台湾海峡危機
コラム「架橋」
かつて“朝ビラ”や“集会用チラシ”をカッティングで作成していたベトナム世代には、聞き覚えのある名前が50年振りにマスコミをにぎわしている。彼の名は、ダニエル・エルズバーグ。当時の肩書きは、米国防省職員。ベトナム戦争に関する米国務省の機密文書「ペンタゴン・ペーパーズ」をニューヨーク・タイムズに暴露・公開し一躍「反戦活動家」として有名になった御仁。
今回の肩書きは、米ランド研究所戦略アナリストとなっている。今回彼が暴露・公開したのは1958年の第2次台湾海峡危機に際して、米政権中枢の対応をめぐるやりとりの記録だ。彼が国防省の職員であった時代、『ペンタゴン・ペーパーズ』とともに持ち出した記録文書の一部と言われている。これによると第2次台湾海峡危機に際して、当時のアイゼンハワー大統領と米参謀本部議長が本格的な核使用を検討し、北の上海まで戦場になることを承認し、中国軍もまた沖縄全域を反撃の対象とすることも確認していたという。
彼は現在騒がれている台湾海峡危機に対してもこのような過去と同じ討論がなされているというのである。「第2次台湾海峡危機とは、中国軍が台湾所有の金門島に対して砲撃を行い海峡封鎖に出たことに対して、米艦隊が封鎖解除のために出撃した事件である。手元に地図があったら開いてほしい。金門島は台湾海峡の真ん中に位置しているのではなく、中国本土に深く入り込んだアモイ市が臨む湾に浮かぶ島である。中国の喉元に突き出された刃のようで、常に台湾海峡の武力衝突の舞台になっている」。
そしてダニエル・エルズバーグはこの機密文書の発表に際して、「私たちが過去の破滅を導くような意志決定を振り返った時、『昔の人はおろかで、未熟だったからだ』ととらえる傾向があるが、しかしこれはまちがった見方だ。当時の政治家も今の人と同じくらい優秀だったが優秀な人がとてつもなく愚かな判断を下してしまうのが戦争の始まりだ。ケネディ政権下の危機(キューバ危機)でも同じように米軍による核の先制攻撃的対応が検討されたのを記憶すべきだ」と述べている。
どちらの事件もぎりぎりのところで核使用は回避されたのだ。ダニエル・エルズバーグが指摘するように、私たちは歴史に対してあまりに楽観主義になるべきではない。極端な悲観主義も同じだろう。この楽観主義は第2次大戦に対する日本帝国主義の責任、特に天皇に対する責任と自ら積極的に戦争に加担した日本国民の責任追及を放棄したのだ。そして多くの人は、自分はあたかも被害者であるかのように戦後生き延び続けてきたのだ。天皇の戦争責任をあいまいにした結果は、自らの罪を許したのであり、広島・長崎の悲劇を泣いた振りをしてごまかしたのである。
今日再び既成の野党勢力が「日米安保」を不問にし、「核の傘の問題」には触れず、沖縄の辺野古には目をつぶり始めている。闘う側の責任は重い。
(武)