コロナ禍の求職活動
コラム「架橋」
昨年末。20代の女性が1人、私が働く事務所に訪れた。勤めていた会社が2月後の廃業を決め、新たな就職口を探しているという。従業員20人ほどの民間製造業で検品を担当していた。奇しくもその会社は、私が前職時代に取引していたA社だった。
A社は生産設備が古く、出版関係の頁物需要に特化。品質は及第点で同業他社より格段に低価格。納期でも無理が効いたため、私はむしろ自社の協定価格に近づけようとよく打診をした。
地方から上京していた彼女は、「新しい仕事が見つかるまでは社長が手配した部屋で暮らせる」という。私は同期の就労支援相談員と2人で対応にあたった。「デザイン関係の仕事がしたい」と彼女。「まだ若いんだから、何にでも挑戦できますよ」。真面目で謙虚な姿勢に好感を持った。
私たちの助言に勇気を得たのか、2度目の来所では、製造現場の50歳代の元同僚を連れてきた。家庭的な職場環境だったか、解雇に恨み節もなく「今まで面倒見てくれて、社長には感謝しています」と口を揃えた。
私は親しかったB社に電話を入れ、事情を説明した。当時B社に求人の予定はなかったが、地元の関連企業に声をかけてくれた。就職の斡旋は私の役割ではないが、なんとか2人の力になりたかった。
今年になってB社から私の携帯に電話が入り、「例の男性、就職決まりましたかね」と探るように尋ねてきた。人事担当者いわく。忙しいのにベテラン職人の退職が相次ぎ、機械を回せず受注を断っているという。私は改めて男性とアポを取るよう相談員に依頼した。
彼女はすでに希望通りの仕事を見つけていた。男性も自宅からは遠いが、公共施設の「用務」という全く別の分野で働き始めていた。
後日男性はシフトの合間を縫って事務所に立ち寄ってくれた。「B社で働く気はないか」と勧めると、「妻とも相談しましたが、私は今の仕事に満足しています」と明かした。最初は清掃だけの日々だったが、徐々に構内設備の保守点検を任されるようになり、やりがいを感じているという。「それは良かったですね。ぜひ今の仕事を続けるべきです」。私たちは応援した。物静かで大人しい性格の彼は、申し訳なさそうに何度も頭を下げ、帰って行った。
2年以上に及ぶコロナ禍は、飲食業はじめ多くの経営者に打撃を与え、労働者を路頭に放り出した。厚労省の「住居確保給付金」、「生活困窮者自立支援金」は、単身世帯で月6万円程度の給付を施す。受給に厳しい求職要件を課す一方で、なし崩し的に申請期限の延長を繰り返している。社協によるコロナ特例融資の総額も1兆3千億円を超え、来年1月には返済が始まる(4月6日・東京新聞)。
偶然知り合った2人の生活がうまくいくよう、オフィスから願っている。 (隆)