路面電車と地下鉄

コラム「架橋」

 8月27日、朝からニュースは、「東京電力福島第一原発の処理水を海洋放出」する記事が一色。その脇にJR宇都宮駅から隣村の栃木県芳賀町の工業団地まで新たな路面電車が開通したという記事がちょっぴり。通常鉄道の話題は、「廃止か縮小」であり「新路線の開通」はめずらしい。新たに走る路面電車は、LRT(ライトレールトランジェット)と呼ばれ、新型は旧来のものより車輛は長く、今やヨーロッパ各地に導入されているものに近いため、LRTと呼ばれている。
 私は今や世界的に路面電車が「トラム」と呼ばれていることを知ったのは、一年前NHKの「トラムで旅するヨーロッパ」という番組を観てであった。トラムはヨーロッパでも東欧諸国に多く残っているという。番組はヨーロッパ各地を映し出していたが、中でもチェコのプラハは小路(路地)を走る路面電車と古い石で建設された建物とのコントラストが見事であった。またフィンランドの首都であるヘルシンキ駅は、空港からも近く国鉄・民鉄・地下鉄・トラム・バス乗り場がいっしょに存在し、飛行機を降りるとフィンランドだけではなく、ヨーロッパ各地に行けるようになっているのが新鮮であった。
 1950~70年代全国のほとんどの都市を路面電車が走っていた。「あるのがあたりまえで」決してあるのがめずらしいものではなかった。それが60年代後半から70年代前半にかけて全国で一斉に姿を消し始めた。その理由は、都市部における交通渋滞である。当時、財界や自民党を支持する学者たちの主張は、「都市の中心部から企業も人も出て行けば、経済(税金)的にも自治体はつぶれ、崩壊してしまう」。というものであった。「都市間を高速道路で結び、大都市には地下鉄を走らせ路面電車をなくす」というのがモータリゼーションを掲げる「新しい社会」づくりであった。財界と自民党はクルマ資本の提灯を持ったのである。
 私が上京したのは1974年であったが、すでに都電は現在のように「荒川線」しかなく、最初に住んだ横浜も市電は消え、地下鉄の工事が始まっていた。ここにあるのは「路面電車から地下鉄」という形だけの転換ではなく、革新自治体運動や国労とともに総評労働運動を支えた自治労運動。その自治労の中心である「都市交」運動の解体が狙われたのである。60~70年代にかけて東京、横浜だけではなく、大阪、福岡、京都、名古屋、札幌、仙台で路面電車の廃止がぶち上げられ、地下鉄工事が始まったのがそのことを裏付けている。その後国労を中心とする国鉄労働運動は孤立化され、「スト権スト」を経て、国鉄の分割・民営化によって国労が解体され、総評労働運動が事実上終わるのである。
 この時代に労働運動の世界に足を踏み入れた私にとって路面電車の廃止と地下鉄の登場は総評運動の崩壊と一体なのである。私が「トラム」を避けていたのはこうした問題も背景にある。港区三田の田町にある「都交会館」は、私にとって、総評労働運動解体、東京労働運動解体の記念碑のように今では思えるのである。        (武)
 

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