日本酒減酒宣言

コラム「架橋」

 5月の小雨が降る夜のことだった。昼間、大宮で呑み、地元に帰って寿司屋で待ち合わせし、また呑み、最後は誘蛾灯に連れ込まれてしこたま呑んだ。時間は10時ごろか。店でタクシーを頼むと2時間待ちとのこと。この時、酔ってはいたが足腰は健在。階段を降りて、駅のコンコースを抜けバス乗り場へ向かい無事乗車することができた。もちろん自宅最寄りのバス停で下車したことまでは覚えている。
 さて、ここからが問題である。気がついたのはなんと総合病院のベッドの上だった。娘夫婦も心配そうに立っている。どうやら泥酔して路上で倒れ、気を失い見知らぬ人が救急車を呼んでくれたらしい。
 この日は冷酒や焼酎をどれだけ呑んだろうか。その記憶がないのは泥酔の証拠である。思えばバスに歩いて乗れたのが奇跡に違いない。ベッドに横たわったボクの腕には点滴が刺さり、頭を打ったことからCTの検査し、顔面を路上に強打したため鼻の骨にヒビが入っているという。
 あとから娘に聞いたところ医師は「たいへんですね。よろしかったら施設を紹介しますか」と言われたという。施設とは、アルコール依存症の治療施設のことだ。
 泥酔して救急車で運ばれたのはこれが初めてではない。以前、大宮ではしごして、2軒目の居酒屋を出た時、段差に躓き電柱に後頭部を強打したことがある。数分意識を失っているうち、居酒屋の客が一緒に呑んでいた呑友に、「早く救急車を呼んだ方がよい」と言われ、ストレッチャーに乗せられ呑み屋街の小路を押されていったこともある。この時も救急車の中から、娘に電話したが大宮までこられるはずもない。いまでも夜半に携帯電話が鳴るとビックとするという。
 この日は大宮にホテルを取っていたのでタクシーで無事届けられたが、数日後頭部が痛かったのには悩まされた。しかも、翌日は鎌倉で呑む約束をしていたので、無理を承知でまた痛飲してしまった。
 「呑助につける薬がない」とはまったくこのことだ。この他にも横須賀で呑んで、ホテルで朝起きたら財布の中に1円もはいっていなかったとか、電柱にしがみついて酔いを覚ましたとか、覚えているだけで酒にまつわる醜態は恥の羅列である。
 娘に、「もう日本酒は呑むな。ビールか焼酎にしな」と諭され、この間、日本酒を呑むのは2合までとした。いや、その2合もほとんど呑まなくなった。(この自粛命令は非常に優しい。断酒しろというのではないのだから)。日本酒を呑むとしたらすぐ横に布団が敷いてある旅館とか自宅だけである。夜の街にも久しく出ていない。
 今までビールはすぐに腹が膨れるので呑まなかったが、この熱夏、ビールほど旨いと思わずにはいられなくなった。日本酒はアルコール度数15度、ビールは5度。いくら呑んでも日本酒のチェーサーと同じである。
 しかし、路上といっても歩道だったからよかったもの車道だったら車にひかれて死んでいたかもしれない。笑い話が、現実にならないように減酒している毎日である。 
  (雨)

次の記事

劇場鑑賞の勧め