漢 字

コラム「架橋」

 最近、翻訳物など「赤入れ校正」する作業が増えたこともあって「手書き」で文字を書く機会が多くなっている。ワープロ・パソコンで文字入力することが当たり前になってから、漢字は読めるが書けないということが、私に限らず一般的な現象になっているように思える。
 またそれだけではなく、歳による「物忘れ」もあるのだろう。先日、漢字どころか、ひらがなの「ぬ」の字が出てこなくなり多少の焦りを感じたのである。「ね」や「む」は思い浮かぶのだが「ぬ」が出てこない。結局、国語辞書で「ぬ」を引くはめになってしまった。
 私は小学生のころから漢字を覚えるのと、人の名前を覚えるのが苦手であった。考えてみると、人名も頭の中で漢字として記憶されるとするのであれば、その「苦手」は連動しているのかもしれない。ちなみに医者をやっている私の兄も、人の名前を「すぐに忘れる」というのだが、「それでよく医者が務まっているな」と、私は心の中でつぶやくのである。
 小説や好きな分野の岩波新書やブルーバックスなど本は人並みに読んではいたが、とにかく書くことが、今から思うと信じられないほど苦手であった。高校での漢文の授業はほとんど「拷問」に近かった。
 そんな私の漢字学習術はといえば、英単語とその訳解である日本語の漢字を同時に覚えるという方法であった。同時にふたつを憶えなければならないのだから、それはそれで大変な作業なのである。当然時間もかかるのだが、それでもそうする以外になかったようだ。
 しかし、週刊「世界革命」と出会い、酒井与七さんなどが執筆する難解な文章を読みこなし、マルクス・レーニン・トロツキーなどの古典を読みあさり、学生時代から手書きで長文の文章を書くことなどを通して、私の漢字苦手はほぼ解決されたと思っていたのだが・・・。
 26種類の文字を並べる英語と違って、漢字は形の異なる数千種類の文字からなっている。また日本語の場合、一つの漢字を音訓あわせて別々の読ませ方をさせるという困難もともなう。中国語だって北京・広東・上海語など、異なる漢字と発音の文化が混在している。そしてついには、朝鮮半島の日常から漢字が消滅した。
 漢字はそのつくりからしておもしろい文字だとは思うのだが、やはり覚えるのには難しい文字なのかもしれない。「ぬ」が出てこなくなることとはまったくの別物なのである。 (星)

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