「秋の夜長に想うこと」

コラム「架橋」

 一気に秋の気配がしてあちこちから虫の鳴き声がする。樹上から聞こえる甲高い「リーリーリー」と鳴く虫は「アオマツムシ」と言う外来種らしい。いつの間にか秋の虫合唱隊になったようだ。
 この頃「総合的に判断し、適切に対処していきたい」との言い回しが政治家の「常套句」となっている。「総合的とは」と問われれば「あらゆるものを総合的に判断したということだ」と語り「それをもって適切に対処するということだ」と結び「丁寧な説明」は終了する。まるで禅問答のようでもある。
 例えば、汚染水問題。「関係者の理解なしにいかなる処分も行わない」と言う約束と漁民の放出反対の声に「真摯に、耳を傾け丁寧に説明する」と言い続けてきた。
 だが8月22日に海洋放出を「閣議決定」し24日には強引に実施したことを見れば海洋放出は「既定の事実」であったと容易に推察できる。
 国会では野党の質疑時間を短縮し、更に長々と答弁し十分な論議をさせない「国会空洞化」攻撃の様相だ。「与党合意軍備増強GDP2%、3文書改訂、敵基地攻撃保持、原発再稼働と推進。国際的批判を浴びてきた「出入国管理及び難民認定法」も批判や指摘されてきた「人権」に向き合うどころか「難民排除の論理」とも言うべき中味で成立させた。性的マイノリティーへの差別を禁止すべき内容であるべき法は「LGBT理解増進法」となり「不当な差別があってはならない」と。
 果たして「差別に正当な差別などある」のか?自民党保守派議員は「自治体による行き過ぎた条例を制限する抑止力」となると語ったと聞く。そして異国で差別され人権を抑圧されながら、安価な労働力として働かされる外国人労働者。「誰もが法の下で平等であり、基本的人権は侵すことのできない永久の権利」だと憲法に書いてある。
 しかし、差別や偏見を温存し、人々を分断し対立させるという支配の構図はむしろ強化されている。9月19日国連総会で岸田首相は「……我々は人間の命、尊厳が最も重要であるとの原点に立ち返るべきです」「我々が目指すべきは脆弱な人々も安全・安心に住める世界、即ち《人間の尊厳》が守られる世界なのです」と。杉田水脈議員がアイヌ民族・朝鮮民族への差別的投稿に札幌法務局が「人権侵犯」と認定したのは9月7日だ。「男女平等は絶対実現しない反道徳の妄想」(14年衆院本会議)、同性カップルを念頭に「彼ら彼女らは子どもを作らない、
 つまり『生産性』がない(18年寄稿文)、性暴力の被害者支援に「女性はいくらでも嘘をつける」(20年自民党本部会議)等々。岸田首相はこのような差別主義者を重用することで「私は、個人主義者でもなければ人権の擁護者でもない」ことの宣言だ。戦争政策と真っ向からぶつかる人権擁護の声。様々な音色の楽器を奏でる秋の虫たちと同じように、小さな声がつながって大きな力になるように。     (朝田)

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