消えてゆく赤提灯

コラム「架橋」

 終業時刻前、着がえた仲間からサッササッサと帰っていく。そんななかポケットに手を突っ込み歩いていると同僚の目配せで察知「屋台で一杯」という定番コース。赤提灯が風に揺れ暖簾から首を出すと「何人!」と親父の声、「二人!」と言うと客同士がもぞもぞ動いてお二人様の空間ができる。「まずビール一本」あと「焼酎の梅割り2つ」「おでん二皿」「特製オードブル」(メンマ・チャーシュー・刻み葱をあえたもの)と速攻注文。
 まずビールで乾杯! グイッと飲んで飛び出し大きな溜息……。「何かあったか?」「まあな……」二人の長い会話を取り持つのはいつもの「焼酎の梅割り」。
 初めての宿直勤務。先輩が寝酒に持ってきたジンの砂糖割を飲まされ松脂臭さに閉口した。コンビニもない時代の「つまみ・酒」の買い出しで世話になったのが赤提灯のぶら下がった「文化軒」と言う屋台。メニューは「焼きそば」「どんど焼き」の2種類のみ。買いに行くと痩せたインテリ風の親父が「なんぼ」(幾つの意味)と聞くので通称「なんぼの親父」。焼きそばを今風に言うと「屋台仕込み! 肉無しソース焼きそば」というところか?屋台の定番はおでん・ラーメン・焼きそば・お好み焼き……。梅割り焼酎・モッキリ・ビール等々。
 酔客どうしがクダをまき、お互いを讃えあい、時には涙ぐみそして「乾杯」を繰り返し。「また会おう!」と呼び合いながら深夜の街に消えていく。まるで映画のワンシーンを見ているような情景があった。私が住むこの街の屋台はもはや「一軒」を残すのみだ。
 戦後、GHQの鶴の一声「屋台は衛生的に難」が「屋台は不衛生」となり、東京五輪を経て行政が「クリーンな街づくり」へと次から次へと規制強化が進み最後には「一代限りの占用許可」となった。「あれもダメこれもダメ」とタガをはめ一生懸命生きている屋台を引くおっちゃん、おばちゃんを追い込んでいく必要が何であるのか? 官僚共の「国の政策」は、屋台を完全に「絶滅危惧種化」させて行ったのだ。
 韓国での闘いに参加した時に大きなデモ隊に遭遇した。韓国の仲間は「あれは、屋台で働く人たちのデモ隊だ」と聞き民衆の様々な生活に根ざして運動体が組織されていることに感動した。
 韓国、台湾、タイ、東南アジアの国々の屋台と民衆がつくる熱気とコミュニティは本当に羨ましい。欧州でも歴史的に屋台文化がしっかりと息づいていると聞く。
 それに比しこの国では米国に阿る「対米忖度」度の競い合いにうつつを抜かす政治がまかり通る悲しい社会だ。
 肌寒く感じる春の宵。住宅の片隅の「屋台」が見受けられない。齢80を越える屋台の主が「今日も元気」であることを告げる「赤提灯」をぶら下げにいつもの街角へと出かけたようだ。深夜、屋台を牽引した80㏄のバイクが軽やかな音を立てて帰ってくる。なぜかホッとし「ご苦労さま」と心で呟く。     (朝田)

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