慌ただしい年末年始の事件
コラム「架橋」
昨年の暮れ、御用納めの28日朝8時半ごろのことである。さて、そろそろシャワーを浴びて事務所へ行こうかとしているとき、何やらきな臭い匂いがベランダから漂ってきた。はて、何かと思いパンツ一丁でベランダから外を見ると、なんと隣の居室からもうもうと煙があがっているではないか。そして、その様を階下の駐車場から見ている人たちが「逃げろ。逃げろ」と大声で叫んでいた。そう、火災が発生していたのである。
しかし、それにしては不思議なことに火災を告げる報知器も作動せずベルも鳴らなかった。これが夜中で、泥酔して寝ていたらボクも煙に巻かれていただろう。慌てて身支度をし、雪駄履きで部屋を出るとちょうど管理人が隣の部屋から目が不自由で高齢の住人を連れ出し避難するところだった。下に降りると鈴なりになった住人や近所の人たちか火事の様子を注視している。ボクはといえば、白い煙と共に吹き出した赤い紅蓮の炎を眺めながら人ごとのように写真に撮っていた。
しかし、消防車の放水が始まると「おいおい、家にはかけるなよ」と無言でつぶやかずにはいられなかった。隣と壁一枚隔てた右側の和室は書籍の山。くくりつけの本棚が壁一面に林立しているのだ。
出火の原因は、なんと後日発生した田中角栄の屋敷の火事と同じ線香の不始末だったらしい。鎮火してから自宅に戻ると、消防隊が部屋を通り抜けて、我が家のベランダから隣に仕切り板を壊して侵入したためフローリングも畳の和室も泥だらけ。つい先日つけかえたばかりの白いレースのカーテンや吊しておいた衣類も消防隊の黒い煤がついていた。消火作業のためだから仕方ないと諦めたが、幸い放水はかぶってなくほっとしたが、警察の家宅捜査より始末が悪いのは明らかだ。
まあ、この被害は火災保険でなんとかなるからいいものの、正月の午後に発生した石川県能登半島で発生した大地震、大津波の被害者は悲惨極める。厳冬の寒さの中、住宅が全焼、倒壊しインフラは破壊され、未だ水道も通水していない中の避難生活から比べれば、ボクの火災事故などちっぽけなもの。自民党のキックバックを議員どもから全て徴収し、不毛な官房秘密費なとも洗いざらい地震被災者に使うべきだと考えるのはボクだけではなかろう。
そして、前立腺がんの定期検査が新年早々にあり、その数値がうなぎ登りにあがっていた。12月のときは、担当医師が怪訝そうに「今日はみんなあがっている」と不思議そうにデータを見た。検査器機の故障でもあるまいと苦笑するボク。そして3カ月に一回の検査を1月もやった方がいいと言われ、よたよたとまた病院へ。採血の結果、再びMRIをとることになった。前立腺を全摘し、その後、放射線治療まで行ったのにも関わらず数値が上がり続けているということは、転移した可能性が高い。
その結果を聞きに行くために今回は長女も同行。医師が言うにはどうやら胸椎に転移しているらしいとのこと。つまり背骨に転移しているということだ。医師は、念のためにもう一度2月に3度目のMRIをとるという。さて「抗がん剤」のくだりはまた次回に。 (雨)