ワールドカップ

コラム「架橋」

 正月三日、朝からテレビで箱根駅伝を観ていた。朝、出発点の芦ノ湖で雲にかくれていた富士山が、七区湘南ではランナーの頭の上に大きな姿を見せていた。三年振りに応援禁止がとかれ、沿道は人であふれていた。
 それにつけても、新聞各紙のスポーツ欄はいまも昨年のサッカー・ワールドカップの評論と讃美の記事であふれている。『史上かつてない盛り上り』『アフリカ代表のモロッコが初めて決勝リーグ進出』『アフリカ代表のモロッコをイスラム教のアラブ諸国が支援』『ワールドカップの人気は五輪を完全にしのいだ』等々……。
 ハンドとオフサイドくらいしかルールを知らなかった私も『日本!ドイツに逆転勝ち』のニュースにおどらされ、翌日には新聞のテレビ欄で次の試合を探し始めた。
 それにつけても人口は300万人(マスコミによると王族につながるカタール人は20万人)。国の面積は、日本の秋田県ほどの広さしかないという。そんなカタールが数年の間に新しいスタジアムを八つも建設し、それに加えてホテルと選手村を作ったのだ。これを可能にした力がオイル・マネーだという。だが建設期間は短く、集めた避難民の労働者を20人も過酷な労働によって死なせたという。これについて大会期間中、選手たちがいろんな形で抗議していた。逆にこれをカタール政府が弾圧し、FIFA(サッカー国際協議会)が隠す役割を引き受けていたのが、印象的であった。次回、4年後のワールドカップは、カナダ・アメリカ・メキシコの3カ国による共同開催となっている。この理由としてFIFAが発表した見解は「一つの国が複数のスタジアムを建設することはむずかしい。逆に同時開催できる程、飛行機の航空網が整備されている」。
 これだけでも現在社会におけるオイル・マネーの力がわかる。カタールは、スポーツ大会の開催を通して、サウジの財力、イランの軍事力に対抗して、三つ目のアラブの盟主たることをめざしており、ヨーロッパ各国はそれを支持しているのだという。カタール政府がワールドカップの開催のために支出したカネは、30兆円~40兆円であり、パリの次の五輪開催地に立候補しているという。そしてその費用も50兆円規模だという。
 ここまでくればスポーツも「カネまみれ」であり、「民族主義をあおる手段」などというレベルではない。しかし、五輪をはじめとする現在のスポーツ競技を「完全に民族国家をあおる道具に化した」と批判してきた各国スターリン主義の共産党も、ヨーロッパブルジョア民主主義も完全に沈黙したままである。また、この一部になりさがったように第4インターのヨーロッパ各国支部も沈黙したままである。もし、各国支部の評論や声明があったら、是非とも「かけはし」紙上に掲載してほしい。仮に沈黙を認めるなら、今年開催されるベースボールのワールドカップについての沈黙を許すことにつながる。(武)

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