「忘れてはならないこと」
コラム「架橋」
今日は何時になく寒いのでダウンジャケットを着て出かけた。これから「ウクライナ侵攻反対」の街頭宣伝行動だ。蔓延防止が解除され街行く人の列は、心の弾む様子が伺える。コロナで緊張してきた社会は、戦争という新たな事態に直面している。
「ウクライナ連帯!」「ロシア軍の即時撤退を!」の声が響き、受け取ったチラシに目を落とす人、ボードのスローガンを眺める人、街頭で行動する人・行動している人に注がれる視線。そんな時、高齢の女性が10センチ四方の手作りの「ワッペン」を手に話しかけてきた。「これは、88歳の方が何かしなければという思いで、家にあった毛糸で編んだものです。良かったら付けて貰えませんか?」と言う話。青系の毛糸で「花」を模し、その周りを黄色い毛糸で編んだものだ。二つ返事で頂き平和の願いを込めたワッペンを胸に街頭に立ち続けた。
ロシアの「軍事侵攻」に心を痛める女性が生きてきた時代。1930年代は、世界大恐慌のなかで野蛮な戦争へと続く道を「軍靴」の音が響き多くの若者が戦場へと駆り出されていった時代だ。31年満州事変、32年5・15事件、上海事変、満州国建国宣言、33年国際連盟脱退。2・26事件、中国侵略、39年ドイツのポーランド侵攻、40年三国軍事同盟締結、開戦から45年の敗戦まで悲惨な日本軍国主義による侵略戦争が続いた。治安維持法で自由にものも言えない時代の息苦しさ。ロシアの軍事侵攻が「戦争の時代」の記憶を呼び覚まし『戦争はいやだ』との強い思いとなって凝縮されていた。
他国の戦争介入に核兵器の使用を示唆するプーチンに、「核ミサイルの配備」を要求する声が安倍元首相と右翼保守議員や維新の会等から上がった。「復古主義」に囚われる彼らの妄言は、ウクライナ人民やウクライナ軍事侵攻に反対する世界の人々とは無縁でありプーチンの戦争を助長するものでしかない。
民衆への悪魔の囁きは「早く過去を忘れなさい」ということだ。「歴史は繰り返す」とは、歴史から学び危険な兆候は芽の内に摘むことを今の世代が怠ることへの警告だろう。戦後生まれの私の小学生時代。ランドセルと呼ぶ「背嚢」を背負い、朝礼では「気をつけ!」「前にならへ!」「注目!」とイガグリ、オカッパ頭の少年少女に「規律・従順」が叩きこまれた。廊下に立たされ、頭にゲンコツをくらい、尻を叩かれ、居残り学習。騎馬戦・棒倒し・組体操などなど「新兵教練」擬きの「運動会」。戦争のことも、民主主義のことも、平和憲法のことも学んだ記憶がない程に薄められていた。スポーツ界でも「勝利至上主義」への反省が口にされ始まっているが、その素地は戦前から連綿と続いている「学校教育」にある。某高校の100年史に「平和という言葉は人の注意をひく美しい言葉です。…どこの国も、軍のために莫大な金を使って惜しみませんが、平和のためにその百分の一の半分も金を費やしていないのは、本当の平和というものを考えていない証拠です。・・・」とあった。本当にそうだなと思う。
3月25日ヤジ排除は「表現の自由侵害」の判決!ヤジは重要な憲法上の権利だ。政治の私物化公文書改竄嘘虚言等々忖度する国家権力。手練手管に長けた奴らに取って置きの「ヤジ」を考えよう!
街頭活動は『戦争反対!』を堂々ともの言える社会空間だ。拡がれ「ウクライナ戦争反対!」の声! (朝田)