水泳教室が始まった
コラム「架橋」
今年も例年のように隣の小学校は濃い緑の藻と泥が積もっていたプールの清掃をして、6月15日午前中に「プール開き」を行った。新しく入れられた水がプール一杯にはられ、プールの底は青々と見え、水面はキラキラと光っている。昨日までと全く違って見える。
プールの水が新しくなっただけなのに私はこんなにも「プール開き」に感動する。私の記憶の中にはプールに関する楽しい記憶が全くない。私が生まれた故郷は、海に近く、街を大河が流れていたこともあって、プールは作られなかった。水泳のためには海も河もあり、いろんな形の沼もあった。
学校にプールが完成したのは中学2年の時だが、その日もプールに一列にならばされた嫌な記憶だけだ。クラスの全員がプールの初泳ぎを雄物川を対岸まで泳ぎ渡る練習台にしたのである。プールに飛び込むと25mをノンブレスで泳いだのである。雄物川は河口近くまで数百メートルもあり、対岸まで泳ぎ渡ることはできなかった。特に河の真ん中は流れが速く橋桁を伝え渡るのが精いっぱいであった。橋桁間は30〜40mもあった。海であればこれくらい泳ぐのは何でもなかったが、河ではどうにもならなかった。
私の住んでいた実家から海も河も歩いて30分くらいであった。海へは山と松林を越えて行かねばならず、河へは街を横断しなければならなかった。市営バスに乗ると30分程で隣村にある海水浴場に行けた。海水浴場には「海の家」もあり、カネを出すと「うどんやカレーライス」も食べられる食堂もあった。
隣村の学校は海水浴場から5分も歩くと行ける所にあり、従兄弟たちが通っていた。この従兄弟たちの学校には林間学校といって毎年山間部の子どもたちが三泊四日で来た。林間学校があると従兄弟たちに封筒に入れたアサリの差し入れ要請書をもらった。林間学校に来た子どもたちの「味噌汁」用だ。
小学校の子どもたちは、夏休みに入るまで一人二回のプールの時間があり、夏休みはプールの使用中止。これでどれだけ泳げるようになるのだろう。泳げようになるには、民間の水泳教室に通う以外にないのが現実だった。 (武)