「紙・誌の豊かさ」
コラム「架橋」
10月31日は衆議院選の投開票日でした。私は今回期日前投票を済ませていたので、投票に出かける必要もなく、本などを読みボォーっと一日を過ごしました。そんな中で偶然開いた「伝送便」にもう一度『かけはし』を考え直す契機を与えられました。11月1日発行の「№512号」です。
「伝送便」は、私にとって結構勉強になります。かつてマスコミなどが「正規職・非正規職」と言う言葉を使用する前に、この言葉の実態を知らせてもらいました。今号でも「特集・土曜休配の職場で」の中で「シニアスタッフ」という言葉が出てきます。文章の流れから「退職者再雇用労働者」であることが理解できます。この記事を読むと郵政当局は、またぞろ新しい呼称を使いながら、次の攻撃のターゲットにしようとしているのがわかります。
旧JR、電電公社、郵政の旧三公社は民営化をともにその体質を一層悪化させながら合理化攻撃を進めているのだ。小泉「改革」の悪影響は、保険、預金などの部門にとどまらず今や郵政全体に及んでいるのがすごくよく理解できる。「シニアスタッフ」という言葉、しっかり記憶したい。
「伝送便」は私にとって勉強になるというより、読んでいておもしろく楽しい雑誌。雑誌が持つ「おもしろさ、楽しさ」は、雑誌の編集方針や編集部の力によるところが大きいと思うが、やはり根本はその雑誌を支える人たち、その人たちの力が書き手を通して表現されるのだと思う。「おもしろさ、楽しさ」はその意味で雑誌が持つ「豊かさ」の表現であるように思う。そしてそれはその人たちの経験と歴史によってもたらされる。その視点から「№512号」の「豊かさ」を拾ってみたい。
最初は表紙の裏側にある「伝書鳩」欄。この欄は「伝送便」の前書きにあたり「顔」である。だがこの欄はあらゆる雑誌においても一番おもしろくない。「伝送便」も例外ではない。毎回進行する政治情勢をヤブにらみし、シニカルにまとめ、返す刀で精一杯皮肉るというのがワンパターン。時には編集部の苦労をちらつかせるのも常套手段。今回の号もその枠を越えるわけではないが、「返す刀」に皮肉がなく、逆に「豊かさ」を感じた。執筆者が「高知・〇〇」という人になっているが、記憶が正しければ初めての書き手だと思う。よくもこれだけの人材を隠していたものだ。あきれるし、「伝送便」の人材の厚さを感ずる次第。長くなるが、「この返す刀」を引用したい。
「残り少なくなったが、10月を異称で『神無月』という。全国の神々が出雲大社に出向くので…。ほかにも新穀でお酒を醸す月ということで『醸成月』と言う…。無信仰で酒が好きな自分にとって後者は捨てがたい。週の半分は田舎で過ごし。自分の作った秋の味覚を肴に新酒を飲む。夜、気が向けば家の前のダム湖にウナギのはえ縄を仕掛ける。翌早朝に引き上げ、釣れていればかば焼きで…。訪れる者もなく、…猿と猪…それらと知恵比べ…」。
この文章全体の見出しは「政権交代の美酒に酔いたい」となっているが、選挙については申し訳程度。「政権交代」は方便で、みんなに知ってもらいたいのは、彼の「田舎ぐらし」なのだ。そして文章の最後に「うまい酒に浸りたい」と言っているが、彼は「政権交代」にあまり興味を持っているとは思えない。古代中国の秦の時代より以前の「大人の風格」を感じたのは私ひとりではないだろう。
今号でもうひとつ私を引きつけたのは、映評「サンマデモクラシー」である。いつもすばらしい映評を載せてくれる針生修二さんは、今回エッセイにまわり、筑紫次郎さんが書いている。映評を借りてストーリーを述べると「米占領下の沖縄で、米軍は本土からの輸入品である冷凍サンマに関税をかけた。怒った魚屋の玉城ウシさんは高等弁務官を相手取り裁判を起こした。その裁判を琉球立法院の議員である弁護士で前那覇市長の瀬長亀次郎らが支援し、復帰闘争の底流を形成した」という映画らしい。
そして執筆者は言う。「現在の辺野古の闘いの中に、『納得できないことは従えない』という沖縄人民の熱情が絶対に流れている」と。彼の評価には賛同するが、重要なことはこの映画を是非観てみたいし、是非広めたい。辺野古の闘いのためにも。
私も『週刊かけはし』を「伝送便」に負けない「豊かな」新聞にしていくことが求められていると思う。一層の奮起を! (武)