ワクチンとマスク

コラム「架橋」

 日本では2歳以上の子供にマスクを着用させるべきか否かがまじめに検討されている一方、欧米諸国を中心に、マスク着用義務の緩和や解除が進められている。各国の感染症対策の実態の違いもあるのだろうが、どのような選択が正しいのか、答えはコロナウイルスの「気まぐれ」に委ねられているとしか言いようがないのかもしれない。
 オミクロン株で、あるいはすでに感染拡大が報告されているオミクロン株の「亜種」(BA・2)でコロナ災害が終息してほしいという「希望」は良くわかるのだが、この「楽観論」には何らのウイルス学的な根拠もないのである。だいたいこれまでの楽観論が良かったためしがない。GoToトラベルや東京オリ・パラの開催などは感染症対策という視点から見れば失政であることは明らかだ。
 もういい加減「うんざりしている」気分は良くわかる。しかしワクチン接種の拡大などで重症化リスクが低くなったとはされているが、連日100人を超える死亡者数を目にすると決して楽観視することはできないのである。
 確かに第5波のデルタ株と比較すれば、オミクロン株の毒性は弱いとされている。それはウイルスに感染した細胞が、周囲の細胞と融合して感染を拡大させる能力の違いだとされている。オミクロン株のこの融合力は、デルタ株の25分の1だという。融合力の強いデルタ株は、気管支の上皮細胞に感染すると一気に肺の内部にまで広がって、肺炎などの重症化を引き起こすのに対して、オミクロン株は気管支の上皮細胞に長くとどまるために重症化しにくい。しかしその反面、口からウイルスが排出されやすくなるために、感染力が強いのではないかと考えられているようだ。
 しかしワクチンを接種したとしても抗体を獲得できない人が1割弱ほどいると言われているわけだし、高齢者や基礎疾患のある人の重症化リスクは決して低くはないのである。無症状の感染者も多いなかで、こうしたハイリスクの人々に犠牲を強いてしまってよいのだろうか。
 オミクロン株もそろそろピークアウトを迎えているようだ。しかしデルタ株のように、きれいな放物線を描いて減少してくれるのかは分からない。亜種(BA・2)の感染力はオミクロン株の1・18倍とも言われているし、すでにこの亜種による第7波の可能性も指摘されている。
 カナダやフランスやNY州などでは、政府や行政によるワクチン接種の「義務化・強制」に反対するデモが噴出している。もちろん「ワクチンをしない権利」も認められるべきだと考えるが、テレビの映像を見る限り、デモ参加者のほぼ全員がNOマスクである。「マスクをしない権利」もある。しかしせめてウイルス弱者のためにマスクぐらいは、と考えてしまうのである。悪いのは「強制」にあることは良くわかるのだが、「トランプ的精神」の「感染拡大」という悪臭も同時に鼻をつくのである。
(星)

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