子どもの貧困

コラム「架橋」

 「子どもの貧困」は言うなれば「親の貧困」だと言い切れる。統計によれば、世界の6人にひとりが極度の貧困状態、飢餓、非衛生の中に置かれている。それは、教育、健康状態、住居と生活全てに及んでおり、両親もまた就業機会の欠如などが導火線になり、その連鎖は世界中に広がっている。戦争や紛争もその原因のひとつだ。
 ボクが住む中核都市(県庁所在地)から選出されている女性議員は、議員活動のモットーとして、子どもの貧困対策に取り組んでいる。もちろん自公、維新、国民などの会派には所属していないが、だからといって革新会派の中核を担っているわけではない。彼女のフェイスブックには、自らが運営する子ども食堂の様子がたびたび掲載されている。このような議員は他に、まったく見られないといってよい。まさに孤軍奮闘である。
 ある機会に彼女と話す機会があった。その中で結論として同意したのは、前述した通り「子どもの貧困」は、「親の貧困」にあるということだ。就労機会に恵まれなかったり、病床についていたり、父母の不仲だったり、虐待だったりとその原因はいたるところにある。つまり「子どもの貧困」は「犠牲者たる親の置かれた境遇」や国、行政の怠慢にあるに違いない。子ども食堂に、その親も一緒にやってくることは珍しくはないという。もはや国民総中流世帯といわれた2000年以前からはほど遠い現実が、日々進行している。
 日本の場合、厚生労働省の調査によれば、その貧困率は(2018年)13・5%にのぼり、ひとり親家庭に目を向ければ48・1%と、先進国の中でも最悪な状態にあるという。48・1%と言えば2家庭にひとつは貧困状態にあるとことがわかる。確率的に言えば、7人に1人が貧困状態にあり、行政の施策からはほど遠い場所に置かれている。
 特に母子家庭の場合、未就労者の貧困家庭より、パートや臨時雇用という弱者的立場に追いやられている場合の方が、その貧困率は非常に高いという。まして多子の場合は、その貧困に追い打ちをかけ、とどまるところを知らない。
 働きたくても働けないとなれば、貧困状態を無理に受けいれるか、生活保護や養育施設への入居しか道がないのだ。
 これらが顕著になったのは、新自由主義を掲げた小泉内閣が成立してからである。上野公園や隅田川沿いに、家を失った人々のテントが立ち並び、炊き出しや健康相談などが至る所ではじまった。
 そして、小泉内閣の政策を引き継いだ安倍一強内閣は、増税と防衛費拡大の道をひた走った。そして、安倍亡きあとも清和会はその影響力で内閣を牛耳っていた。
 ところが昨今、新聞などで報道されているように一千万円をも超えるパーティー券のキックバックを清和会の面々や自民党役員が不正に裏金として着服していたことが明らかになり、検察も動き出した。
 内閣支持率が低迷をし続ける岸田は、これ幸いと清和会=安倍派の一掃を図るべき役員更迭へと動き出した。今後は、司直の手に委ねるとして、「子ども貧困」の積極的な解決や「母子家庭」などの就労機会の創出、国民生活の向上と平和社会の確立に力を入れなければ、早晩岸田自公政権とその取り巻き連中を地の底にたたき込むだろう。子どもたちも含め社会的弱者が支持する政権を獲得するときは今だ。政治屋から国民にキックバックを取り戻せ!! (雨)

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