ポスター張り

コラム架橋

 もう2カ月も前の話になるが、参院選公示日の朝、私は隣接区の社民党員宅めざして自転車を走らせていた。東京選挙区に服部さんが出馬したということもあって、微力ではあっても協力しなければならないと思っていたからだ。
 東京23区の地図に何度も眼を通しながら、それでも道に迷いながらも、どうにか集合時間に間に合って到着することができた。「がんばります!」と、電話口で威勢のいいことを言っていたからか、担当者から「一番多いです」と65カ所分のポスターと地図が渡された。どう攻めれば効率的かと、5分ほど地図とにらめっこしてから出発した。
 私が国政選挙に主体的に協力するのは、80年代前半の無党派市民連合の選挙以来である。それから40年、当時の私はまだ20代のバリバリの若者であった。中山千夏さんが「顔」の選挙ではあったが、救援センターと反原発でがんばっていた芝浦工大教授の水戸巌さんも「死刑制度の廃止」を訴えて、比例区の候補になっていた。候補者らと宣伝カーに同乗して、埼玉県の県南地域を半日ほどかけて走り回ったことをよく覚えている。
 さてポスター張りだが、ほとんど足を運んだこともない地域ではあったのだが、私の勘がいいのか地図がいいのか分からないが、トントン拍子で進んだ。しかし昼が過ぎるころから太陽が顔を出してかなりの暑さになった。朝から何も食べていないのだが、午後にはバテバテになって何も食べる気がしない。スポーツドリンクをがぶ飲みしてやり過ごす。
 残り10枚ほどになると、自転車をまたぐ右足が上がらない。その時、ママチャリなのだからまたがなくてもよいことに気がつく。しかしいざ座ってみると、体が左右にふらつく。地図を読み記憶する能力もかなり低下してきて、道を何度も間違える。こうして、やっとのことでやりきって社民党員宅に帰還したのが、出発してから8時間後であった。空からはパラパラと雨が落ち始めていたこともあり、茶を進められたのだが報告だけして帰宅することにした。
 しんどかったが、とても良い経験をさせてもらったと思っている。3年後も体にムチを入れてがんばってみようと思ってはいるが、量は半分程度が限界だろう。
 今回の参院選の社民党の比例票は全国で125万票で、前回の104万票から21万票増やしている。東京では18万票で、前回の10万票から8万票も伸ばしている。大量離党問題などあったが、様々な人々の力を借りて、背水の陣で社民党は良く踏ん張ったと思っている。
 私のポスター張りの効果がどうだったのかは分からないが、叔母と娘にも頭を下げてお願いして投票してもらった。「社民党ってこんなに人気なかったんだ」という娘のたわいない言葉が、チクリと胸に刺さった。どうにかして左翼を再建しなければならない。  
(星)
 
 

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