イスラエルによるジェノサイド攻撃
コラム「架橋」
10月7日、ハマスによる攻撃とこの日以後、イスラエルによるガザへの猛烈な無差別爆撃によって、パレスナチ人の命、建物、水道・電気・ガスなどすべてが失われて、「地獄」が再現されている。負傷し泣き叫ぶ子どもたちの姿。理不尽の一言につきる。
東京では、いち早く10月11日、NAJATの杉原浩司さんらがイスラエル大使館抗議行動を呼びかけ60人の参加。私はこれに参加後、できる限り抗議行動に参加した。
10月15日、BDSとNAJATの呼びかけ、JR新宿駅東南口での集会にはパレスチナ人など外国人が9割をしめ、250人が参加。10月16日、総がかり行動呼びかけ、イスラエル大使館抗議に600人。10月18日、BDSとNAJATの呼びかけ、米国大使館への抗議に350人。10月27日、NAJAT呼びかけ、イスラエル大使館に抗議のダイ・イン、150人。10月29日、イスラム系の人びとが呼びかけ、イスラエル大使館抗議デモ、2000人。11月2日、NAJAT呼びかけ、首相官邸前、上川外相の訪イスラエルなどに抗議のダイ・イン、120人。
11月3日、憲法記念日、国会前に4000人、11月4日、フェミブリッジがJR新宿駅東南口で、スタンディング、50人。11月5日昼、イスラム系の人びと、アメリカ大使館へ抗議デモ、100人。同日夜、総がかり行動、1600人が銀座デモ。11月7日、G7外相会談反対申し入れ行動、100人。11月10日、総がかり行動、渋谷デモ、4000人。
10月11日、最初のイスラエル大使館前行動の時、発言者のほとんどがハマスを批判した上で、その背景にあるイスラエルの長年にわたる占領政策とパレスチナ人への大虐殺の歴史とそれを作った英仏と米国の帝国主義的中東政策を厳しく批判するものだった。その後、イスラエルのガザへのすさまじい攻撃の前に「ハマス批判」は言われなくなった。
11月5日の総がかり行動のデモでは「フリーフリーパレスチナ」とコールされたが、私が参加したイスラム系のデモでは必ず「ネタニヤフ テロリスト」が付け加えられていた。11月3日憲法集会の基調提起は「憎しみの連鎖では平和は勝ち取れない」と訴えられた。
パレスチナ、ウクライナ人民など侵略や抑圧を受けている人々には人民の抵抗権があり、その闘争を私は支持する。
私がこの間の文章で一番納得できたのはアシュカルの書いた文章だ(「かけはし」10月18日号)。
「パレスチナ人の闘争はイスラエルの抑圧、占領、また入植者の植民地拡大に反対する大衆的な政治行動に依拠しなければならない。ジェニンやナブルスにおける若いパレスチナ人によって組織された新たな地下的な武装抵抗は、民衆の大衆運動に対する有効な補助手段となることができる。……」。
「……地域の支援は、イランの支援のような専制的政権の支援ではなく、これらの抑圧的体制に対決して闘っている民衆の支援だ。この中にこそ、パレスチナ解放の真に潜在的な将来性がある。それは、……シオニズムの論理からイスラエル社会自身の解放と組み合わせられる必要がある」。(滝)