万歩計

コラム「架橋」

万歩計を持ち歩いている。万歩計といってもiPhoneに「ALKOO」というアプリをダウンロードしたもので、Gパンのベルトに常時ぶらさげて歩いては、毎日の歩数を確認するのが日課となっている。また、そのアプリは一日の歩数目標が設定できるので、ボクは一万歩を努力目標としたが、東京などの都会なら階段の上り下りや、地下鉄の駅と駅を結ぶ長い通路を歩くことが日常だが、地方はまったくの車社会。毎日歩いても三千歩も満たない日が多い。距離でいえば、一万歩で約8キロ弱。つまり実質は日々2~3キロも歩いていないことになる。これでは万歩計ではなく、まるで千歩計のそしりを免れない。
 そのため普段の日は仕方ないと諦めて、土曜日、日曜日、祝祭日は最低一万歩超えを目標にしている。しかし、住まいの周りを歩くだけでは何の楽しみもない。相当前のコラムでも書いたが、家にいることが苦痛なボクは、なるべく電車を使って遠くに出かけ、知らない街や野山を散策して楽しみながら歩数を稼ぐことに専念している。話は横道にそれるが自宅近くの呑み屋へゆっくり歩いて行っても20分とかからない。そこでひとり呑んでも約二時間。呑み終わって自宅へ帰ってからの時間が長いのには閉口する。しかも、時間があるから重ねて家呑みをしてしまう恐れが十二分にある。まるで不健康そのもの。千歩も歩かないと思う。
 言い訳になるが、だからこそ酒呑みと散歩を兼ねて日帰りで帰れる距離の遠出をするのだ。もちろん駅までも徒歩。約4キロあるのでもうこれで五千歩弱は稼げる。
 先日の土曜日は、大河ドラマ「鎌倉殿」で賑わう鎌倉へ向かった。もちろん賑わいのない鎌倉の外れに、である。当日は早朝4時に起床し、身支度を整え、朝一番のバスを待たずに自宅を出て、まだ真っ暗な道を駅へと進む。この日は、鎌倉七口のひとつ名越切通を歩くことにした。鎌倉七口とは、幕府が置かれた鎌倉の地にたやすく敵の軍勢が攻め込まれぬよう平地を囲む丘陵に切通を整備したのが始まりと言われる。それは、極楽寺坂切通、大仏切通、化粧坂、亀ヶ谷坂、巨福呂坂、朝夷奈切通、そして今回歩く名越切通を指す。
 その多くは現在、道路として舗装され当時の面影を探すことは難しいが、金沢八景と十二所を結ぶ朝夷奈切通と名越切通、大仏切通がその趣を今に伝えている。
 今回、早立ちしたのは名越切通の起点が逗子であることと、舗装道路の歩行距離が長く、そこそこの高低差があるからだ。前回、歩いた朝夷奈切通よりも大変そうだと思ったことも起因した。
 逗子に着いたのが午前10時ごろ。逗子市で発行しているガイドマップ「名越切通・まんだら堂回廊」を手に、板東三十三観音二番札所の「岩殿寺」に立ち寄り御朱印を頂戴し、さらに「法性寺」へ向かう急な舗装道路を経て長い石段を上り、ようやく奥ノ院の山王権現祠に到達。晴天の中、逗子の街並みの向こうに海が広がっていた。
 そしてここから国指定史跡の名越切通に入る。明治時代に横須賀線が開通するまで、何度も修復を繰り返した三浦半島の重要な交通路であったという。文字通り大岩を削り、切通を人力で作った様子がいたるところに見られ、先人の苦労が忍ばれる。また、途中にあるまんだら堂やぐら群は、ぜひ訪れてみたいが保護のため年間を通し期間限定で公開されているというのが、少し心残りだった。
 第一切通の大岩を観て急こう配の小坪階段口を降り、国道134に出る。所用時間2時間、万歩計は過去最高の一万八八八一歩、14・4キロ。消費したのは661カロリーだったが、それからの酒食でその数値が取り返されたのはいうまでもない。
         (雨)

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