。
 日本の高所得層を形成する医療経営者の強力な支持のもとに、公的医療機関をも医療利潤の拡大のために「民営化」してきた自民党政権が感染症対策と言えども公的医療制度を導入することはないだろう。問題にしたいことは、政権の新コロナ対策を批判している人達が感染症の公的病院の設置を国民に分かる形で政策として提起していないということである。正しくも公的病院の民営化には反対しているのだが、新たに公的病院を創れとの要求に踏み込んでいないのである。

自治体民営化の伸長
住民福祉の減少、低賃金化に抗する闘い

 民営化について振り返りたい。さて、民営化の言語の英語privatizationを直訳すると「私有化」。委託方式の中の一種であるコンセッションのconcessionとはもともと「利権・特権」という意味がある。これを「運営権」と訳している。
 日本の民営化は70年代から検討され、ジャパンアズナンバーワンと賞賛された、高度経済終焉期から開始された。それはそれまで「公共企業体」によって運営されていた日本産業の主要インフラの民営化から始まった。
 時系列的には以下のようになる。中曽根政権では85年、電電公社、専売、86年、国鉄。橋本政権では99年PFI法成立、01年,独立行政法人化。小泉政権では05年、道路公団、07年、郵政。
 1970年―80年代日本労働運動は「民営化」を巡っての大決戦に敗北し、資本主義の変革を捨て、資本主義の枠内にとどめる連合労働運動に移行した。
 民営化は鉄道・通信・郵政・道路の国営の主要インフラはすでに過去のものとなりつつあるが、国行政、地方自治体における教育を含む文化、福祉、医療、衛生、道路などまでの民営化はまさに現在進行中であり、その住民は巨大な影響を日々受けている。
 小泉政権以後急速に自治体における民営化が進んだ。自治体行政の任務は住民の福祉の増進にあるのだが、その福祉サービス部門が効率性の美名のもと、民営化されてきた。
 小泉政権は「ワーキングプア―」という言葉に象徴されるように格差を急速に進めた政権だが、自民党政権に代わった民主党政権においても、新自由主義者主導の内閣によって行政・自治体の民営化は進み、それに代わった安倍政権は上からの専制的手法によって民営化を推進してきた。
 1999年にPFI(民間資金等の活用による公共施設等の整備等の促進に関する法律)が法制化された。それが何回か改定され、独立行政法人法、公共サービス基本法、特区制度の制定であらゆる公共事業の民営化がすすめられた。
 民営化には所有権そのものを移転する株式公開型と直接売却型があるが、所有権については行政が保持したまま民間に委託する方式もある。この委託方式でも単純ないわゆる外注のほか、一定期間運営権を業者に譲渡するコンセッション方式がある。
 これによって自治体のいわゆる現場がほとんど民営化されている。
 この民営化は公務員を減員し、委託された業者は「効率」のために非正規労働者を採用し、賃金の格差拡大の推進力になっていることに特に注目しなければならない。
 この一方的推進に対して、住民の福祉を守るための民営化反対の闘いは停滞した。民営化を阻止するというよりも、より良い民営化の注文を付けるという形にとどまっていた。しかし今闘いはいくつかの自治体においては賃金条項を有する「公契約条例」も制定されている。これは民間委託に対する条件付与の要求であるが、新たな闘いの萌芽でもあるだろう。

「再公営」の要求は新自由主義の行きついた現実から始まっている

 この間の再公営・公有化の発想は。民営化の見直し→再公営・公有化の検討がなされてきた。とりわけヨーロッパでは08年のリーマンショックの経済危機より緊縮財政が進み公共事業の民営化が急速に進み弊害が露呈したという。
 今ある世界はソ連社会主義を崩壊させた新自由主義資本主義の行きついた世界である。その社会に生きる民衆の苦悩からの解放の叫びから「再公営化」の発想が生まれてきている。
 日本においても新コロナ対策、自治体における民営化の住民に対する影響が国民の民営化に対する疑問を引き起こしつつある。ここが大事である。「社会主義」「革命論」の考え方が前提となって出て来たのではない。
 杉並区長に就任した岸本聡子さんは「地域自治で、グローバル資本主義を包囲する」(世界20年11月号より)で「再公営化とは、民間企業の公的事業へと公共サービスを取り戻すこと。より正確には、資産、運営権所有やサービスの民間企業へのアウトソーシング、官民連携(PFI)といった、様々な形で民営化された公共サービスを公的な所有、公的な管理、民主的なコントロールに戻す筋道のことである」と述べている。

