「図書目録」という財産

コラム「架橋」

 出版業を生業として今年で38年になるが、紙媒体を中心としてきた書籍の衰退ぶりは止まるところを知らない。
 特に情報誌やガイドブックの類いは、インターネットの急速な普及と日常的な情報更新により、より専門な内容が加味された編集とビジュアル性が高くなければ広告も付かず、まして読者もつかない。ある意味迅速な情報を得る手段としては非常に便利なシステムであるが、その情報の内容を吟味する能力がなければ、いわばフィッシング詐欺まがいの情報に踊らされるといっても決して過言ではなかろう。
 それは人文関係の情報も同用だ。いやこちらの方が、検証があいまいな情報が所狭しにアップされ、根拠に乏しい孫引き、ひ孫引きがあたりまえのように論文に引用され誤解が拡散されている。
 以前、電車の車内風景は新聞や週刊誌、文庫本を立ちながらも開いて読んでいる人が当たり前だった。今や乗客のほとんどがスマホに熱中している。これも時代の当たり前の風景となった。
 閑話休題。出版不況はいまに始まったわけではないが、それは読者離れだけが原因ではないし電子書籍の普及だけが招いた事象ではない。「町の本屋さん」の廃業がこの事態に拍車をかけているといっていいだろう。
 「地方・小出版流通センター通信」によれば、日本の市町村で書店が皆無の地域は26・2%を占め、書店が存在しない市町村が50%を超えるのは教育県として知られる長野県をはじめ、出版社が多い沖縄県、奈良県。そして、40%を超えるのは北海道、福島県、高知県、熊本県の4県だという。
 「町の本屋さん」は、戦後、週刊誌など大部数を流通する雑誌主体で発展し、そこに書籍販売がうまく融合して発展してきたと書かれている。
 確かにボクが住んでいる地域でも30年ほど前は、街のいたるところに書店があり、立ち読み客であふれていた。書店の存在は、その街の文化度そのものであり、新聞と並んで情報発信基地的な役割を担っていた。ボクの生業の出版社も書店の減少と運命は一蓮托生である。創業したころは初刷り2000部、配本数も一取次店で500部を優に超えていた。
 ところが現在は、刷っても配本するところが減少し、初刷りも頑張って1000部。500部はざらである。これに連動するように一取次店の注文数も100部が平均。なかには60部という時もある。もちろん配本注文数は、その書籍の内容や性格に大きく左右されるのは当たり前だが、仮に1冊本体1000円の書籍を、取次店に正味6・8で卸して全部売れても68万円にしかならない。これでは印税どころか、制作費も印刷費も出ず赤字を垂れ流すだけだ。売れない企画を立てているのが原因だと言われれば、なんの言葉もないが、もともと地方出版社の役目は、地方に埋もれた文化を発掘し将来に残すことだった。
 あと何年この業界で生き残れるかは分からないが、「読み捨て」されないテーマを、著者と書店と版元との三位一体で探し出し、出版社としてつづけていけたら本望だ。その版元の「図書目録」こそが、何にもかえがたい財産だと言い切れる。
(雨)

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