報われる社会をめざして
コラム「架橋」
安倍晋三元首相が街頭演説中の奈良市で凶弾に倒れてから、1年2カ月が経つ。衝撃的なこの事件の発生からしばらくの間は、市民の目がこの邪悪な反共組織に注がれていた。だがやはり時間の経過とともに忘れ去られようとしている。どん底支持率の回復を狙った首相・岸田文雄による先の「第二次再改造内閣」では、副大臣・政務官のうち計26人が「旧統一教会」との接点があった。
事件によって知名度を上げたのがジャーナリストの鈴木エイト氏である。長きにわたって教会を取材してきた実績に、ようやく光が当たった。
「風変わりな経歴の持ち主」と、9月16日の東京新聞夕刊が紹介している。滋賀県出身。日大に入学後ミュージシャンをめざしてパンクバンドを組み、ボーカルで人気を博した。長髪に鋭い眼光、たしかにそんな風貌ではある。
だがメジャーデビューを果たせず、当時アルバイトをしていたビルの管理会社に、そのまま正社員として就職した。作業着を着て空調設備の保守点検を行なう日々のなか、教団を特集した番組で偶然その存在を知ったという。
「アンケートを取っています」「手相の勉強をしています」――エイト氏は、街頭に立つ教団末端の部隊の偽装勧誘を、たった一人で阻止し始めた。「強い正義感を持っていたわけではない」と謙遜する彼は、被害者の救済活動をする弁護士連絡会や民間団体と連携。本業を続けながらジャーナリスト活動を本格化した。
エイト氏の実姉も教団信者で洗脳されていた。だが「姉の問題で阻止活動を始めたと矮小化されては困る」と釘をさす。「姉は家族の問題で、教団は社会の問題。誰だって何か問題に気付けば、できる範囲でやることをやるでしょう。私にできることが阻止活動だった」。脅迫や暴行も受けた。それでも「教団を知れば知るほど問題意識は高まった」と振り返る。
メディアは、大きな事件や事故が発生したその時は、時間を割いて報道する。その筋の専門家をスタジオに呼んでコメントを受ける。呼ばれた人物は局をまたいで番組を移動し、同じ論説を繰り返す。御用学者の仕事も増えるが、地道に運動を続けてきた人々の名も知られる。本が売れ、講演を依頼されるようになる。無名の人々が一躍著名人に変身する。マスコミの影響力は、今なお甚大である。
「安倍さんの死に大きな喪失感があった。選べるのなら、注目される今の自分より、無名のまま安倍さんを追求する自分を選ぶ」――エイト氏の本音だろう。
人生の中で、一度くらいはこういう体験があっていいかも知れぬ。これまでの努力が「報われて」いいかも知れぬ。メディアに使い捨てられようが、そうでなかろうが、己の信じた道を行くしかない。あまりにキザな文末か。
(隆)