「コンクリートの街」
コラム「架橋」
「自宅待機兼避暑」生活にも飽き、どのchも「五輪」「五輪」の報道ばかりで「イライラ」が高じ、熱冷ましの発泡酒が喉にしみる。だが終了のホイッスルで一気に肌寒くなり今度は豪雨が列島を襲う。
この頃、昔の「ゆめ」を見ることが多くなった。真っ青な空に里山から湧き上がる入道雲。ランニング姿の麦わら帽子と虫捕り網…夏休みと少年の定番の姿だ。長屋の裏手を流れるきれいな小川には、大家の爺さんが「囮鮎」を缶に入れ重石を載せて活かしていた。
ある時、宝物のように大事にしている「囮鮎」を手に取って見せてくれた。鮎は口が白く縁どられ美しい形をしていた。近くに大きな屋敷があり裏庭には栗、柿、ビワ、スモモ、グミ、リッサ等が植えられていた。夏休み。ヒンヤリと冷気が漂う裏庭は果実を「失敬」したり蝉を取ったり子どもたちの格好の遊び場だった。土蔵下の乾いた土には、すり鉢状の罠で蟻が落ちてくるのをジッと待つ蟻地獄がいて死闘を眺めていた。
あの町を離れて50年余。少年時代の記憶を辿り「時の流れ」を感じてみるか! と、ふと思い立って電車に乗り出かけてみた。駅を降りブラブラと「きれいな小川」に行く。少年時代に何度もよじ登ろうとした寺の大石は「エッ!」と思うほど小さくて驚いた。小魚が泳いでいた小川も、夕暮れにオニヤンマが飛び交っていた道も、すっかりコンクリートで塗り固められ面影すらもない。満々と水を湛えていた「溜池」は、すっかり枯れ赤茶けたすり鉢のような姿を晒し、「モウセンゴケ」を見つけた湿地もクヌギ林も畑も、大きなショッピングモールの灰色の駐車場の下に消えた。
「ファイトで行こう・・!」「24時間闘えますか!」「大きいことはいいことだ!」…高度経済成長時代のCM文句。青年労働者と呼ばれていた時代。組合の文化活動も盛んで職場「コーラスサークル」があった。或る日、著名な講師を呼んだ「合宿」があり、酒を飲み飲み「文化運動とは何ぞや」と大いに盛り上がり︿既成の音楽を壊せラフソングだ﹀とアジられ、ついでに出来たのが「コンクリートの街」だった。
「コンクリートの街ができた どうぞ皆さん入ってください 私が作ったこの町へ 緑の森が欲しい人には緑のペンキをあげますよ 茶色の小山が欲しい人には茶色のペンキをあげますよ…」という詩に単音で各小節を歌う。調子が出てきて「指」を鳴らし「ハモリ」もつけて大盛り上がりの合宿になった。
《過去にとらわれるな!自己を表現しろ!》という青年労働者への「檄」だったのだ。この住居に移り住んで約5年。公園の桜の花も、夏の打ち上げ花火もマンション建築ラッシュによって全く見えなくなった。切り裂かれ不自然な形をした入道雲がビル陰から見える。「自然界には直線がない。直線は人間が編み出したものだ」と聞いたことがある。なるほどと思う。
夏の日を浴び、話好きのばっぱがゆっくりゆっくり歩いていくのが見える。一休みする木陰すらない道、容赦ないコンクリートの照り返し。目の前に広がる《コンクリートの街》は人間の「欲望」と「繁栄」の証なのか! 新聞は「産業革命前からの気温上昇が1・5℃。温暖化の原因は人類が排出した温室効果ガス《疑う余地はない》︿IPCC報告書﹀」と報じる。 (朝田)