続・介護生活

コラム「架橋」

 88歳でパーキンソン病の叔母の身体的な回復ぶりは、医療と介護に携わる関係者一同が驚くほどのものであった。パーキンソン病特有の小股歩きではあるものの、室内を自由に歩き回ることもできるようになり、簡易トイレではなく、補助器具を取り付けた普通トイレも使用することが可能となっていた。それでも入浴だけは週2回のデイサービスに頼るしかなかった。
 そうした明るい見通しのなか、ドタバタしながらも5月末に予定していた叔母さん宅への引っ越しも終えた。引っ越し疲れの影響で、筋肉痛と腰痛などで全身がぼろぼろの状態ではあったが、これでようやく腰を据えて、いつまで続くのかもわからない「介護生活」に入った矢先のことだった。
 パーキンソン病は調子の良い時と悪い時の波があるということは知らされていたのであったが、6月第1週の週末、叔母の歩き方の変化を感じ取っていたので、もしものことがあってはと、できるだけ簡易トイレを使うように言い聞かせてはいた。6月6日の朝、私が食器洗いをしていると叔母が普通トイレへと歩き始めたので「簡易トイレ使ってよ」と声をかけると「大」だというので「仕方ないか」と見過ごすことにした。しかし、それが大きな間違いになってしまったのである。
 数分後、「あれ!」ドスン!「ひゃ~!」という叔母の叫び声が上がった。叔母はトイレの外で尻もち状態である。叔母は10年前にもベッドから床に尻もちをついて背骨の圧迫骨折をしていたので「もしや」と不安が頭の中をよぎった。
 ケアマネさんが手配してくれた介護タクシーで掛かりつけの近所の病院へと向かったのだが、整形外科の受付は終了していたために途方にくれていると、ケアマネからの連絡を受けた訪問看護師が駆け付けてくれて、緊急外来にどうにかねじ込んでもらう。検査の結果はやはり背骨下部の圧迫骨折だった。
 自宅での安静療養となったのだが、痛がる叔母に6時間ごとに痛み止めを飲ませ、抱きかかえて簡易トイレに座らせて、室内の移動もすべて車椅子。デイサービスにも行けないので、訪問看護を週2回に増やして、体を拭いてもらったり大便のための補助など助けを借りなければならなくなってしまった。すべてが「後の祭り」である。そして痛みがある分、「振出しに戻った」というよりも身体的には退院時よりも状態は悪い。
 痛みは徐々に治まってきてはいるが、医者の見立ては完治1~2カ月であり、まだしばらくはいばらの道が続くのだろう。多分「介護する」ということは、こうした苦労の連続なのかもしれない。そんな「悟り」のようなものを開かずには持ちこたえられないのが、今の私の状態なのかもしれない。       (星)

前の記事

入管行政との歴史的な闘い

次の記事

「友を想う日々」