介護生活

コラム「架橋」

 脳内出血で車椅子生活を余儀なくされているDさん宅を月に一度、日曜日に訪問して介護するようになってからもう5年目になるのだろうか。新宿駅で買ってきた駅弁を昼に一緒に食べてから、私は2~3時間かけて持ち込んだ「仕事」をするといったパターンが定着している。4時過ぎには近所のスーパーで買い出しをして、刺身や焼き魚などをつまみにして5時からはビールで乾杯するのである。ちなみにDさんは、一人でいるときは一滴の酒も口にしていない。
 今春、残念だったのは桜が満開の時期に雨のために近所の公園に連れていけなかったことだ。窓の下には小学校の校庭に立つ2本の満開の桜の古木を見下ろすことはできるのだが、さぞかし物足りなかったことだろう。
 3月の下旬、独り暮らしをしてきた88歳の叔母が救急車で近所の病院に運ばれて緊急入院することになった。その前日に訪問した時に、叔母の異変が気がかりだったので翌朝尋ねてみると、叔母はけいれん硬直して動けない状態だった。検査の結果、医者の見立てはパーキンソン病の悪化と軽い肺炎ということだった。
 8日間の入院中は紙おむつを付けた状態でほとんど寝たきりだったようだ。ここから退院まで私の疾走が始まる。まずは区の相談センターに行き、事情を話して相談に乗ってもらう。いくつかの資料をもらい、区の介護保険担当者と連絡を取ってもらい、病院の担当者にも連絡を入れてもらい、介護用具業者と連絡も取ってもらう。それから区役所へ行き介護保険の手続きをし、病院では叔母の状態の報告とケアマネージャーを早急に決めるよう指示を受ける。再度相談センターへ行きケアマネ指定の件を伝える。介護用具業者と連絡を取り、車椅子、介護用ベッドのリースと簡易トイレを注文し、設置してもらう。
 すぐにケアマネが決まった。ケアマネは介護のプロであり司令塔である。この後はケアマネさんからの提案などを受けながら、私が最終決断するということになる。様々な案を互いに出し合い検討した結果「私が泊まり込んで介護すること」になった。そして状態を見ながら「次の判断をしよう」ということになった。
 退院直後の叔母は車椅子での生活、簡易トイレの使用、甥の面倒を受けるという一変した状態にパニックに陥ることもあった。しかし週2回のデイサービスでの入浴とリハビリ、訪問看護もすぐに決まり、また私の娘や職場の女性社員たちの毎週の訪問もありすっかり落ち着いてきている。箸での食事もしっかりと食べるし、トイレの方も心配なし。また室内では車椅子を使わずに、つかまり歩きで移動できるまでになっている。先日初めて訪問医の診査を受けて相談して、リハビリの強化を決めた。
 その医師は若くて長身でいい男。叔母さんは終始ご機嫌そうであった。
(星)

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