アンブレイカブル

コラム架橋

 新聞の書評で戦前、戦時下において政治弾圧を合法化し猛威をふるった治安維持法に抗して、信念を貫いた人物の人間模様を描いた小説『アンブレイカブル』(柳 広司/角川書店)が出版されていることを知った。早速、書店で探し手に取ると、まず目に飛び込んできたのがオビに記された「罪は捜すな、仕立て上げろ」の文字。さらに「法の贄となった、敗れざる者たちの矜恃」とあった。まだ、読んではいないが、著者の柳広司は、これまでも明治時代に起こった天皇暗殺計画と大逆罪をモチーフにした『太平洋食堂』を著している。
 ネット上に掲載されていた『アンブレイカブル』刊行記念インタビュー(取材・文 吉田大助)では、「治安維持法を軸にした話にしようと決めたのは、直前まで『太平洋食堂』を書いていたことが大きかったです。(中略)彼に対して国家権力が用いたのは刑法73条の『大逆罪』です。その後大正14年に治安維持法ができるんですけれども、罪状は違えど『国家権力によるテロリズム』という点で、大逆罪と治安維持法は同じ構図です」と述べている。
 アンブレイカブルとは、辞書で調べると「破壊不能」とか「壊れない」という意味らしい。著者は、この単語をオビにある「敗れざる者」に当てている。そして、前述したインタビュータイトルにもあるように本書の底流にあるのは著者の言う「『敗れざる者たち』」の共通点は、同調圧力に屈しなかったこと」に他ならない。まさに、現在の政治状況への警鐘と受け止めてもおかしくないだろう。
 本書に登場する人物は4人。プロレタリア作家で、当時、非合法下の日本共産党員であり、のちに築地署で凄惨な拷問により虐殺された小林多喜二。特高の度重なる拷問や留置所で赤痢に罹患し死した反戦川柳を詠む鶴彬(つる あきら)。また、横浜事件の嫌疑で起訴され獄死した中央公論社の編集者和田喜太郎。そして、敗戦1カ月後、劣悪な豊多摩刑務所拘置所で命を落としているところを発見された哲学者三木清。いずれも国家権力の暴力による犠牲者である
 本書は小説である。決して彼ら4人の評伝でもドキュメントでもない。有り体に言えば、歴史ミステリといえるだろう。もちろんそれぞれ4人が当時置かれた状況や行動をモチーフにしていることは間違いないが、治安維持法の罪状をデッチあげんとする内務官僚クロサキ(たぶん内務省警保局の役人か?)たちとの攻防が、まるでそれが事実だったようにさえ思える巧みな筆致で描かれ読者を飽きさせない。
 それぞれ4編のタイトルも妙。小林多喜二が「雲雀」、鶴彬が「叛徒」、和田喜太郎が「虐殺」、三木清が「矜恃」といった具合である。それらは、彼らのアンブレイカブルそのものを濃縮した言葉だといえよう。例えば、多喜二の「雲雀」について、「谷の脳裏に、早春の空の高い場所で囀る雲雀の姿が浮かんだ。鷹も烏もハヤブサも、かれは少しも恐れる様子もなく、空の一角で囀ることで春の訪れを告げる」。いつも明るく朗らかに生きた多喜二を、再び蟹工船に乗り込んだ漁夫・谷が船内で「蟹工船」が掲載された「戦旗」を読みながら回想する一節だ。
 ここで「雲雀」の粗筋を簡単に紹介する。舞台は、函館と小樽。登場人物は4人。多喜二と蟹工船に乗り込んだことがある学生上がりの萩原、漁夫の谷、そして内務官僚のクロサキである。多喜二が蟹工船について取材していることを知ったクロサキは、弱みを握った萩原と谷に対して大金をちらつかせ、多喜二に近づきその動向を調べるように命令するが……。さて、その顛末はいかに。
 本書の冒頭、三木清の言葉が献辞のように一行記されている。「幸福を武器として闘う者のみが斃れてもなお幸福である」。
(雨)

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