桜と防災
コラム架橋
桜をじっくりと眺めなくなって久しい。精神的に余裕がなくなったか、関心が薄れたか。コロナ禍が明け、上野や目黒川など、都内の名所をこれでもかと喧伝するメディアをよそに。
浅草や、そこに至る三ノ輪・大関横丁に続く土手通りでも、静かに咲き誇る。前職場からの帰路、亡き母の入院時代に愛でた。特に吉野橋周辺は私の好きなスポットである。
土手と桜がセットであることには、理由がある。江戸時代、洪水を防ぐための土手をしっかりと人々が踏み固めるように、見るための桜が植えられた。つまり治水対策である。先月参加した全3回の防災講座で知った。
行政が企画して区民を募り30余人が集まった。1回目と3回目は屋内で講演を聞いた。NGO「ピースウインズ・ジャパン」の国内事業部次長のH氏は、石川県への災害派遣のさなかに演壇に立った。多くのポケットと団体名を縫いつけたベスト姿で彼女は熱弁をふるった。
講座2回目はバスを借りきったフィールドワーク。まず東京・墨田区横川にある本所防災館を見学した。この所在地は奇しくも、私のかつての勤務先の目と鼻の先だった。館内のシアターでの映画鑑賞からスタート。特別席では地震・火災・風災害をVR体験できるという。
来場者は、複数のツアープログラムからコースを選んで参加する。暴風雨、水没した車からの脱出を体験できる「自然災害コース」。消火や応急手当てを学ぶ「自助共助コース」などがあり、私たちには前者が組まれていた。私はこの日初めて「震度7」を体験した。四つん這いになり背中を丸めていても体が大きく横揺れする。さらに煙の中からの避難訓練、長靴とカッパを着た状態での暴風雨を体験。インストラクターは消防庁OBか。面白おかしく冗談で笑わせながら各団体を案内していた。
昼食後、防災館を出たバスは言問通り〜明治通り〜北本通りを経て北区志茂にある「荒川知水資料館」へ。快晴に恵まれた当日、岩淵水門周辺に広大な青空が広がった。この地は亡き母の出生地、故郷であり、地元の大手製薬会社に定年まで勤めた叔母の話を、生前に良く聞かされたものだ。
館内では主に荒川放水路について解説された。国交省職員がヘッドセットをつけて、水路建設の歴史を語った。
1910年、関東地方を襲った大水(洪水)は明治時代最悪の被害を出した。甲武信ヶ岳を水源とする「荒川」は文字通り「荒れる川」で、周辺の町は2年に一度被害に見舞われていた。岩淵水門から河口まで22キロの「荒川放水路」は、人間の手によって作られた人工の川である。1911年着工。関東大震災や高潮被害、周辺住民の立ち退き問題などで工事は難航し、19年かけて完成した。建設に係わった労働者は延べ310万人に上るという。 (隆)