「一括り」の罠

コラム架橋

 日本橋を出発し品川⇨川崎⇨神奈川⇨保土ヶ谷……吉原を経て蒲浦へ。ご存知「東海道五十三次」京都への長旅中。「メタボ撲滅」に熱心な行政の特別検診。「腹囲85センチ内」という基準の「1センチ超え」!医師は「毎日飲んでるビール350ml2本のうち1本減らすか、毎日の散歩30分どちらにする?」。「たった2缶の楽しみですよ。それは酷でしょう」と迷わず「散歩」に。
 携帯の「東海道五十三次を歩く」を利用し「京都へ」の旅が始まった。頭の中で「浪花節だよ!人生は」のメロディーを流し「大股・速歩」で歩く。TVで知った「楽しいウオーキング法」だが、歩行に合ったリズムに驚く。公園に着き草むらに寝っ転がり流れていく雲を眺め給水、深呼吸すると鼻腔に草の匂いが紛れ込んでくる。自粛・自粛の声が社会を支配し、息苦しさを感じるなかで何かホッとする時間だ。ふだん見下していた草たちを、彼らの高さで眺めると色々気づく。
 一括りに「雑草」と呼んでいるが夫々の草の個性を知ることがある。私の地方では「ゲロッパ」(方言)と言った『オオバコ』。2人で花茎を絡め引っぱり合い、相手を切った方が勝ち(何相撲と言ったか?)と言う子どもの頃の遊び。太くて強そうなオオバコの花茎をたくさん集め、勝ち抜き戦をやった。
 「カヤ」の葉で遊ぶときは「要注意」。よく指を切ったものだ。カヤの葉っぱに手を加え距離を競い合った。喉が渇くと「スカンポ」を齧りながら遊んだ。写真付きの「雑草の本」を読むと驚くような生態を知りさらに興味が深まっていく。
 ウクライナ侵攻の状況が日々報道され「戦争」について多くの人々の思いや考えが読者投稿や世論調査に現れている。ロシア軍の一日も早いウクライナからの撤退とウクライナの人々に平和が訪れることを心から願う声が圧倒的だ。
 だが、ウクライナ危機に乗じて日本の改憲勢力は「GDP2%への軍備費増」「敵基地攻撃能力」「核兵器保有」等々、国防強化・憲法改正を叫び、呼応する右翼団体は戦争に反対する運動を暴力的に破壊しようとしている。
 改憲勢力「復古主義者」達は、ウクライナ危機に便乗し「法の支配」と言う立憲主義、「国民主権」と言う民主主義を破壊し「権力者の赴くままに権力を振るう国家」を意図する。復古主義者安倍は「立憲主義は時代遅れだ」(2014年予算委)「民主主義で選ばれた我々を憲法が制限するのはおかしい」と語り「立憲主義は民主主義の下では価値がない」と主張した。
 憲法は基本的人権について「すべて国民は、個人として尊重される」と定めている。自民党憲法草案では「すべての国民は人として尊重される」とする。一人一人がお互いを認め合い尊重し共生する社会。そんな社会を忌み嫌う改憲勢力は「個人」を消し「人」で括ろうとする。「一括り」にし「公益・公の秩序」の下に従わせる「法」を「権力」が定めていく。
 「人」で括れば「個人的権利」「多様性」は認められない。これが戦争への「恐怖心」を餌にヌッと現れた彼奴らの目論見だ。戦争は煎じ詰めれば「人と人の殺し合い」でしかない。彼らの主張する「国の姿」を思い巡らすと「一括り」の社会は何と不自由な社会なのだろう。
 間近に迫る参議院選挙は、今生きる世代が次の世代に「国民主権」「平和主義」「基本的人権」を柱とした「日本国憲法」を引き継ぐための闘いだ。「一括り」にされ「国家」と言う檻に閉じ込められるのは嫌だ!             (朝田)

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