東大野球部監督の指導方針

コラム「架橋」

 朝日新聞に東大野球部の監督を二十数年前にわたって務めてきた「青木秀憲さんのインタビュー」が掲載されていたので紹介します。実に面白い。私にとっては「目からうろこ」だ。私は1992~3年に三度ほど東京大学の試合を観戦するため、神宮球場に通った経験があります。
 その時以来の疑問がとけたような感じです。神宮球場に通った理由は、友人の息子が法政大学の野球部でたまに試合に出ていたからです。1回目は上京した友人と法政対立教の試合、2回目は法政と明治、3回目は法政と東大です。2回目の試合は大きな差がつき、一番面白くない試合でした。偶然にも1回目も2回目も前の試合には東大が登場したので東大の試合を3回続けて観戦しました。その時に持った疑問です。
 東大の試合は一言で言うと勝っても負けても元気で明るかった。今流に言うと野球を楽しんでいるという雰囲気でした。私自身も甲子園を目指した高校時代があったので、それにはびっくりしました。
 今回のインタビューで青木さんは次のように言います。「私は開成(東京)で野球をやっていましたが、実に弱かった。なにせ練習時間は短く、専門グランドもなく、ほとんどの生徒は塾に通っていたので、時間外にはそちらが優先で、練習の多くは自主練にまかせられていました。そんなわけで私に指導方針があるわけでもないので、私が入学した時の平野監督の練習方針をそのまま踏襲しました。私は平野さんの指導方針を受け入れていたので、練習方針は今でもほとんど同じです。私が平野野球の原点と考えるのは、私が現役時代の最後に闘った立教戦です。相手チームの先発投手は後にプロの横浜にスカウトされた川村投手でした。この大エースに対してわがチームは先頭打者ホームランを浴びせ、2回までに9点もとり、最終的に12対1で勝ちました」。
 「平野さんはこの試合が原点になっているように思います。私は勝手にそう決めて今日までやって来ました。短い練習時間のほとんどは打撃練習です。それもグランドに3台もケージをすえて時間いっぱい打つ練習をします。守備練習は個人まかせで、唯一キャンプの時に少しやるだけです」。
 「チームとしては『勝ち』を目標にしましたので、暗黙の約束事はありました。ノウサインが基本でバントはありません。練習もしません。投手はできる限りストライクを投げる。打たれてもいい。野手はひとつのプレーで二つのエラーをしないこと。エラーをつづけると試合をこわしてしまう。つまり、まわりがやる気がなくなります。一般的な高校野球の戦術をセオリーと思わないことです。戦術は練習時間、環境、選手の力量を踏まえて決めるものです。割り切りが必要です。バンドのように練習時間の割に成功がむずかしいものに戦術にしない。採算が合わない。自分ができることを選ぶというのが基本です」。
 「私は高校生の時に、『小技と足』が得意でした。大学に入ると試合に出ても塁にはほとんど出れませんでした。六大学は以外にレベルが高く、高校時代―甲子園で活躍した選手がうようよいます。それで野球の試合でチームに貢献できないと知った私は、マネージャーに転身することを監督に申し入れました。監督もそれを受け入れてくれました。考えるに東大野球部のモットーは『爆発的な打撃力』です。練習もこれに特化し、バットは思い切り振ることが各自の責任です」。
 「『重要なことは相手に対して、長打力があると思わせることです。長打力がないと思えば相手のチームのランナー2塁の時に相手の外野も前進守備を取り、単打では点数が入りません。もし彼らが前に出なければ単打で点が入ります。これは試合を進めるにあたって大きな違いになります』」。
 「『弱いチームが勝つには、球場のムードに後押ししてもらいながら、一気に相手をのみ込むしかない。理想的展開は、相手が気がついた時には負けていたという試合展開です』。『私は今こころがけている指導方針は160cmの背でもホームランを打てる打者に育てることです』。『勝つのも打つのも楽しい。だから練習するんです。だから時間のある限り、バッテング練習が大事なのです』」。 (武)

次の記事

続ジャニーズ考