コロナ感染が身近に

コラム「架橋」

 昨年の夏、五輪開催の時期、コロナ感染がピークを迎えた。病床はひっ迫し入院すらできず、自宅待機中に患者が死んでいった。その後、10月頃になると感染も下火になり、緊急事態宣言が解除された。外飲みも可能になるなどホッとする時間が年末まで続いた。
 しかし、デルタ株からオミクロン株へ変異したコロナ感染はこれまでに経験したことのない速さで急拡大している。1月28日には、都内で1万7千人、全国で8万人、入院療養等を要する者50万人、死亡44人。都内での病床率は46%になっている。
 コロナ感染といっても何か他人ごとのようであったが身近に押し寄せてきた。ひとつはいつも年賀状をやりとりしている親しい友人から、今年は年賀状が届かなかった。まもなく寒中見舞いが届いた。そこには46歳の長男が亡くなったので年賀状を遠慮したと書いてあった。
 すぐに電話した。すると、死因は自殺であると衝撃的な事実を知らされた。その息子さんは販売の仕事をしていたようで全国を転勤していた。最後は北海道。どうもコロナ禍で販売がうまくいかず、責任を問われ、悩んだ末のことだったようだ。
 友人は「パワハラだよ」と語気強く会社の体質を怒っていた。夫婦で北海道に行き、葬式や部屋の片づけをした。妻は息子といっしょに死にたいと言ったが、やっとの思いで連れて帰ってきた。俺だって前の川に遺骨を抱えて飛び込みたくなると本気ともとれることを私に訴えた。「今まで誰にも言わず、がまんしてきた。〇〇さんだから話すことができた」。
 この友人は中学卒業後、地方から「黄金の卵」と言われる集団就職で東京にやってきた。苦労に苦労を重ね、家族を維持してきた。そんな彼がなぜ今回のような不幸にあわなければならないのか。コロナ感染症問題はこうした雇用破壊を作り出し、社会を疲弊させている。相互に支えるのではなく、会社は「儲けにならない人たち」を排除し、蹴落としていく。そんな弱肉強食を作り出す犠牲者を増やしている。
 もうひとつはバイト先でコロナ感染者が出たことで、「濃厚接触者」としてPCR検査を受けるように指示された。このことを友人に伝えると、PCR検査を受けたことがあるというので、すぐにどこに予約したらよいかと手際よく教えてくれた。さっそくインターネットで無料の検査所を探してみたが、予約が一杯でなかなか見つからない。ようやく2日後に、某空港内の検査所の空きを見つけ予約した。コロナ感染の急拡大で、飛行機客が減ったのか、それ程混んではいなかった。普通の民間医療機関を使った人の話だと検査料は1万5千円から3万5千円かかったという。
 この2日間はまるで自分が感染したように、ほとんど自宅で待機せざるをえなくなった。何しろ周りに迷惑をかけられないという強迫観念が襲ってきて、陰鬱な気分になった。私の検査結果は陰性であった。国や自治体が無料のPCR検査所をいたる所に開設し、早期に感染者を見つけ出し封じ込めることが感染拡大を防ぐ最重要施策だ。(滝)

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