放射線治療

コラム「架橋」

 前立腺がんに罹り、ダヴィンチによるロボット手術で全摘出の根治治療を受けたのが今から3年前の2020年4月。そして術後の定期検診でゼロになるはずのPSAの数値がしだいに上がり始めたのが昨年のことである。前立腺を全摘したのだから数値があがるということは、つまりがんの再発を意味する。医師が言うのには、細かい神経の集合体なので取り残しがあったかもしれないとのこと。この拡大をおさえるためには、放射線治療しかないとのことで、またもやまな板の鯉となったしだいである。
 しかし、この放射線治療だが何と土日、祝日を除いて連続33回受けなくてはならない代物だった。締め切りで多忙な時期が一段落した12月27日を開始日と決め、正月休みを挟んで、毎日午前10時から治療を受けるために、自宅から約40分の道のりを車で通院するのがその日の日課となった。もちろん午後からは仕事が待っている。放射線治療の照射時間は10分くらい。しかし、シャツの袖をまくり上げ注射をするのと訳がちがう。適正な位置に照射するため、朝、出がけに排便をすませ500ミリの水を飲み膀胱を膨らましていく必要がある。夏の暑い日ならともかく、冬の寒い日に一気飲みはできず、ぬるま湯を二度に分けて飲んでから出発するのだが、飲みすぎれば尿意が襲いかかり、少なければ病院の待合室でペットボトルを口にするという苦行が待ち受けている。排便を促すためにゆるい下剤も処方された。
 さて、準備万端で照射に挑むのだが、次なる関門は尿のたまり具合を超音波で調べる検査がある。それから別室で素っ裸になり、病衣に着替え自分の名前がマジック書きされた腹巻きをつけ、ようやく照射装置がある機械台に横たわるのだ。もちろん放射能の危険をさけるため照射室にはボクひとり。映画音楽の「シネマパラダイス」が静かに流れる中、照射終了、検査技師に促されてお開きとなるしだいだ。
 つい先週のことだが、33回の折り返し地点で3日間入院することになった。いや、「入院することにした」というのが本当のところ。理由はただひとつ。「医療保険」の約款に一日でも入院しないとがんの一時金がでないことが明示されていたからだ。この医療保険は優れもので、一度がんに罹ればそれ以降の、保険料の支払い義務はなく、何度がんに罹ってもそれなりの一時金が支払われ、何の病に罹っても治療費が出るという最高の保険だった。しかし、この3月で65歳の年金生活者になるボクにとって1回1万円を超える治療費は、正直言って痛い。
 まさに、体を張って今まで支払ってきた高額だった保険料を回収していることになるが、昨年最初に、主治医にその旨を相談したところコロナ流行が再拡大し、緊急外来以外、病院の方針で入院を抑制しているというではないか。そして、「確約はできないが、状況が変わったら可能性もあるかも知れません」と諭された。そして、ようやくそのときがきた。放射線治療の入院許可が出たのである。
 話は変わるがここは病院である。朝、昼、晩と食事が供されるのはあたりまえのこと。しかし、毎日、晩酌をして肴を食してそれで終わりというボクの食生活にとって三食を摂るということは、これも苦行だった。朝、6時半に起床して7時半から朝食、と思ってたらすぐに昼食。5時には夕食である。こんなに食べたら体重はどんなに増えるのだろうとつまらない心配をした3日だったが、退院して自宅の体重計に乗ってみたら驚いたことに体重が50キロ台に減少しているではないか。食事は、確かに薄味だったがどれも美味しいものだった。さすが管理栄養士がなせる技である。
 もちろん退院したあとも病院通いは続いている。放射線治療のおかげでPSAの数値も下がっている。あらためて医師をはじめ医療労働者の日夜の献身と努力に感謝の気持ちを忘れてはいけないと感じた入院だった。
(雨)

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