和多田さんの実像とは?
コラム「架橋」
前田道彦さんから、和多田さんが胃がんのステージ4で余命1〜2カ月と医者から言われ、自宅に戻っていると連絡が入った。4月27日に和多田さんの自宅に伺った。
退院したばかりだったので見た目には「病人」とは思えなかった。調子も良かったのか、連れ合いさんといっしょに2時間ばかりおしゃべりをした。
和多田さん特有のしゃべり方、「和多田節」で様々な話題について語ってくれた。病気と今後については「自分はすべてのことをやり切ったので、手術や抗がん剤治療はやらない」ときっぱりと言い切った。お孫たちの話になると、顔も崩れ好好爺になり、とても嬉しそうだった。
庭のある家などで、ベッドからも草花を見ることができた。連れ合いさんが丁寧に花を育てていることが分かる。樹木もあってとても心の落ち着くところであった。
和多田さんとの出会いは70年代半ば、和多田さんら東大闘争の被告が実刑判決を受け下獄する時、品川の南部労政会館で集会を持った時であった。
そして、1977年岩山大鉄塔破壊に抗議する5・8闘争の時、5ゲートで機動隊との実力戦闘になった。和多田さんは、自家用車の横に乗り、そこから指示を出しているのを見て、「何という人だ」と驚いた。
普通なら現場の指揮者に任せて置けばいいのに、やはり自分の目で見て、闘争を指揮したかったのだと思う。この時は完全に機動隊を圧倒した闘いで、翌年の要塞戦、開港阻止3・26闘争へと昇りつめる「自信」をつけた闘いであった。
そして、空港占拠闘争の指揮者団を集めた会議や3月25日の空港占拠のメンバーたち・ゼロ部隊を集めた朝倉での最後の打合せでも直接、和多田さんが行動を提起し、説明したのだった。
和多田さんは闘争の「戦術家・軍師」などと言われているが、その実、和多田さんの人物像を知っている人は案外少ないようだ。
和多田さんの葬儀の後、元被告団と弁護団の懇親会が開かれた。そこで前田道彦さんと中川憲一さんが和多田さんのいろんなエピソードを語ってくれた。今後偲ぶ会が開かれる予定なので等身大の和多田さんを知る機会が設けられる。楽しみにしたい。 (滝)