都会の四季

コラム「架橋」

 1月10日朝、窓から富士山の見える西側のカーテンを開けると小学校の子どもたちは白い帽子を被り元気に登校している。今日から3学期が始まったみたい。
 話は変わるが「東京には季節がない」という人が多いとテレビは指摘している。本当だろうか。昨日までの私であったらテレビが指摘することに同意したと思うが、先日東京の小さい冬を見つけたので今は同意しない。
 昨年の10月末、大阪の友人が訪ねて来てくれた。彼の上京は私が病院に入院した時以来だから約4年ぶり。大学を卒業すると私は東京に、彼は関西に就職した。したがって彼とは4~5年に1回ぐらいしか会うことはない。彼は息子と会うために東京経由で盛岡に行くという。孫が生まれたとのこと。
 久しぶりに新幹線の窓から見た丹沢や箱根の山は紅葉が始まっていたと興奮気味に話す。なんでも山の樹々が色づき始めていたという。「紅葉というのは寒くなってコートを出す頃が一番美しい。兵庫は暖かいので、紅葉を見たいと思ったことはない」と言う。
 「紅葉というのは、その意味で体温で見るものであり、感ずるものだ」という。彼の紅葉論をすごいと感心した初めて聞く話であった。翌日、彼を地下鉄の駅に送っていったが、銀杏の葉が黄色く色づき始めているものもあったが、東京の紅葉は遠かった。
 県境の荒川を越えて東京に入ると国道17号線(旧中仙道)の両脇の並木は銀杏になる。だがこの銀杏の並木は神宮ほど感動しない。逆に排気ガスの多い国道の両脇に植えられていることを考えるとよっぽど排気ガスに強いのだと考えると嫌いにさえなる。しかし12月になると緑の葉が黄色に変わるのが実に美しい。
 銀杏の中で銀杏の実を付ける木はすぐ分かる。銀杏は道路に落ちると道路が汚れるし、その季節になるとその銀杏の木の下にほうきを持った老人が必ず立っている。銀杏の実を狙っているのである。
 私も子どもの頃には毎朝ザルを持って銀杏を拾いに行ったが隣のおばあさんと競争であった。拾って帰って来ると裏の砂場に埋め、銀杏の果肉を落とした。銀杏の果肉はとにかく臭い。たべるためには銀杏の外側をおおう果肉を取り除く必要がある。拾って来た銀杏を砂に埋めるまでの私たち子どもの仕事。砂場から母親が掘り出すと茶碗蒸しに入り、おやじは爪楊枝に刺してストーブの上に上げ、酒のつまみにしていた。子どもはこの銀杏を食さなくても栗やクルミがあった。
 12月30日、友人に車椅子を押してもらいスーパーマーケットに買い物に出かけた。銀杏の並木を1本ずつ見るのは友人を駅に送って以来だった。銀杏の木の三分の一は、木に葉っぱがまったく残っていない。三分の一は黄色の葉が半分くらい残っている。三分の一は枝の先に細々と葉が残っている。しかし、ちょっと強い風が吹くともうすぐ葉はなくなりそう。
 私はこの銀杏の木の違いこそ東京の冬だ、最初の違いは「日当たり」と思ったが違う。日が一日中当たるのに葉がない木があると思うと、ない木もある。いくら考えてもこの違いの理由は分からない。仕方がないから銀杏の木の個性のせいにした。しかし考えると違いがあって初めて銀杏のように思う。どの木も葉が一斉になくなるのは、新しい葉を出す直前だけらしい。
 葉がなくなると面白くもなんともないし、興覚めさえする。おそらく銀杏が緑の葉を付ける春にも早い木と遅い木があるのだろう。そしてその全体が銀杏並木なのである。この木の個性のような違いが四季を作るのだろう。都会とはこの自然の持つ多様性を奪うから四季が少ないのである。都会もぐっと近づくと今まで知らなかった四季が残っている。知らないのは人間の方なのだ。    (武)

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