同期する世代

コラム「架橋」

 「君から誘ってくるなんて、どういう風の吹きまわしだ」。テーブルの消毒を待って二人は腰を下ろした。「実は母親がアパートの前で倒れて、腰を骨折してね」と高校時代の同級生A。半年ぶりの再会である。
 父はすでに他界。その母は持ち家を売り払い、民間アパートで独り暮らしをしていた。「同居したらどうか」と私は進言してきたがAは渋い顔をした。「妹夫婦とも、俺の彼女ともうまくいかないんだ」。気丈な性格が災いし、折り合いがつかないという。「俺の彼女はついに堪忍袋の緒が切れて、『同居するなら私が出ていく』とまで言っている。本気なんだ」。母の貯金も底をつきかけた。私は自分の親の話をよくAにしていたので、アドバイスを求めてきたのだ。
 「生活保護だな。恥ずかしがることはない。これは権利だ」。私は力を込めた。病院と施設を転々とし、この7月に救急病院から療養病院に移った母の症状を元に、何例か見積もった。「80歳までマンションのローンがあってね、親に回す金などない」。
 Aがいた外資系広告代理店は5年前に倒産。転職先では去年から自宅勤務が続き、妻とギクシャクしていると明かす。「病院には相談員がいるから心配ないよ。別名『追い出し屋』だ」。「ありがとう。参考にする」。Aはレシートをつかんで席を立った。
 ペースメーカーを装着し、糖尿病と大腸癌を患いながら毎日浴びるように焼酎を飲んでいた義父は、埼玉の実家で入退院を繰り返していた。先月末「最後の退院」で自宅に戻ると、訪問医らは「あと一週間持てばいいほうですね」とあっさり告げた。
 義母は急激に認知症が進んだ。介護休暇はおろか、有給すら取れない職場で働く義妹はパニックになった。結局妻と交代で介護をすることになった。妻がわが家に戻るのは義妹の休日で週一度。一緒にいれば狭い部屋が今、静寂に包まれている。
 正規職員の20代、40代に加えて、4月の新入職員は60歳前後。20歳の年齢差で構成する私の係である。下町育ちで気風のいいリーダー格Bの前職は介護相談員。地元の地理に精通し話が盛りあがる。そんな彼女の義父も先日、硬膜下出血で倒れた。手術は成功したが、搬送や転院を前後して多忙を極めた。「有給がもうないの。介護休暇ってどうやって取った?」と私に聞いてくる。前記いずれも1960年生まれの私たちの親たちの光景。世代が同期しているのだ。
 コロナ禍の2年間で、人々の分断と孤立が深刻化している。感染しないままでも、その影響からは逃れられない。若者の自殺も急増している。悩み、苦しみ、生きることに希望を持てない人たちを、新左翼運動は救えるか。女性が多い私の職場では、小さな「声かけ」が習慣になっている。(隆)

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