読者からの手紙
コラム「架橋」
「突然のお手紙お許し下さい。いつも架橋をたのしみに読んでいるものです」。こんな書き出しで始まる手紙が編集部からボクのところへ転送されてきたのは、今年の1月半ばのことだ。手紙を書いて下さった方の消印は昨年の年も押し迫った12月29日。正月を挟んでのことだからこのくらいの時差は仕方あるまい。
ここではその読者をAさんとしておく。編集部からはAさんにお礼を書いてくださいとのメモ書きも入っていた。しかしボクはAさんに心当たりはない。その手紙の内容は、ボクが12月に書いたコラム「ロットリング」への感想だった。
Aさんの手紙は次のように続く。「そして、ウンウンとうなづき、何よりもこの新聞の入口のようなテーマ(身近な)を書いて下さっているのがうれしいです。いつかペンを取ってここに小さなコラムを読んでいる一人の高齢女性のいることを知らせたくて書きましたが、なかなかペンを取れませんでした」。
また、Aさんは「業界の記者をやり、労組を結成し、一枚のビラをガリ切りした」とも綴ってあった。コラム「ロットリング」がそんな過去を思い出しての感想だったのかもしれない。
編集部にコラムの感想が届くことがあるのかと尋ねたところめったにないとのこと。ボクはこの事実にうれしいやら戸惑うやら。すぐに丁寧に自己紹介を兼ねたお礼の手紙を書いた。
ネットでAさんの名前を検索してみると高名なジャーナリスト。農村社会、女性、くらしをテーマに大手出版社から何冊もの著作を出していることを知った。
また、編集部にAさんが「かけはし」の定期購読者か尋ねるとどうやら違うらしい。誰かから定期的に手渡されているのだろう。つまり、「かけはし」は人知れず地下水脈のごとく読まれていることがわかるひとこまだった。
ロシア革命の指導者レーニンは、1902年に著した「なにをなすべきか?」の中で労働者による「全国政治新聞」の発行の重要性を説いた。そして、「新聞は、集団的宣伝者および集団的煽動者であるだけでなくまた集団的組織者でもある。新聞は建築中の建物の回りに組まれる足場に喩えることができる」と書いている。
政治新聞は日刊商業紙とは違う。その政党、団体の指針、考えを広く大衆に広め、共感、共有してもらわなくてはならない。
Aさんからの返信には、日刊紙の記事でボクのことを知っていたと書いてあった。これも不思議な出会いである。そして、「どんなミニコミ紙にも、生活に根ざした生活からの目を持っている方のいらっしゃることに大きな励ましをいただきました」とあり、「安中公害問題」にもかかわっていたと綴ってあった。さらに(滝)さんのコラム「母の歩んできた道」を読んで、私に大きなエネルギーをくれましたとも書いてあった。
巻頭の政治論文とはまったく異なるコラムもまた政治新聞の役割であることを改めて思い知ったAさんからの手紙だった。ボクたちが想像している以上に「かけはし」は大きな政治組織の支柱であり、情報発信の要であるに違いない。 (雨)