当世納骨事情
コラム架橋
母が他界した。昭和の雰囲気そのものの病院の個室で、激動の人生に終止符を打った。息を引き取る一時間ほど前、ようやく兄弟姉妹が揃った。コロナ禍前までは当然だった「看取り」の実現に、大きな努力が求められた。
母の体調が変わったのは、特養に移って半年経った2020年の秋頃か。すでに「面会禁止」措置が高齢者施設や病院で金科玉条のごとく貫徹されていたため、真実は謎である。家族と分断されることで、入所者や患者の心身の状態が悪化していくと指摘する声も出始めていた。
母は7年4カ月ぶりに自宅に帰ってきた。一連の儀式はあっという間に終わり、私はいま各種の手続きに追われている。
金融機関は、口頭で「死亡」を告げた瞬間に口座を凍結する。役所への「死亡届」は葬儀社が出すが、年金や健保、各種給付金の類の申告は遺族がする。40年前。母は早世した父の遺骨を母方の墓地に埋葬し、戸建ての借金を完済した。父は今も伯父が建てた墓石の下に眠る。親たちの「改葬」が私の悲願であった。
少産多死が加速する現代。「残された家族に負担をかけない」ための葬送スタイルが、巨大市場と化してメディアを賑わしている。「家族葬」「納骨堂」はその象徴である。いずれも旧来の大掛かりな「仕掛け」を見直しはするものの、結局のところ支払われる価格相応であり、葬祭ビジネスの激流から遺族は逃れることができない。
仏教寺院や墓地の運営主体は、顧客の確保に余念がない。見学予約や資料請求はパソコンやスマホから。必要項目を入力するとすぐに確認の電話が入る。
オフィスビルと見紛うような新築の納骨堂。周囲が一望できる最上階の参拝ブースは、階下よりも高額である。低層でも外光が差し込むエリアは、蛍光灯だけのそれよりも高価である。「宗派不問」と謳いつつ、他宗派の僧侶を呼ぶ法要では室料を割増し、「貸室料無料」と喧伝する陵苑は、布施の料金に上乗せしている。
墓の本体価格(契約使用料)と年間護持費は、絶妙な按分設定である。契約料が安ければ管理費が高い。その逆もある。生前に買えば納骨まで維持費は不要。一定期間滞納すると、厨子から遺骨が取り出され、別の場所で合葬される。見ず知らずの他者の遺骨と混ぜられ、二度と取り出すことはできない。合同墓が敷地内にあればまだいいが、遠く他県へ移送する墓所もある。故人に所縁のない土地へ行けば、墓参の足も遠のく。
革命的マルクス主義者として、非妥協的な無神論者として、意志を貫くか。わずか数日間は「葬式仏教」の慣例に身を委ねるか。未曽有のコロナ禍は、生涯を階級闘争に捧げた活動家の、追悼行事さえも忌避させたか。同志友人が大挙した過去のイベントが懐かしい昨今である。
(隆)