「再公営。公有化」を政策に
 資本主義システムの変革を目
 指す


 岸田政権危機の中で、立憲民主党中枢を含めて挙党一致体制が進行している。「立憲主義」野党と市民の共闘の客観的実現基盤は虚構になってきている。今必要なのは、現代版「人民戦線」を求めて自己を資本主義融和へと導くことではなく、資本主義システムの変革を目指す左派の統一戦線を強固にするべきではないか。
 「ソ連社会主義」の破綻、「中国社会主義」への疑義にもかかわらず、社会主義は死んだのではない。左派は自己の信ずる社会主義を心の奥底にしまっておくのではなく、自己の信ずる社会主義を綱領の奥に納めておくのではなく国民大衆の前に明らかにし、政策として試練にさらさなければならない時が来ているのではないか。そのまず始めが「再公営・公有化」の政策要求ではないか。
 すでに民営化された重要産業、基本インフラについての問題が重要であることは当然である。しかしこの民営化に対して体を張って闘ってきた世代にとっても「再公営化」のイメージが煮詰まっていない段階においてまず現下の新コロナ対策と行政・自治体民営化に対しての「再公営・公有化」の政策から始める必要があるだろう。

「再公営・公有化」政策要求を提起するにあたって、左翼の共通認識の確認の討論の必要性


 一般的には「再公営化」と表現されているが、「再公営・公有化」としているのは運営権だけでなく所有権も問題にするということである。「再公営化」ということがもちろん運営権だけに限定して問題にしているわけではないが。
 再公営・公有化を考えるにあたってこれは生産手段の所有・管理の概念が関連しているので、社会主義にとってどうしても破綻が歴史的明らかにされたソ連「社会主義」についての総括が前にはだかっている。これについては30年の間に様々な形で元・現社会主義者の間で論議されてきただろう。圧倒的多くはロシア革命と「社会主義革命」そのものの清算の立場であった。少数派の「社会主義の継承の立場」でも様々な傾向に分岐した。その中の多数派は一切の責任をスターリンに転嫁して、ロシア革命そのものの評価を回避したまま「社会主義革命」を現世界から切り離した将来のものに棚上げにする傾向だろう。
 ロシア革命の歴史的意義を認める少数派の中でも見解が分かれた。その中の多数派傾向はロシア革命についての総括を試みたグラムシの「獄中ノート」の「機動戦から陣地戦へ」に啓発され、「市民ヘゲモニー」と「アソシエーション」による社会主義への移行を展望した傾向だろう。
 また永続革命の考え方を継承しつつ、20世紀初頭の資本主義後進国ロシアにおける労働者の権力奪取を評価し、孤立したロシア革命が世界の労働者と連帯して社会主義を目指した闘いを評価し、「獄中ノート」の問題意識は大事にしながらも、労働者階級のヘゲモニーによる権力成就は必要であるという傾向も存在する。
 基本的に共通しなければならないのは後期資本主義が築かねばならなかった「民主主義」を通じて社会主義を達成するということだろう。スターリニズム社会主義に抗した戦後社会主義潮流は後期資本主義分析を通じて労働者民主主義に基づいた世界社会主義の方向性で闘ったが、今や立ち遅れを深く認識し、フェミニズム、エコロジー社会主義として深化させねばならないだろう。

再公営・公有化を考えるにあたって、今までの「社会主義」にまつわる言葉の再検討

 歴史的観念は新しい世代によって再生できるのであり、古い社会主義の観念の歴史的崩壊に打ちひしがれているのではなく、何が総括され、何を再生しなければいけないかを大胆に提起していくことが必要だと思う(この間の欧米と日本における若者世代の社会主義に対する意識の相違は、単に国情の違いに帰せられるのではなく、我々の意識と働きかけがどうだったのかが問われているのではないだろうか)。
 岸本聡子さんは「ミュニシバリズムが抗するものは新自由主義なのか、それとも資本主義なのか。ここまで私は、それは資本主義だと言い切る自信がなかった。自分より一回り、二回り上の左派知識人たちが優雅に資本主義批判をしながら革命を論じ、具体的な成果や変化に関心を示さないことにイラつきながら、労働を搾取し、公共を解体する目の前の危機である新自由主義にパンチの連打を浴びせなければと必死であった」(「世界」20年11月号)と、斎藤幸平の「人新世の資本論」に啓発されたと書いている。
(1)「国有化」「私有財産の廃止イコール国有化」が誤りであって国有化の形もありうるということ。
(2)「計画経済」「計画経済イコール社会主義経済」が誤りであり、市場経済の放任ではなく計画の必要性は必然。これは社会主義から共産主義へのテーゼを承認しなくても可能。
(3)「私的所有」「社会主義イコール私有財産の廃止」が誤りであり、社会的生産手段の私的所有の廃止は目指されるべきものだ。
(4)「収奪」「収奪イコール暴力的強制」が誤りであり、法による「収奪」=税金の徴収は当然。
(5)「労働者管理」 労働者管理と検索しても労務管理しか出てこない。自主管理と検索してもマンションの自主管理しか出てこないのが昨今であるが、「プロレタリア独裁イコール労働者管理」が誤りであり、生産者、市民による民主主義的管理は必要。
(6)「混合経済」という考え方。資本主義経済か社会主義への移行かという二者択一思考の克服。過渡期の経済というとらえ方。市場経済における社会的共通資本の公有化の視点が大切。

