税金納制、南米先住民の悲惨

コラム「架橋」

 ラテンアメリカからの略奪を本源的蓄積として、欧米資本主義は花開いた。略奪されたのは人的資源としての先住民の命であり、金と銀等の鉱物資源であり、生物資源である。
 1492年にコロンブスがやってきた時、中央アメリカから南アメリカにかけて7千万人から9千万人住んでいたとされる先住民は、150年後には350万人に減少した。コロンブスが到着したエスパニョーラ島(ドミニカ共和国とハイチ)の38万人の先住民は、20年後には3万人に、50年後にはほとんど絶滅する。
 1550年前後からボリビア、メキシコで相次いで銀鉱山が発見され、水銀アマルガム法の導入と相まって、銀の生産量は飛躍的に拡大する。1503年から1660年の間にヨーロッパに流出した銀の総量は、2万5000トンに上った。これは当時のヨーロッパの銀備蓄総量の3倍に匹敵した。
 銀鉱山の開発当初、先住民は下層労働者として強制的に鉱山に送られた。しかし、すぐに限界に突き当たる。建前上は先住民に強制労働をさせることはできなかったからである。
 しかし、銀の増産は債務にまみれたスペイン本国政府にとっても、新大陸の支配者にとっても至上命題であった。そのためには大量の先住民を次々に鉱山に送り込む必要があった。 
 そこで採られたのがミタ労働であり、ミタ労働の適用地域への先住民の集住化であり、人頭税を始めとする税の金納化という政策だった。
 銀鉱山も水銀鉱山も人がほとんど住まないアンデスの高地に存在する。効率よく労働力を確保するためには、先住民を鉱山の周辺に集住させる必要があった。もっとも集住化といっても、ポトシ銀山から1100キロも離れた遠隔地も対象地域になっていた。
 ミタ労働は強制なのだが1年交代で、1週間働けば次の2週間は休みだった。つまり、実質の労働時間は1年で17週間であり、安いとはいえ賃金も出た。こうして、支配者たちは先住民を強制労働させてはならないという建前を、彼らの主観ではクリアしたのである。
 しかし、銀増産のためには先住民を連日、長時間で使役しなければならない。そのための切り札が、税の金納化だった。先住民の共同体は基本的には自給自足の経済であり、貨幣を媒介にした商取引は存在しなかった。先住民が税を払うための現金を得るためには、鉱山に行く以外方法はなかったのである。もちろん、税を払えなければ土地を、収奪された。
 結局、彼らは鉱山で連日、長時間働くことになる。ミタ労働の日当は安く、自分一人も食いかねた。家族があればなおさらだった。その上、人頭税がのしかかる。ミタ労働で強制された1年間が済んでも、彼らは故郷に帰る金もなく、生きるために鉱山で死ぬまで働かねばならなかったのである。
 こうして先住民たちは片道の旅費だけを持ち、二度と帰ることのできない故郷を後にし、地獄の入り口=ポトシ銀山に「自分の意志」で続々と向かって行かねばならなかった。
 ポトシ銀山は1574年の1年だけで8万1千人の先住民の命を奪い、3世紀の間に800万人の先住民の命を飲み込むことになる。    (O)

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