不具合のエレベーターそして柳川さんの生き方

コラム「架橋」

 12月27日朝4時40分、西大島駅のエレベーターに閉じ込められた。改札口に向かったエレベーターが下まで降りたが開かずに戻ってしまった。それも10分ぐらいかかった。たまたま、中年女性と2人。この人は前に一人で閉じ込められ、電気も消え、外とも連絡がつかなかったという。1カ月前もあった。どうなっているのか。
 12月29日朝、エレベーターの中が暗いので、何かおかしいと待っていると、ゆっくりとエレベーターが上がってきた。下に降りたのにドアが開かなかったからだ。乗客の2人は怒りが収まらない。「足が痛い」と言いながら、階段を降りていく。エレベーターの下では、駅員が携帯で連絡していた。「何とかしなさい」と、乗客が怒りの言葉。「すいません」と謝る駅員。
 1月9日朝。前の人と駅員の乗ったエレベーターは通常通り動いていたが、私たちが乗ったエレベーターはガクンと止まり、その後ゆっくりと下った。「3人の重さのせいかね」などと女性たちの話。下で駅員が待っていた。理由を聞くと安全装置が作動したからだと言う。乗り合わせた人からは困っちゃうとブツブツ。足早に乗車場所へ移動していった。
 1月10日、今朝は駅員が2人で対応。一人がエレベーターに乗り、一人が下で待っていた。今回は問題なし。
 都営地下鉄は何でチャンとした修理が出来ないのか? 不思議でならない。エレベーターはどこでも、なくてはならないものだ。とりわけ障がい者や赤ちゃんを抱えた人、高齢者には必須のものだ。
元旦から、能登半島地震と羽田空港事故が起きた。能登半島の被災地では1週間経っても孤立状態が解消していず、死者・行方不明者も増え続けている。一方、羽田事故も原因究明に時間がかかりそうだ。
 1月7日、三里塚空港反対同盟の旗開きで、柳川秀夫反対同盟代表世話人が、「今でも空港反対を貫くのは、巨大開発で便利な世の中を作るのではなく、環境や農業を守る、腹八分の考え方に基づく」と話しをされた。農村共同体が解体されていくなかでの転換だったという。58年間の闘いの重みを感じた。
 午後からのデモの出発点の東峰地区に移った。東峰地区の島村さん宅の上すれすれに、数分に一度の割合で着陸機が轟音とともに降りてくる。目で見ても次の飛行機の明かりが点々と見え上空で待機しているのだ。こんな轟音の中で生活する島村さん家族の怒りが伝わる。管制官のミスなのか、海保の飛行機のミスなのかは分からないが羽田事故の根本原因はこの過密な運行にある。成田でも重大事故が起きても不思議ではない。
 第3滑走路まで拡張を重ね、すっかり農村と自然を破壊し、跡形もなくしコンクリートで覆い尽くす。邪魔な農業研修センターの破壊の裁判が始まった。巨大開発に立ち向かう闘いは続く。(滝)

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