視野を拡大して民営化問題のとらえなおしを

 民営化とは資本による最大利潤の追求化のために、「公有」を「民有」(真実は私有。日本語では「私」が実に多く「民」と言い換えられている。)にするというのが本質であろうが、様々の側面、結果からとらえなおさなければならない。それは「国民福祉の後退」、「格差の拡大」、「中小・零細資本の圧迫・淘汰」、「外国資本の伸長」、「日本経済の停滞」の側面に沿って明らかにしていかなければならないだろう。そしてそれは、遅れて出発した日本資本主義が70年代ついに欧米先進資本主義に追いついたとの錯覚により、外交・軍事はもとより経済もアメリカ帝国主義の圧力の下で停滞を招いたのが主要インフラの民営化の過程であった。
 感染症対策、行政・自治体「再公営化」から初めて主要産業・インフラまで「再公有化」政策を発展させるためにはこの間の民営化全体の過程そのもののとらえなおしが必要となってこよう。

地球存続のかかった気候危機に抗してシステム変革のための過渡的要求を

 人新世の時代にあって、若い世代が資本主義システム変革を求める客観的条件は充分にそろっている。マルクス主義、社会主義が日本では若い世代に全く受け入れられないだろうというのは古い世代の左派の錯覚かもしれない。社会主義に対する拒否感が長く続いた今、社会主義よりももっと拒否感が大きいと言われるコミュニズム(共産主義)の復権を主張する斎藤幸平氏の著作が若い世代にも感銘を与えていることはその表れでもあるだろう。むしろ古い世代の左翼がこれに触発されて心の奥底にしまっている自分の社会主義を現実の世界に示さないことの方が「不思議」なことなのである。とりわけ今は綱領の奥底にしまっているが共産主義にこだわって共産党を名乗ってきた日本共産党がどうこたえるかが注目されているのではないだろうか。
 地球的危機が待ったなしの温暖化を止めるためにはシステム変革が必要であると運動の先端をリードする世界の若い世代は主張している。左派はそれにこたえなければならない。そのための過渡的政策を提起しなければならない。求められているのはシステム変革のための市民と「本当の野党」との共闘である。
 心に閉まった、綱領の奥に納めた社会主義オルタナティブを現実の社会に出現させるためには資本主義システムを変える大衆的政策スローガンが必要である。

黄金の3年間はない
挙国一致体制反対の市民と野党の共闘を築こう


 岸田政権危機ではあるが、野党の支持率はほとんど上がっていない。野党による政権交代は全く話題にもならず、自民党内での政権交代をめぐる暗闘が話題になっている。衆議員の任期は25年秋までだが、自民党総裁の任期はその1年前の9月までである。自民党の政権危機は安倍に対する銃撃事件によって顕在化した自民党と統一教会の癒着に対する国民の不信にある。救済新法が成立しても、国民の関心は統一教会の被害者救済にあるのではなく、自民党の癒着そのものにあるのでこれで岸田政権の支持率が上向くことはないだろう。どうしても自民党内における癒着の張本人だった安倍を担いだ清和会系との「決着」を必要とする。それが総裁選前に解散・総選挙によって自民党が一定の「勝利」の結果をものにすることによって自民党政権の存続を図ることができる見通しであるだろう。しかしこれは立憲民主党の主流が「挙国一致による危機の克服」に協力し、左派がいつまでも立憲民主党との共闘に幻想を抱き、「挙国一致」政治状況に真っ向から対決できないことを前提にしたうえでの見通しであることに注目しなければならない。
 問題は左派がどのようにこの自民党政権危機に立ち向かうかにかかっている。左派ははっきりと挙国一致体制反対、資本主義システム変革の立場に立ち共闘を進めなければならない。労働者・市民の要求の生きるための要求を体制変革へと発展させる過渡的要求政策を掲げなければならない。「再公営・公有化」の問題はその端緒であろう。
(S・T)

THE YOUTH FRONT(青年戦線)

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