『東京裏返し』
コラム「架橋」
コロナ感染への社会的規制が緩和され、人々が街に繰り出している。数十年来の市民の観光動向は、国内外の著名な遠隔地よりも「安近短」に基づく地元の街の魅力の「再発見」か。予算の限られたテレビ局の安易な番組作りが、茶の間の関心を後押ししている。これまで見向きもしなかった近隣の路地を歩き、昔ながらの食堂や喫茶店で「人情」に触れ、疲れた心を癒しているのだろうか。
東京大学教授・吉見俊哉の著書『東京裏返し――社会学的街歩きガイド』(集英社新書)は、昨今の「街歩き」ブームを社会学的歴史的視点からとらえ直し、東京という都市の変遷を多角的に検証・解説する一冊である。ブームの最初の火付け役となったのは、NHKの番組「ブラタモリ」だという。
東京という都市はもともと、武蔵野台地の東端に築かれた。東側には北から、上野台地、本郷台地、麹町台地、麻布台地、品川台地などいくつかの台地が張り出していた。そこに西の多摩方面から流れていたのが、北は石神井川、神田川。南は目黒川などの中規模河川である。これらの川が数万年という時間の中で台地を削り、坂や谷筋を形成していった。この地形は、川と台地が衝突する場所でより複雑になるという。その典型が板橋から王子にかけての滝野川一帯である。
飛鳥山は上野台地の根元にあたり、先の部分が上野公園や谷中になる。北側が隅田川で仕切られている上野台地は南東に張り出し、同じく東に進んできた石神井川との衝突地点が王子である。蛇行を繰り返した石神井川は現在、王子の西側までコンクリートの断崖となり、周囲にいくつもの緑地を残している。これは戦後の川の「直線化」工事の影響であり、この緑地は独特の不思議な景観を醸し出している。
地質学的な分析の一方で吉見は、都電・荒川線の経路を取りあげ、社会学的なアプローチを試みている。「日本資本主義の父」渋沢栄一の本丸を王子・飛鳥山とし、荒川線の終点・三ノ輪橋を日雇い労働者の街・山谷と一体化。「近代資本主義の頂点と底辺を結ぶ路線」と評するのだ。
また同路線に、「鬼子母神」(雑司ケ谷霊園)、庚申塚(巣鴨地蔵通り)、三ノ輪橋(江戸の刑場「小塚原」)の停留所があることを重ねて、「人生の誕生から老後、そして死までをつなぐ」と位置づける。これはいささかこじつけの感があるが、かつて音無川すなわち石神井用水は、王子から田端、西日暮里と現在のJR線に沿って流れ、日暮里駅前から荒川区と台東区の区界を通った。三ノ輪で分岐して北は石浜川、南東は思川として泪橋を抜け、山谷掘りや隅田川に合流していた。
これらの痕跡に目を凝らせば、東京の過去を再認識できよう。階級闘争と無縁のネタで申し訳ないが。 (隆)