「百万本のバラ」とジョージア

コラム「架橋」

 2月23日午前中にNHKBSで「“百万本のバラ”はどこから そしてどこへ~加藤登紀子 ジョージアへの旅」が放映された。ロシアのウクライナ侵略から2年。いま、「“百万本のバラ”はロシアの歌だから歌えない」という声が高まっていると言う。登紀子さんは「百万本のバラの歌」を、国境を超え歌い継ぎたいと苦悩した。この歌詞のモデルと言われる、ジョージアの国民的画家ニコ・ピロスマニ(1862~1918年)の故郷ジョージアを訪ねた。
 「百万本のバラ」はロシアのロック歌手がロシア語で歌い大ヒットした。それを登紀子さんが日本語でリメイクし、登紀子さんの代表曲となった。この歌はもともとバルト三国の一つラトビアで悲しい子守歌として生まれる。TVではソ連に対する抵抗の意味であったと言われた。
 ジョージアは北海道と同じくらいの広さで、人口は370万人。ロシアとは5000m級のコーカサス山脈で隔てられている。2008年に、ジョージア・ロシア戦争が勃発し、ロシアは占領した南オセチアとアブハジアの独立を承認し居座っている。
 映像ではコーカサス山脈を写し出し、その麓にジョージアがある。ジョージアはアルメニアの次にキリスト教が早く広まった国。敬虔なキリスト教徒が多い。
 グルジア(ジョージア)と言えば、レーニン最後の闘争で、スターリンがグルジア人を弾圧してグルジアにボリシェビキ政権を作ったのを、レーニンが激怒してスターリン共産党書記長の解任を要求したことは有名。高校生の時に、『レーニン最後の闘争』で知った。私にとっては静岡県清水市で起きた金嬉老事件(1968年)を通して、在日朝鮮人の歴史を知り、被抑圧民族無条件防衛の立場を学んだ。これと同じレーニンの考えに共鳴したのを覚えている。
 話を戻すと、登紀子さんがジョージアの日本語の歌う歌唱グループに、いっしょに「百万本のバラ」を歌ってほしいと頼むが、ロシア語の歌を歌うわけにはいかないと拒否された。その代わりに日本民謡の「ふるさと」を歌うことになった。登紀子さんは日本語で「百万本のバラ」を歌う。
 登紀子さんは「この歌は、人が遂げられない夢であっても愛があればかなうかもしれないという勇気を世界の人々に与えた歌だ」と話した。歌い終わるや大きな拍手が沸き起こった。
 「世界で戦争が起きている、絶望的になる」と登紀子さんが話すと「私たちの首都トビリシは26回も攻められて壊滅したがその度に再建した。絶望することはない」とジョージアの人が答えた。ジョージアの北側にいったん独立がつぶされたチェチェンやイングーシなどの人々が求めている「北コーカサス山岳民共和国連邦」が見え、そしてそれは夢物語ではないと思った。
(滝)

前の記事

わが良き友たち

次の記事

鳥インフルとハエ